現代社会では「社会的貧困」が問題になってきております。
しかしながら、これとて戦時・戦後と比較したら、まだまだ贅沢なもんです。
昨日の新聞日曜版に「疎開」について掲載・説明がありました。
私も「被爆体験」の無い、「戦争を知らない世代」かも知れませんが、戦後のヒモジイ社会は体験しております。皆で物を分け与え、肩を寄せ合って生きてきたのかもしれません。
「おすそわけ」と云う意味も知らない、今の若い主婦。飯にありつける「有難さ」を知らない若者。皆、「平和ボケ」にかかったのでしょうか?
経済的にも貧しかったころでも、それを乗り越えるだけのエネルギーとそれをみんなで共有できる「心配り」のできる社会がありました。
偏差値教育と経済至上主義に走った結果、今日のような「心まで貧困に陥った社会」が出来上がってしまったと云っても過言ではありません。
せめて「わがふるさと、津島」からでも、文化国家を目指し、相手の「心の痛さ」を分かりあえるコミニュティーを作り上げる事が出来れば、また、そうしなければなりません。
「心の貧困」との闘いは、今、始まったばかりです。
しかしながら、これとて戦時・戦後と比較したら、まだまだ贅沢なもんです。
昨日の新聞日曜版に「疎開」について掲載・説明がありました。
私も「被爆体験」の無い、「戦争を知らない世代」かも知れませんが、戦後のヒモジイ社会は体験しております。皆で物を分け与え、肩を寄せ合って生きてきたのかもしれません。
「おすそわけ」と云う意味も知らない、今の若い主婦。飯にありつける「有難さ」を知らない若者。皆、「平和ボケ」にかかったのでしょうか?
経済的にも貧しかったころでも、それを乗り越えるだけのエネルギーとそれをみんなで共有できる「心配り」のできる社会がありました。
偏差値教育と経済至上主義に走った結果、今日のような「心まで貧困に陥った社会」が出来上がってしまったと云っても過言ではありません。
せめて「わがふるさと、津島」からでも、文化国家を目指し、相手の「心の痛さ」を分かりあえるコミニュティーを作り上げる事が出来れば、また、そうしなければなりません。
「心の貧困」との闘いは、今、始まったばかりです。