崖っぷちロー

チラ裏的ブログ。ここは「崖っぷち」シリーズ・あん○ーそん様とは関係ありません。レイアウト変更でいろいろ崩れ中

Review House 03 特集・「批評」としてのゲーム実況動画

2009-12-29 17:43:42 | ニコニコ動画・ネットとか
思想地図やねとすたシリアスなどでおなじみの美術家・批評家の黒瀬陽平氏が編集委員を務める、
『Review House 03』を買ってみた。
(多分)美術評論寄りの本なので普段ならおそらく買っていなかっただろうが、
今号の特集第1弾が「ゲーム実況動画」だったので、買わずにはいられなかった。

正確には、 「批評」としてのゲーム実況動画-「反復性」の破壊と「一回性」の発生 である。
座談会形式で、メンバーは黒瀬さん、石岡良治さん、井上明人さん、濱野智史さんの4人。

ゲーム実況プレイ動画関係の批評的な文章を読むのはユリイカの金田論考以来なので、
久しぶりにこの分野に接したことになるが、その議論の進展っぷりには驚いた。

「そもそもゲームとは何か?」というところまで掘り下げ、アカデミックな知見も参照しつつ、
現在的な現象や言説への目配りも漏らさない、ガチな座談会記事。

今、ゲーム実況プレイ動画を巡る議論はここまで到達した。
更なる議論へのとっかかりは座談会記事の至る所に散りばめられている。
ならば、次の語り手はどれほどのものを提示できるのか。

そう言わんばかりの圧倒的な特集だと思う。

***
とりえあず、本記事の中で取り上げられた実況者・動画について、めぼしいものをピックアップ。

・ボルゾイ企画 『【青鬼】絶叫に定評のある友人に無理やり実況させた【実況】
 FPS(洋ゲー)的なリアリティとの対比として、Jホラーの文法にも繋がるJRPGの見せ方(感情移入の仕方)を示すものとして。

・KIRIN 『【訛り実況】 SIREN:New Translation』(←多分)
 
・しんすけ(ゆとり4人組) 『ゆとりの友人に無理やりFF4実況させてみた
 ゲームはチュートリアルであるということ、ドラクエがチュートリアルという観点から見て優れていることを
 浮かび上がらせる動画として。

・幕末志士 『【マリオ64実況】 奴が来る 壱【幕末志士】
 ルール・ブレイキング、「俺ルール」の設定について。

・まっくす 『最終鬼畜ゲームを実況プレイ
 ゲームのチュートリアル性、メタゲーム性を浮かび上がらせるものとして。
 また、ゲームへのアディクションの例として。


***一節だけ抜き出してみる 濱野さんの発言

 なぜニコ動のゲーム実況が批評たりえているのかというと、
 それはまさに反復性と一回性の別様のあり方を提示できているからだと思うんですよ。

 それこそ今日取り上げた、「幕末志士」のマリオ64シリーズというのは、
 「緑キノコ」の挙動に関するルール(法則)を解釈的にズラしながらも、
 「迫り来る緑キノコから逃げる」という奇跡のような神プレイをやってのけるという意味で、
 まさに「反復性」の破壊と「一回性」の発生を同時にやってのけている。
 いいかえれば、「ルール・ブレイキング」しながら「神プレイ」を並行させている。
 だからそれはすばらしいんだと思うんです。



天皇・習副主席会見政治利用問題02

2009-12-21 19:23:09 | ニュース系
小沢幹事長、習中国副主席特例会見で「国事行為」論は撤回
民主党の小沢一郎幹事長は21日午後の定例記者会見で、天皇陛下と習近平中国国家副主席との特例会見を「国事行為」と論じていた点について、「憲法で規定している国事行為にはそのものはありません」と述べて撤回した。

まず、この点については、自らの間違いを素直に認めた小沢氏を評価するべきでしょう。

「憲法との理念と考え方は、天皇陛下の行動は内閣の助言と承認によって、行われなければならない」と述べ、外交要人とのご会見も、内閣の助言と承認に沿って行われるべきとの考えを示した。

この点については、内閣法制局等との見解や一般的な見解とは異なるが、むしろ妥当な解釈であるとして私は支持してきた。

しかし、以下の点はどうか。
【小沢会見】(2)「内閣の判断で天皇陛下が行動なさるのは当然」(21日午後)
天皇陛下にはまったくのプライベートちゅうのはないに等しいわけですから、(略)その意味では、ご自身で自由にあっちいったり、こっちいったりちゅうことはできないわけで、その、天皇陛下の行動の責任を負うのは内閣なん(だ)。
国家機関としての国事行為、象徴としての地位に基づく公的行為以外に、私人としての私的行為が当然に認められるとするのが一般的な見解ではないか?(芦部)言いたいことは分からないでもないが、言葉の選び方が不適当であろう。

更に問題なのは以下の点だ。
内閣が判断したことについて天皇陛下がその意を受けて行動なさるということは私は当然のことだと思いますし、天皇陛下にお伺いすれば、喜んで、私はやってくださるものと、そのように思っております

ここでは「内閣が判断したこと」についての制約が一切述べられていない。小沢氏の頭の中では、内閣が判断しさえすれば、あらゆることを天皇にさせられると考えているのであろうか。しかし、そのような解釈が認められないことは以前に書いたとおりである。これだけ大勢の人間が大騒ぎしているのはまさにこの部分を問題視しているのであって、小沢氏はまず問題の所在を理解する必要があるだろう。

この問題については、前回は石破茂氏のブログ記事を参照したが、重ねて世耕弘成氏が本質を捉えたことをツイッター上に書いている。
 (但し、今回の問題に関する世耕氏の他のポストは支持できない。)

これまで皇室外交は国の大小、関係の重要性等に関わらず全ての国を平等に扱うということで政治性を排除し、憲法の禁ずる政治的行為とならないよう慎重に配慮して行われてきたのに、今回中国だけを特別扱いしたことによって、政治性を持たせてしまったということが問題の本質だと考えます。
約1時間前 webで 、


***
なお、今回の問題について、小沢・民主党を批判する人間を「統帥権干犯を主張する人間と同じだ」と主張する人が居る。しかし、これは完全に的外れの批判(反論)であろう。統帥権干犯問題は、確か、軍部が天皇の統帥権を理由に内閣の条約締結等に口をだしたという問題である。つまり、天皇の名の下に自分の好き勝手に振る舞い、他の機関に対して干渉しようというものだ。

対して、今回の天皇会見問題で小沢民主党を批判する人間は、天皇のコントロールをちゃんとせよと主張しているのである。つまり、天皇をコントロールし、天皇ないし天皇の名の下に好き勝手させないようにしようというものだ。

つまり、今回の問題の批判者と、統帥権干犯を主張した人間とでは、天皇の扱い方についてはほとんど正反対の事をしようとしてるのである。

さて、小沢氏は、「天皇陛下にお伺いすれば、喜んで、私はやってくださるものと、そのように思っております」と言うことをいっている。これは、仮定的に天皇の意思を持ち出し、自らの行為を正当化しようというものである。
果たしてこのような行為をする小沢氏と、小沢氏を批判する人間とを比較したときに、どちらが「統帥権干犯」を振りかざす人間に近いと評価できようか。



『中世の商業革命―ヨーロッパ950‐1350 』読了

2009-12-19 08:29:27 | 小説・本
ロバート・S. ロペス (著), 宮松 浩憲 (訳) 『中世の商業革命―ヨーロッパ950‐1350』 (りぶらりあ選書)を買ってみた。
内容を確認せずにタイトルだけで買ったので、リスクを分散する意味でネットの古本屋での購入。
なので、定価は2900円であるが、実際にはそれよりも安い価格で購入した。

本書は、裏表紙の説明を借りるならば、
>十世紀中葉から十四世紀中葉にかけての時期を「商業革命期」と位置づける独自の見解を提唱し、
>中世ヨーロッパ経済の重要な転換点として商業の主導的役割を鋭利に分析した古典。

である。
この訳本自体は2007年の出版であるが、原著は1976年にでているから「古典」ということになる。

さて、本書の主題は「中世の商業革命論」であるが、その論理の格子は目次を見るだけでも分かる。
私なりに単純化すると以下のような感じ。実際は、さまざまな要素が相互に影響を与える「うねり」として書かれている。

まず、商業革命に至るまでの前段階についての状況認識が示される。
古代ローマから説き起こし、それがそれなりに発展しつつも、安定を目指した「黄金の中庸」にとどまったこと、帝国制度の歪み、寒冷化・伝染病による人口減少によってローマ帝国が崩壊したこと、その後ローマ帝国を切り刻んだ蛮族達の時代の低調ぶりなど。

