衆議院議員の城内実氏といえば、郵政民営化問題における「造反組」として、片山さつき氏と激突したことでも有名。
その城内実氏が、自身のブログにおいて、
最近ブログを更新しない理由や今後のブログ・コメント欄の運営について、自身の見解を表明した。
◇ コ ラ ム ◇ ブログの更新一時休止
その中で書かれた、
>過去の私のブログの記事をろくに読みもしないで、
>上から目線で重箱のすみをつつくことに自己満足を感じている絶滅危惧種の左翼全体主義ブロガーや、
>一部のとんちんかんなネット右翼にはもはやつける薬はないかもしれない。
という部分が、一部で注目されている。
城内氏の見解にはその一部において表現の問題はあるにせよ、
ブログ記事全体における問題意識について私はおおむね同意したい。
ただし、
>ルールを守れないような人たちは今後こちらの方で招かれざる客としてブラックリストに掲載し、
>場合によってはスパム対象とするとともに、ID番号をブログで公開
というのは、扱いを一歩間違えれば大きな事態に発展することもあるので、
慎重な検討が必要だろう。
「ID番号(IP?)をブログで公開」することは、荒らしに対する挑戦とみなされる可能性があり、
その場合、荒らしがムキになる危険性がある。
***
特に本文とは関係ないのだが、この機会に、「ネット右翼」的な単語について私なりに整理してみたい。
ただ、さしたる根拠もない私の妄想なので、認識が間違っている部分があるかも知れない。
簡単に言うと、「ネット右翼」・「ネットウヨク」・「ネトウヨ」の使い分けを提唱し、
かつ、「ネトウヨ」という単語の空虚さを書き連ねています。
(0)右翼
まず、そもそも「右翼」とは何かという問題がある。これだけでまるまる一冊の本が書けるような問題である。
だが、ここでは、戦前・戦後、あるいは「保守」や「街宣右翼」なども含めた、
雑多で漠然とした総体的なイメージとして「右翼」を捉えることとにする。
言うまでもなく、この「右翼」というのはネット登場以前から存在し続けるものであり、
いわゆる「リアル(現実)」に活動している存在である。
(1)ネット右翼
これに対して、ネット上の一部の人間をさして「ネット右翼」と呼ぶことがある。
この言葉は、一般的には「インターネット上において右翼的な言動をする人物」を指すとされる。
つまり、「ネット右翼」が上位概念であり、その下に「ネットウヨク」や「ネトウヨ」があるというのが一般的な理解である。
しかし、私としては「ネット右翼」と「ネットウヨク」、「ネトウヨ」を区別した上で、
むしろ「ネットウヨク」を上位概念に据え、「ネット右翼」は下位概念であると捉えた方がしっくり来る
。
というのも、この言葉が普及していく初期段階では、
「リアルでは何も行動をしないが、ネット上では右翼的な言動をする」という、
リアル/ネットの対比的な意味を強く込めて使われることが多いように思われたからだ。
つまり、リアルでの活動を当然のように行ってきた右翼・左翼との対比において、
彼等の現実社会における無力さ・弱さを揶揄する意図が込められていたのであり、
いわゆる「ネット弁慶」の一類型として位置づけられる。
しかし、このリアル/ネットの対比構造は、「右翼」のネット化あるいは行動する「ネット右翼」の登場によって崩れることとなる。
今では右翼的な活動家の動画がネット上にアップされたり生中継されることは珍しくなく、
また、右翼的デモ等のリアルの活動に「ネット」の人間が参加することも珍しいことではないのである。
したがって、今やネット上で右翼的な言動をする人間であっても、
それが常にネット弁慶的な意味での「ネット右翼」であるとは言えないのであり、
これは匿名的な環境にある限り他者からは判別できるものではない。
私は、「ネット右翼」は死語化していくべきだと思っている。
(が、現実には難しい。ただ、少なくともネット弁慶的な意味があったことに目配せをしつつ、
この言葉を使うべきである。)
(2)ネットウヨク
そこで、私としては、一般的な意味における「ネット右翼」
=「インターネット上において右翼的な言動をする人物」のことを、
「ネットウヨク」と呼ぶこととしたい。
ただ、これはかなり偽史的であるし、「右翼/ウヨク」の区別が捨象されてしまう用法ではある。
この漢字/カタカナの区別は「左翼/サヨク」においても同様に存在するのであるが、
一般的には、その活動内容の本気度やレベルの高さに対応するものであるとされる。
(漢字が本気・高レベル、カタカナがファッション・低レベルであり、
カタカナは嘲笑的に使うことが多い。
ただし、カタカナを思想的な内容の絞りに使う場合もあるだろう。)
ただ、リアル/ネットの関係を、そのまま本気・高レベル/ファッション・低レベルの関係にあてはめる傾向はあるので、
(誤った認識ではあるが)それに沿ったものであるとして一応の説明はできそうである。
なお、リアルとの紐付けがなされにくい「ネットウヨク」においては、
その人物が所属する組織等から右翼的であるかどうかを外形的に判断することは困難である。
右翼的であるかどうかのネット上での認定は、認定をする人物のスタンスとの相対的な関係によって決定される。
(まぁ、そもそも右翼/左翼もそういうものであると言えばそれまでだが)
(3)ネットウヨ・ネトウヨ
もっとも、現在ネット上で多く使われるラベリングは、「ネットウヨ・ネトウヨ」というものである。
これは言うまでもなく「ネット右翼・ネットウヨク」を省略することで発展した言葉である。
これは、「ウヨク」から「ク」を抜くことにより、「ウヨ」という語感の滑稽さと対象となる人物の滑稽さを巧みに対応させた表現である。
ここでは、漢字/カタカナの区別によって後者を嘲笑的に表現した以上に、
より強度の嘲笑的意味が含まれている。
そして、私の経験的な観測によると、もはやそこでは右翼的な言動をしているかどうかという要素の比重は極めて軽くなる。
観測者との相対的な関係で少しでも対象者が右翼方向の言動をしており、
かつ、嘲笑されるべき言動をしていれば、それだけで「ネットウヨ・ネトウヨ」とのレッテルが貼られうることになる。
つまり、ほとんど「馬鹿・アホ」という罵倒語と同義であり、
立ち位置の僅かな違いによって「ネトウヨ/ネトサヨ」にカテゴライズされるにすぎないのである。
(右翼/左翼という思想的な対立という意味では、ほとんど空虚な概念である。)
(4)自嘲的・先回り的なネトウヨ
この「ネットウヨ・ネトウヨ」レッテルの無差別さ・節操の無さを嘲笑し、
あるいは、即座に「ネットウヨ・ネトウヨ」と呼ばれてしまうことに対する自嘲の意味で、
認定をされる側が(認定される前に)先回り的に自身(第三者)をネトウヨであると表明することがある。
(あるいは、「ネトウヨ」と認定されること自体を楽しむことがある。)
これは、『拡大する巨大組織ネトウヨ(未だ増殖中) 』というコピペを主軸に、
日々その範囲を拡大しつづけている現象であり、止まる気配がない。
人によっては、この無節操な「ネトウヨ」の拡大という現象について、
領域の拡大によるレッテルの無意味化という意図を読み込む人もいるだろう。
(思想的空虚さと相俟って、馬鹿は馬鹿だという程度の意味でしかなくなるのだから。)
その城内実氏が、自身のブログにおいて、
最近ブログを更新しない理由や今後のブログ・コメント欄の運営について、自身の見解を表明した。
◇ コ ラ ム ◇ ブログの更新一時休止
その中で書かれた、
>過去の私のブログの記事をろくに読みもしないで、
>上から目線で重箱のすみをつつくことに自己満足を感じている絶滅危惧種の左翼全体主義ブロガーや、
>一部のとんちんかんなネット右翼にはもはやつける薬はないかもしれない。
という部分が、一部で注目されている。
城内氏の見解にはその一部において表現の問題はあるにせよ、
ブログ記事全体における問題意識について私はおおむね同意したい。
ただし、
>ルールを守れないような人たちは今後こちらの方で招かれざる客としてブラックリストに掲載し、
>場合によってはスパム対象とするとともに、ID番号をブログで公開
というのは、扱いを一歩間違えれば大きな事態に発展することもあるので、
慎重な検討が必要だろう。
「ID番号(IP?)をブログで公開」することは、荒らしに対する挑戦とみなされる可能性があり、
その場合、荒らしがムキになる危険性がある。
***
特に本文とは関係ないのだが、この機会に、「ネット右翼」的な単語について私なりに整理してみたい。
ただ、さしたる根拠もない私の妄想なので、認識が間違っている部分があるかも知れない。
簡単に言うと、「ネット右翼」・「ネットウヨク」・「ネトウヨ」の使い分けを提唱し、
