>アニメやマンガ、ゲームの「殿堂」の創設に文化庁が乗り出した。
>日本が世界に誇る「メディア芸術」と位置づけ、その発信拠点として「国立メディア芸術総合センター」を東京都内につくる。
>国がアニメやマンガに特化した施設をつくるのは初めて。
>センターではアニメなどの映像作品を鑑賞したり、マンガを読んだり、ゲームを体験したりできる。
>政府の新経済対策の一つとして、設立に向けた予算117億円を盛り込んだ。
アニメやゲームに国の「殿堂」 東京都内に設立構想
だそうですね。ちょっと前から話題になっています。賛否両論あるようで。
反対派の方。
>「漫画家も読者も日々の生活が苦しい中、ハコモノと天下りが残るなんて最低のギャグです」
>こう語るのは、女性漫画家の牧村しのぶさん。
国立マンガセンターに女性漫画家激怒「最低のギャグ」
……誰??
賛成派の方。
>センターは決して「マンガ図書館」でも「国立アニメ殿堂」という性格の物ではありません。
>日本は外国に認めてもらわないと我が国の文化を低く見る傾向が未だにあります。
>いつまでもそれではいけない、国を挙げて「日本のメディア芸術はこんなにすばらしい」という事を訴えて行く為の拠点が必要です。
里中満智子オフィシャルサイト
***
このタイミングに計画することについては置いておく。
また、文化庁の資料も印刷用紙が切れているので読んでいません。
以下、個人的な、「ぼくのかんがえたさいきょうのしりょうかん」。
映画や、アニメやマンガなどの、いわゆるサブカルチャーについても、
それを文化財として保護していく必要がある。
そのための手段は様々なものが考えられるが、資料の保存・閲覧施設は必要不可欠なものだと考えられる。
現在でも完成品については国会図書館への収納で大部分がカバーされている。
しかし、ここで保存・閲覧に供するべき物は、「完成品」に限られるものではない。
(また、国会図書館のキャパの問題もある。)
例えば、映画の脚本や完成品には使われなかった未使用フィルム、
マンガの生原稿やアニメのセル・背景・コンテ・レイアウトなど、
製作のプロセスにおいて作られた物も資料として保存する必要がある。
これは、文学作品の生原稿や、絵画の完成画の下に隠された下書きの
重要性について考えれば、特に突飛な話だとはならないだろう。
現在の我々は、失われた過去の文豪達の生原稿の発掘がなされるたびに驚き喜んでいるが、
ならば、そもそも現在及び将来の物が失われないようにする方法を考えるべきなのだ。
***
作者や民間の製作会社や出版社が保存すればいいという意見は当然あり得る。
しかし、物理的な問題があるし、現に製作現場では多くの資料がすでに放棄されている。
また、この厳しい経済情勢の中で、会社等は常に倒産のリスクがあるわけで、
そうなってしまえば資料が散逸・喪失してしまう可能性は極めて高い。
***
現実的な話としては、宮崎駿亡き後のジブリスタジオはどうなるのか?
その時、宮崎駿が作成した数々の資料はどこまで保存されるのか?
(あるいは、現状で、どこまで残されているのか?)
ジブリはまだ美術館を独自に持っているから良いとしても、
他の著名クリエイター達はどうか?
現在無名でも、後世において評価が高まったクリエイターがいた場合、
その人に関係する資料はどうなってしまっているのだろうか?
>日本が世界に誇る「メディア芸術」と位置づけ、その発信拠点として「国立メディア芸術総合センター」を東京都内につくる。
>国がアニメやマンガに特化した施設をつくるのは初めて。
>センターではアニメなどの映像作品を鑑賞したり、マンガを読んだり、ゲームを体験したりできる。
>政府の新経済対策の一つとして、設立に向けた予算117億円を盛り込んだ。
アニメやゲームに国の「殿堂」 東京都内に設立構想
だそうですね。ちょっと前から話題になっています。賛否両論あるようで。
反対派の方。
>「漫画家も読者も日々の生活が苦しい中、ハコモノと天下りが残るなんて最低のギャグです」
>こう語るのは、女性漫画家の牧村しのぶさん。
国立マンガセンターに女性漫画家激怒「最低のギャグ」
……誰??
賛成派の方。
>センターは決して「マンガ図書館」でも「国立アニメ殿堂」という性格の物ではありません。
>日本は外国に認めてもらわないと我が国の文化を低く見る傾向が未だにあります。
>いつまでもそれではいけない、国を挙げて「日本のメディア芸術はこんなにすばらしい」という事を訴えて行く為の拠点が必要です。
里中満智子オフィシャルサイト
***
このタイミングに計画することについては置いておく。
また、文化庁の資料も印刷用紙が切れているので読んでいません。
以下、個人的な、「ぼくのかんがえたさいきょうのしりょうかん」。
映画や、アニメやマンガなどの、いわゆるサブカルチャーについても、
それを文化財として保護していく必要がある。
そのための手段は様々なものが考えられるが、資料の保存・閲覧施設は必要不可欠なものだと考えられる。
現在でも完成品については国会図書館への収納で大部分がカバーされている。
しかし、ここで保存・閲覧に供するべき物は、「完成品」に限られるものではない。
(また、国会図書館のキャパの問題もある。)
例えば、映画の脚本や完成品には使われなかった未使用フィルム、
マンガの生原稿やアニメのセル・背景・コンテ・レイアウトなど、
製作のプロセスにおいて作られた物も資料として保存する必要がある。
これは、文学作品の生原稿や、絵画の完成画の下に隠された下書きの
重要性について考えれば、特に突飛な話だとはならないだろう。
現在の我々は、失われた過去の文豪達の生原稿の発掘がなされるたびに驚き喜んでいるが、
ならば、そもそも現在及び将来の物が失われないようにする方法を考えるべきなのだ。
***
作者や民間の製作会社や出版社が保存すればいいという意見は当然あり得る。
しかし、物理的な問題があるし、現に製作現場では多くの資料がすでに放棄されている。
また、この厳しい経済情勢の中で、会社等は常に倒産のリスクがあるわけで、
そうなってしまえば資料が散逸・喪失してしまう可能性は極めて高い。
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現実的な話としては、宮崎駿亡き後のジブリスタジオはどうなるのか?
その時、宮崎駿が作成した数々の資料はどこまで保存されるのか?
(あるいは、現状で、どこまで残されているのか?)
ジブリはまだ美術館を独自に持っているから良いとしても、
他の著名クリエイター達はどうか?
現在無名でも、後世において評価が高まったクリエイターがいた場合、
その人に関係する資料はどうなってしまっているのだろうか?