小沢幹事長、習中国副主席特例会見で「国事行為」論は撤回
民主党の小沢一郎幹事長は21日午後の定例記者会見で、天皇陛下と習近平中国国家副主席との特例会見を「国事行為」と論じていた点について、「憲法で規定している国事行為にはそのものはありません」と述べて撤回した。
まず、この点については、自らの間違いを素直に認めた小沢氏を評価するべきでしょう。
「憲法との理念と考え方は、天皇陛下の行動は内閣の助言と承認によって、行われなければならない」と述べ、外交要人とのご会見も、内閣の助言と承認に沿って行われるべきとの考えを示した。
この点については、内閣法制局等との見解や一般的な見解とは異なるが、むしろ妥当な解釈であるとして私は支持してきた。
しかし、以下の点はどうか。
【小沢会見】(2)「内閣の判断で天皇陛下が行動なさるのは当然」(21日午後)
天皇陛下にはまったくのプライベートちゅうのはないに等しいわけですから、(略)その意味では、ご自身で自由にあっちいったり、こっちいったりちゅうことはできないわけで、その、天皇陛下の行動の責任を負うのは内閣なん(だ)。
国家機関としての国事行為、象徴としての地位に基づく公的行為以外に、私人としての私的行為が当然に認められるとするのが一般的な見解ではないか?(芦部)言いたいことは分からないでもないが、言葉の選び方が不適当であろう。
更に問題なのは以下の点だ。
内閣が判断したことについて天皇陛下がその意を受けて行動なさるということは私は当然のことだと思いますし、天皇陛下にお伺いすれば、喜んで、私はやってくださるものと、そのように思っております
ここでは「内閣が判断したこと」についての制約が一切述べられていない。小沢氏の頭の中では、内閣が判断しさえすれば、あらゆることを天皇にさせられると考えているのであろうか。しかし、そのような解釈が認められないことは以前に書いたとおりである。これだけ大勢の人間が大騒ぎしているのはまさにこの部分を問題視しているのであって、小沢氏はまず問題の所在を理解する必要があるだろう。
この問題については、前回は石破茂氏のブログ記事を参照したが、重ねて世耕弘成氏が本質を捉えたことをツイッター上に書いている。
(但し、今回の問題に関する世耕氏の他のポストは支持できない。)
これまで皇室外交は国の大小、関係の重要性等に関わらず全ての国を平等に扱うということで政治性を排除し、憲法の禁ずる政治的行為とならないよう慎重に配慮して行われてきたのに、今回中国だけを特別扱いしたことによって、政治性を持たせてしまったということが問題の本質だと考えます。
約1時間前 webで 、
***
なお、今回の問題について、小沢・民主党を批判する人間を「統帥権干犯を主張する人間と同じだ」と主張する人が居る。しかし、これは完全に的外れの批判(反論)であろう。統帥権干犯問題は、確か、軍部が天皇の統帥権を理由に内閣の条約締結等に口をだしたという問題である。つまり、天皇の名の下に自分の好き勝手に振る舞い、他の機関に対して干渉しようというものだ。
対して、今回の天皇会見問題で小沢民主党を批判する人間は、天皇のコントロールをちゃんとせよと主張しているのである。つまり、天皇をコントロールし、天皇ないし天皇の名の下に好き勝手させないようにしようというものだ。
つまり、今回の問題の批判者と、統帥権干犯を主張した人間とでは、天皇の扱い方についてはほとんど正反対の事をしようとしてるのである。
さて、小沢氏は、「天皇陛下にお伺いすれば、喜んで、私はやってくださるものと、そのように思っております」と言うことをいっている。これは、仮定的に天皇の意思を持ち出し、自らの行為を正当化しようというものである。
果たしてこのような行為をする小沢氏と、小沢氏を批判する人間とを比較したときに、どちらが「統帥権干犯」を振りかざす人間に近いと評価できようか。
民主党の小沢一郎幹事長は21日午後の定例記者会見で、天皇陛下と習近平中国国家副主席との特例会見を「国事行為」と論じていた点について、「憲法で規定している国事行為にはそのものはありません」と述べて撤回した。
まず、この点については、自らの間違いを素直に認めた小沢氏を評価するべきでしょう。
「憲法との理念と考え方は、天皇陛下の行動は内閣の助言と承認によって、行われなければならない」と述べ、外交要人とのご会見も、内閣の助言と承認に沿って行われるべきとの考えを示した。
この点については、内閣法制局等との見解や一般的な見解とは異なるが、むしろ妥当な解釈であるとして私は支持してきた。
しかし、以下の点はどうか。
【小沢会見】(2)「内閣の判断で天皇陛下が行動なさるのは当然」(21日午後)
天皇陛下にはまったくのプライベートちゅうのはないに等しいわけですから、(略)その意味では、ご自身で自由にあっちいったり、こっちいったりちゅうことはできないわけで、その、天皇陛下の行動の責任を負うのは内閣なん(だ)。
国家機関としての国事行為、象徴としての地位に基づく公的行為以外に、私人としての私的行為が当然に認められるとするのが一般的な見解ではないか?(芦部)言いたいことは分からないでもないが、言葉の選び方が不適当であろう。
更に問題なのは以下の点だ。
内閣が判断したことについて天皇陛下がその意を受けて行動なさるということは私は当然のことだと思いますし、天皇陛下にお伺いすれば、喜んで、私はやってくださるものと、そのように思っております
ここでは「内閣が判断したこと」についての制約が一切述べられていない。小沢氏の頭の中では、内閣が判断しさえすれば、あらゆることを天皇にさせられると考えているのであろうか。しかし、そのような解釈が認められないことは以前に書いたとおりである。これだけ大勢の人間が大騒ぎしているのはまさにこの部分を問題視しているのであって、小沢氏はまず問題の所在を理解する必要があるだろう。
この問題については、前回は石破茂氏のブログ記事を参照したが、重ねて世耕弘成氏が本質を捉えたことをツイッター上に書いている。
(但し、今回の問題に関する世耕氏の他のポストは支持できない。)
これまで皇室外交は国の大小、関係の重要性等に関わらず全ての国を平等に扱うということで政治性を排除し、憲法の禁ずる政治的行為とならないよう慎重に配慮して行われてきたのに、今回中国だけを特別扱いしたことによって、政治性を持たせてしまったということが問題の本質だと考えます。
約1時間前 webで 、
***
なお、今回の問題について、小沢・民主党を批判する人間を「統帥権干犯を主張する人間と同じだ」と主張する人が居る。しかし、これは完全に的外れの批判(反論)であろう。統帥権干犯問題は、確か、軍部が天皇の統帥権を理由に内閣の条約締結等に口をだしたという問題である。つまり、天皇の名の下に自分の好き勝手に振る舞い、他の機関に対して干渉しようというものだ。
対して、今回の天皇会見問題で小沢民主党を批判する人間は、天皇のコントロールをちゃんとせよと主張しているのである。つまり、天皇をコントロールし、天皇ないし天皇の名の下に好き勝手させないようにしようというものだ。
つまり、今回の問題の批判者と、統帥権干犯を主張した人間とでは、天皇の扱い方についてはほとんど正反対の事をしようとしてるのである。
さて、小沢氏は、「天皇陛下にお伺いすれば、喜んで、私はやってくださるものと、そのように思っております」と言うことをいっている。これは、仮定的に天皇の意思を持ち出し、自らの行為を正当化しようというものである。
果たしてこのような行為をする小沢氏と、小沢氏を批判する人間とを比較したときに、どちらが「統帥権干犯」を振りかざす人間に近いと評価できようか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます