崖っぷちロー

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大阪府・君が代斉唱口元監視問題

2012-03-16 01:47:13 | ニュース系
 大阪府立高校の校長が、卒業式の君が代斉唱の際に、教職員の口の動きを見て実際に歌っているかを監視していたという報道が話題となっています。

 参照:君が代で口の動き「監視」 橋下氏友人の民間校長


 従来は、卒業式などの式典において、起立を命じたりあるいはピアノの伴奏を命じたりという事例について問題になることが多く、斉唱は起立とセットになった形で取り上げられることが多かったように思います。その意味で、「斉唱」に焦点が当てられた今回の事例は珍しいのではないでしょうか。

 このエントリーでは、従来セットにされがちな「起立」と「斉唱(歌唱)」の違いについて考えてみたいと思います(憲法論と言うよりも、素のバランス感覚からの議論です)。


(1)前提となる判例
 a)最判平成23年5月30日
 都立高校の校長が教師に対し、卒業式において国歌斉唱の際に起立斉唱行為を命ずる職務命令をしたところ、その教師が当該命令に反し、起立しなかったため、それを理由に定年退職後の再任用を拒まれたという事例です。

 最高裁は、この命令は憲法に違反しないと判断したわけですが、この教師はそもそも起立をしなかったわけですから、当然「斉唱」をしているわけではありませんし、「斉唱」を命じたことがメインとしてでてくるわけでもありません。最高裁も「起立斉唱行為」と一まとめにして論じています。

 参照:判決全文http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110530164923.pdf

 b)最判平成19年2月27日
 市立小学校の音楽専科の教諭が、入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏を行うことを内容とする校長の職務上の命令に従わなかったことを理由に戒告処分を受けたという事例です。

 最高裁は、この命令についても憲法違反ではないとしています。

 参照:判決全文http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070301113512.pdf


(2)バランスの検討
 上記の二つの判例は、いずれも、問題となった命令が特定の思想を持つことを強制したり、あるいはこれを禁止したりするものではなく、特定の思想の有無について告白することを強要するものでもないことを根拠の一つとしています。

 ただ、これは問題となる行為を一般的客観的に評価するものであり、少数者の人権救済という観点からはやや形式的すぎるのではないでしょうか。より踏み込んで、那須裁判官の補足意見(b判例)のいうように、起立斉唱行為などの命令による精神的苦痛等を「なぜ甘受しなければならないのか」という検討が必要ではないでしょうか。

 この点についても判例は、「学校の卒業式や入学式等という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要」(a判例)であるということを挙げています。

 これについて那須裁判官は補足意見(b判例)の中でより具体的に、ピアノ伴奏を拒否するという行為が式典の進行を阻害することになったり、他の教師や児童に悪影響を与えることを問題視されており、この分析は的を射ているのではないかと思います(テープ演奏では伴奏の代替措置として不十分としたところは良く分かりませんが)。

 まとめると、問題となる行為について、①式典の秩序を乱さないか②式典の円滑な進行を阻害しないか③他の教師や児童・生徒に悪影響を与えないかという3つの点を検討していくことが必要なのではないでしょうか。(①と②をワンセットにするのもあり)

 なお、最判平成23年7月4日は「教育上の行事を円滑に進行する命令の目的や内容などを総合的に比較すれば、制約を許容できる必要性、合理性がある」と述べ、また、最判平成23年7月7日は「被告の行為は、静穏な雰囲気の中で執り行われるべき卒業式の円滑な遂行に看過し得ない支障を生じさせ、社会通念上許されない」点を指摘しています。


 a)では、「起立」行為についてこの観点から考えるとどうなるでしょうか。

 任意の教師が起立しないとしても、それを無視すれば式典は進行可能ですから、不起立自体によって式典の進行が阻害されるということはありません(②)。不起立に対してその場で起立を命じようとしたり、議論をしようとすると式典の進行が阻害される可能性がありますが、これは起立を強制することによる阻害であって、不起立側の評価に含めるべきではありません。

 しかし、学校行事が整然さを損なった状態のまま進行される(①)ということになりますから、批判能力に乏しい児童・生徒に対する悪影響という点では、無視できないものがあるでしょう(③)。

 このような観点からすると、「起立」行為を命じることは妥当だという方向になります。

 b)次に「斉唱」行為はどうでしょう。

 これについても、任意の教師が君が代を斉唱していないからといって、式典の進行が阻害されるということはありません(②)。

 では、他者に対する悪影響という点ではどうでしょうか。これについては一般論を述べることができるほどの先行研究やデータを見ていないのでなんともいえませんが、素朴な感覚として、児童生徒はどの教師が口を動かし声を出していて、どの教師がそれをしていないのかをいちいち見ていないのではないかと思います(③)。同様に、任意の教師が口を動かさず声をだしていないからといって、それで式典の秩序が乱れたと感じてきた人がどれだけいるのかは疑問です(①)。

 そうすると、「斉唱」行為を命じることは妥当ではないという方向になります。

 ちなみに、この問題に関してとあるテレビ番組が行った調査によると、100人中「やりすぎだ」が83人、「当然だ」が17人という結果になったようです。「当然だ」と回答する人数が思ったよりも多いというのが率直な感想です。

 参照:大阪「君が代の口元監視」街の声は「やり過ぎ」83%、「当然だ」17%


 c)なお、言うまでもないことですが、式典の最中に不起立不斉唱を主張したり生徒に呼びかけたりしないように命じること等は妥当だという方向になります。


(3)結論
 起立を命じること→妥当
 斉唱を命じること→妥当でない
 (ピアノ伴奏を命じること→一応妥当だが、テープ演奏で駄目な理由が分からない)


***
なお、ネット上では法治国家なのだから従え」「ルール(法律・条令・命令)だから、従え」などの意見が多く見られます。形式的法治国家論に立つ方が多いのでしょうか。憲法訴訟や行政訴訟の意義も失われてしまいます。


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