しかし、疫病等のおちつきと温暖化による人口の増加(人口動態の反転)が起きたことで状況が上向き、更に農耕技術の(ささやかな)発展と耕地面積の拡大が生産力を増大させ、食料の余剰を生む。

この社会的な余力を、イタリア商人をはじめとする商人エリートが商業に使い始め、商業が廻りだす。


このような格子に加え、要所要所でコンパクトではあるが興味深いさまざまな肉付けがなされる。翻訳がかたく、読みやすい文章表現であるとはいえないが、論理の展開自体はクリアなので、それなりに分かりやすいのではないかと思う。

***
同じ著者の方が、『海軍司令官兼商人、ベネデット・ザッカリア-1200年代のジェノヴァの船乗り』という本を書いておられる。どうも日本語訳は出ていないようだが、どうにかして出版してほしいものだ。
新品を買いますので。

天皇・習副主席会見政治利用問題

2009-12-16 07:08:00 | ニュース系
最近、天皇陛下(以下、敬称略)と中国の習近平国家副主席の会見をめぐって、さまざまな議論が展開されている。が、いろんな次元の議論が入り乱れており、こんがらがってよく分からない感じになっているように思える。なので、新聞記者などの賢い人が、議論を的確に整理してくれるとうれしいのですが……。

***
私の目から見ると、今回の問題については、とりあえずは大きく二つの見方に分かれる。
つまり、
 1)健康問題アプローチ
 2)政治利用問題アプローチ
の2つである。

ここで、1)健康問題アプローチで考えていくのであれば、重要なのはあくまでも「天皇の健康」ということになる。したがって、裏返せば、天皇の健康が害されないのであれば、30日ルールを徹底しなくてもよいということになる。
 (つまり、民主党側の説明でよいということになる)

しかし、より重要なのは、2)政治利用問題アプローチであろう。そこでは、憲法レベルの議論から政治的・社会的な議論まで、さまざまな議論がありうる。
 (議論がこんがらがって見えるというのもそのため)
以下、この2)政治利用問題アプローチの観点から、適当に書いてみる。

***
(1)「習副主席との会見」の法的性質
まず、今回問題となっている「習副主席との会見」がそもそもどういう性質の行為なのかを考える必要がある。この点、記者会見での記者達とのやり取りを見る限り、小沢幹事長はこれを「国事行為」だと捉えているようだ。
 小沢幹事長の記者会見発言…天皇会見問題
 (小沢幹事長は「天皇陛下の行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだよ、すべて。」と発言している。)

しかし、「習副主席との会見」=外国元首等の接受・接待が「国事行為」に含まれると読むのは、文言上は厳しいし、学説も含めて、一般的にはそうは考えられていないのではないか。小沢幹事長は記者に対して「君も少し、憲法をもう一度読み直しなさい。」などと言っているが……。

で、学説的にはこれを「象徴としての地位に基づく公的行為」であると説明するのが一般的なのだろう。あるいは政府や宮内庁などは、これを「国事行為に準じる行為」であると説明しているように思われる。
 (これについては以前、「お言葉」問題でも書いたことがある。→岡田克也外相:天皇陛下のお言葉への注文問題)

しかし、いずれの立場をとるにせよ、どこまでが「公的行為/準国事行為」かという「範囲」の問題は残るし、天皇のそのような「公的行為/準国事行為」をどのようにコントロールするかという問題も残る。今回の場合は、主に後者の問題ということになる。

(2)天皇の行為のコントロール
そして、一般的に、天皇の「公的行為/準国事行為」については、国事行為に準じて内閣のコントロールが必要だと理解されている(→追記参照)。
つまり、内閣の「助言と承認」が必要だということである。
 (この点では、結論的には小沢幹事長の説明はあっている。)

しかし、注意するべきなのは、このような内閣による天皇のコントロールという構図が、戦前の天皇制との関係で、主に天皇というものを縛るために展開されてきたもの(条文)だということである。それはあくまでも、天皇が暴走しないように抑制する内閣という構図であって、内閣が暴走しないように抑制するにはどうすればいいかという議論・構図ではない。

