『アラブの嵐』(1961年/中平康監督)を見た。
物語は、「大日本物産社長・宗方達之助(千田是也)が亡くなった。会社の重役達も政子(山岡久乃)をはじめとする宗方家の縁戚一同も孫の堅太郎(石原裕次郎)の相続を快く思わず、パリの支社に彼を転勤させようと企てた。策略にはまり、客船でフランスに向かった堅太郎。重役や縁戚達は厄介払いが成功した安心感から芸者をあげて一席設けたものの、なんと堅太郎が舞い戻り、5,000ドルの餞別も懐に入れられたままとなってしまう。堅太郎が銀座のバーでホステスに囲まれながら祝杯をあげていると、かつて、彼のいい加減な仕事で生じた莫大な損失の責任を押し付けられ会社を解雇されたという木村(葉山良二)に出くわした。偉そうなことを言いながらも結局は祖父が作った温室の中でしか生きられない人間だと指摘された堅太郎は・・・」という内容。
冒頭で、"この映画はパンアメリカン航空の後援で製作されました"と画面いっぱいに表示されていたので、「どうして船なんかでフランスに行くんだろう?」と思ったのだが、これは布石だった。
出港後すぐにちゃっかり下船して戻ってきているし、2度目の出発はちゃんとパンアメリカンの飛行機だった。
(^。^)
機内で知り合った白鳥ゆり子(芦川いづみ)には英語やアラビア語で助けられ、ベイルートの空港では鞄をすり替えられ、カイロでは日本人と見るやいきなり近づいて来たいかにも怪しい中川孝次(小高雄二)に大金を狙われる。
もう少し考えろよと思うのだが、そこがおぼっちゃまたる所以なのだろう。
(^_^;)
亡くなった達之助は遺影のみの登場なのだが、目だけで存在感を示すのが面白い。
また、達之助が堅太郎に残した遺書の「狭き日本を出て、広き世界に生きよ」、「挑まれた戦いに背を向けること勿れ」などといった助言の仕掛けは要所要所で生きてくるし、他国の独立抗争に巻き込まれたあげくの5番目の助言が素晴らしいのだった。
(^_^)
カイロでロケをした作品とあって、微妙な名所巡りの場面も出てきたが、1961(昭和36)年当時はエジプトロケだなんて画期的なことだったに違いない。
物語は、「大日本物産社長・宗方達之助(千田是也)が亡くなった。会社の重役達も政子(山岡久乃)をはじめとする宗方家の縁戚一同も孫の堅太郎(石原裕次郎)の相続を快く思わず、パリの支社に彼を転勤させようと企てた。策略にはまり、客船でフランスに向かった堅太郎。重役や縁戚達は厄介払いが成功した安心感から芸者をあげて一席設けたものの、なんと堅太郎が舞い戻り、5,000ドルの餞別も懐に入れられたままとなってしまう。堅太郎が銀座のバーでホステスに囲まれながら祝杯をあげていると、かつて、彼のいい加減な仕事で生じた莫大な損失の責任を押し付けられ会社を解雇されたという木村(葉山良二)に出くわした。偉そうなことを言いながらも結局は祖父が作った温室の中でしか生きられない人間だと指摘された堅太郎は・・・」という内容。
冒頭で、"この映画はパンアメリカン航空の後援で製作されました"と画面いっぱいに表示されていたので、「どうして船なんかでフランスに行くんだろう?」と思ったのだが、これは布石だった。
出港後すぐにちゃっかり下船して戻ってきているし、2度目の出発はちゃんとパンアメリカンの飛行機だった。
(^。^)
機内で知り合った白鳥ゆり子(芦川いづみ)には英語やアラビア語で助けられ、ベイルートの空港では鞄をすり替えられ、カイロでは日本人と見るやいきなり近づいて来たいかにも怪しい中川孝次(小高雄二)に大金を狙われる。
もう少し考えろよと思うのだが、そこがおぼっちゃまたる所以なのだろう。
(^_^;)
亡くなった達之助は遺影のみの登場なのだが、目だけで存在感を示すのが面白い。
また、達之助が堅太郎に残した遺書の「狭き日本を出て、広き世界に生きよ」、「挑まれた戦いに背を向けること勿れ」などといった助言の仕掛けは要所要所で生きてくるし、他国の独立抗争に巻き込まれたあげくの5番目の助言が素晴らしいのだった。
(^_^)
カイロでロケをした作品とあって、微妙な名所巡りの場面も出てきたが、1961(昭和36)年当時はエジプトロケだなんて画期的なことだったに違いない。