では、内閣は天皇をどのように利用してもいいのか?
もちろんそんなはずはないというのが一般的な考えだろう。つまり、象徴天皇制の趣旨などから、天皇は政治的に公平・中立でなくてはならないし、天皇をコントロールする内閣も政治的に公平・中立でなくてはならない=政治利用はいけないのではないかという議論になる。
 (したがって、内閣はこのように中立的であることが期待され、それについて国会に対して責任を負う。但し、国会によるコントロールの実効性の問題は別にある。)
 
つまり、天皇は「助言と承認」によって内閣によりコントロールされるが、内閣は「助言と承認」さえしていればなにをやってもいいというわけではないということだ。
(そしてこれは、憲法上の要請であるということになる。)

小沢幹事長は、「助言と承認」さえあればいいのだという主張をしているが、それは条文の文言を形式的にとらえた議論であって、決して、「日本国憲法の理念・本旨」に基づいた理解ではない。
 (小沢幹事長は「じゃあ、内閣に何も助言も承認も求めないで、天皇陛下個人で行うの? そうじゃないでしょう。」というが、まったく的外れである。)

(3)天皇の政治利用とは
では、内閣がしてはいけないと考えられている「政治利用」とはいったいどのようなものか?実は、これは論者によってまちまちで、場合によっては、定義を考えることも無く感覚で言ってしまうこともある、やっかいな概念である。

今回の民主党の行為を「政治利用」だとして批判するのであれば、そもそも「政治利用」とは何か、セーフとアウトを区別する基準はなにかについて説明することが必要となる。
 (国会議員や宮内庁等がそれを出来ているかといえば……)

この点については、石破茂のブログがかなり踏み込んで論じているように思う。
 (→習近平・中華人民共和国副主席の天皇陛下との会見について)

天皇陛下の国際親善にかかわるご活動は、時の政府の行う外交とは次元の異なるものとして、相手国の大小や価値判断とは一切関係なく行われてきたものであり、今回このような特例扱いを行うことは、皇室の外国との関わり方の正当性を大きく傷つけるのみならず、日中両国の関係をも損なうものとすら言い得るのです。


つまり、相手国の大小や価値に応じて天皇に何かをさせる/させないということが政治利用なのだということ。
 (同様の考え方として→陛下特例会見、憲法原理に反する 慶応大学講師・竹田恒泰
なお、これは一般論としての「政治利用」の問題をすっとばした定義である。)

この基準でいくのであれば、政府側(平野官房長官等)が中国の重要性を根拠としたことが、まさに「政治利用」だと結論付ける根拠になる。

したがって、今回の鳩山内閣の行為は、憲法上行うべきでないとされる天皇の「政治利用」をしていることになる。
 (もちろんこれは、1ヶ月ルールは法律ではないとか、役人の作ったルールだからそれに縛られる必要はないとか、そういう次元の話ではない。)

そうすると、民主党側としては、「政治利用」の基準について別の基準を示して反論するか、あるいは、今回の会見が中国の重要性を根拠として行われたものではない反論することが必要になる。

***追記
小沢氏の「国事行為」発言が波紋 共産委員長「小沢氏は憲法読むべきだ」
この記事に、以下のような記述があった。
 公的行為は、小沢氏がいう「内閣の助言と承認」を必要としない。

これは、憲法の条文から直接出てくるわけではないという意味では正しい。
(そして、憲法上の根拠がないということに対する強い批判もある。)
が、天皇のこれらの行為を私的行為ではなく公的行為として理解する意図は、
それらの行為を野放しにするのではなく、内閣によるコントロールを及ぼそうというものである。

以下に松井茂記教授による上記立場の説明を引用しておく(但し、松井教授自身は国事行為以外は認めない立場)。

もしこれらの行為を私的な行為とすれば、当然内閣の助言と承認は及ばないから、むしろ象徴としての公的行為と考え、それに内閣の助言と承認が必要だと考えることによって、内閣によるコントロールに服させた方がよいともいわれる。
 (松井茂記『日本国憲法』第2版268頁)


***12月17日追記
こういう報道があった。国事行為ではない―宮内庁 中曽根氏にもルール説明
宮内庁の岡弘文官房審議官は16日、自民党本部で開かれた「天皇陛下の政治利用検証緊急特命委員会」の会合で、陛下と習近平中国国家副主席の特例会見について「公的行為なので内閣の助言と承認は必要ない」と述べ、憲法上の「国事行為」に当たらないとの認識を示した。

国事行為に(直接的に)該当しないのは当然の前提である。
それと、内閣のコントロールが必要かどうかは別の問題。
公的行為については「助言と承認」が不必要との解釈には反対である。

狼と香辛料13巻読了

2009-12-10 04:48:26 | 小説・本
『狼と香辛料ⅩⅢ Side CoLors Ⅲ』

発売日には読み終わっていたのだが、ここで書くのがかなり遅れてしまった。
 (物語についてはほとんど覚えていないので、気になる記述だけ部分的にピックアップします)
短編3つと書き下ろしの中編一つが収録されているのですが、当然、中編から読み始めました。
なにせノーラの中編ですから。

1.羊飼いと黒い騎士
 ノーラが服の仕立て職人になると言ってロレンスたちと別れた後の後日談。
 当然、中世ヨーロッパでは徒弟制度やら同職ギルドがあるので、これをポッと出のノーラがどう乗り越えるのだろういう疑問があった。
 (一般的なラノベならこういう問題はスルーするかもしれないが、狼と香辛料にの場合は言及することが当然のように期待されている。)
 なので、職人組合に入る試験(207頁)や徒弟制度の規則(271頁)の話が出てくるのは当然というところ。

 で、この制度的な「障壁」の問題に加えて、更に物語的な障壁がノーラの前に立ちはだかるという話。

 この中編ではどちらの「障壁」の問題についても、最後まで書かれることはないが、
 支倉さんの中ではノーラはどちらもなんとかクリアすることになっているのではないかと思う。素朴に。
 尻切れ感があるという人もいるかもしれないが、全部を語らない方がかえって綺麗な気がしますね。

 ちなみにこの中編はノーラの飼い犬(牧羊犬)のエネクの視点で語られるという異色作でもある。
 エネクが賢すぎる(人語をよく解しすぎる)が、まぁ、ご愛嬌ということか。

 (191頁の描写で「牛肉の切り身は一度茹でてから焼いた贅沢品である。」という記述がある。
 これは、人の手を加えれば加えるほど「高級」であるという当時の考え方に基づいた描写。
 たしか、ネット上にそういう解説があったはず。。)

2.狼と桃のはちみつ漬け
 この短編も、同職組合の規則の話や、組合の職域の話なんかが織り込まれている。
 
 で、ロレンスが街の景気の原因に気づいたあたりから一気に物語が進行する。
 商売的な落とし穴もなく、安心してワクワクできる。

3.狼と夕暮れ色の贈り物
 狼と香辛料にちょくちょく登場する「高利貸し」を評した以下の一文が紹介されている(100頁)。
 
 「その行為、畑に貨幣を蒔くようなものである」

 う~ん、どっかに元ネタがあるんでしょうかね。気になる。

4.狼と銀色のため息
 貨幣と毛皮の交換比率の関係で、売買を繰り返すと儲かるという話。
 ありそうな話ではあるけれふぉ、2、3割の儲けというのは大きすぎる気がする。
 
 この短編、巻頭のカラーイラストといい、145頁の挿絵といい、今までにないようなコミカルさなので、
 そういう部分でも面白かったりする。

***
そういえば、あとがきには
「短編はともかく、本編はあとどのくらい出るかなあ、と数えるとちょっと感慨深いです。」という記述がある。
たぶん、残り5巻もないんでしょうね。

そもそもこの作品は引き伸ばしや中だるみを物語の構造として説明できしまう作品ですし、
これだけ売れているのだからもっと引き伸ばしてもいいのかもしれませんが、
綺麗に終わらせたいということでしょうか。

それから「次の作品の準備も実は始めています。」という記述があり、非常に楽しみです。
「あっと言わせられればと思います。」ということらしいので、中世ヨーロッパ的な舞台からは離れるということでしょうかね。
歴史的・経済的な要素が残っているとうれしいのですが……。

現代学園物だったりするんですかね?

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***
現代学園物といえば、今アニメが放送中の「とある科学の超電磁砲」がちょっと気になる。
治安組織(ジャッジメントやアンチスキル)がどう考えても「本気で治安を維持しようとは考えていない」ように思えるので、
学園都市のあり方なんかを含めて、詳しい設定を読んでみたい。