かつ、「ネトウヨ」という単語の空虚さを書き連ねています。
(0)右翼
まず、そもそも「右翼」とは何かという問題がある。これだけでまるまる一冊の本が書けるような問題である。
だが、ここでは、戦前・戦後、あるいは「保守」や「街宣右翼」なども含めた、
雑多で漠然とした総体的なイメージとして「右翼」を捉えることとにする。
言うまでもなく、この「右翼」というのはネット登場以前から存在し続けるものであり、
いわゆる「リアル(現実)」に活動している存在である。
(1)ネット右翼
これに対して、ネット上の一部の人間をさして「ネット右翼」と呼ぶことがある。
この言葉は、一般的には「インターネット上において右翼的な言動をする人物」を指すとされる。
つまり、「ネット右翼」が上位概念であり、その下に「ネットウヨク」や「ネトウヨ」があるというのが一般的な理解である。
しかし、私としては「ネット右翼」と「ネットウヨク」、「ネトウヨ」を区別した上で、
むしろ「ネットウヨク」を上位概念に据え、「ネット右翼」は下位概念であると捉えた方がしっくり来る
。
というのも、この言葉が普及していく初期段階では、
「リアルでは何も行動をしないが、ネット上では右翼的な言動をする」という、
リアル/ネットの対比的な意味を強く込めて使われることが多いように思われたからだ。
つまり、リアルでの活動を当然のように行ってきた右翼・左翼との対比において、
彼等の現実社会における無力さ・弱さを揶揄する意図が込められていたのであり、
いわゆる「ネット弁慶」の一類型として位置づけられる。
しかし、このリアル/ネットの対比構造は、「右翼」のネット化あるいは行動する「ネット右翼」の登場によって崩れることとなる。
今では右翼的な活動家の動画がネット上にアップされたり生中継されることは珍しくなく、
また、右翼的デモ等のリアルの活動に「ネット」の人間が参加することも珍しいことではないのである。
したがって、今やネット上で右翼的な言動をする人間であっても、
それが常にネット弁慶的な意味での「ネット右翼」であるとは言えないのであり、
これは匿名的な環境にある限り他者からは判別できるものではない。
私は、「ネット右翼」は死語化していくべきだと思っている。
(が、現実には難しい。ただ、少なくともネット弁慶的な意味があったことに目配せをしつつ、
この言葉を使うべきである。)
(2)ネットウヨク
そこで、私としては、一般的な意味における「ネット右翼」
=「インターネット上において右翼的な言動をする人物」のことを、
「ネットウヨク」と呼ぶこととしたい。
ただ、これはかなり偽史的であるし、「右翼/ウヨク」の区別が捨象されてしまう用法ではある。
この漢字/カタカナの区別は「左翼/サヨク」においても同様に存在するのであるが、
一般的には、その活動内容の本気度やレベルの高さに対応するものであるとされる。
(漢字が本気・高レベル、カタカナがファッション・低レベルであり、
カタカナは嘲笑的に使うことが多い。
ただし、カタカナを思想的な内容の絞りに使う場合もあるだろう。)
ただ、リアル/ネットの関係を、そのまま本気・高レベル/ファッション・低レベルの関係にあてはめる傾向はあるので、
(誤った認識ではあるが)それに沿ったものであるとして一応の説明はできそうである。
なお、リアルとの紐付けがなされにくい「ネットウヨク」においては、
その人物が所属する組織等から右翼的であるかどうかを外形的に判断することは困難である。
右翼的であるかどうかのネット上での認定は、認定をする人物のスタンスとの相対的な関係によって決定される。
(まぁ、そもそも右翼/左翼もそういうものであると言えばそれまでだが)
(3)ネットウヨ・ネトウヨ
もっとも、現在ネット上で多く使われるラベリングは、「ネットウヨ・ネトウヨ」というものである。
これは言うまでもなく「ネット右翼・ネットウヨク」を省略することで発展した言葉である。
これは、「ウヨク」から「ク」を抜くことにより、「ウヨ」という語感の滑稽さと対象となる人物の滑稽さを巧みに対応させた表現である。
ここでは、漢字/カタカナの区別によって後者を嘲笑的に表現した以上に、
より強度の嘲笑的意味が含まれている。
そして、私の経験的な観測によると、もはやそこでは右翼的な言動をしているかどうかという要素の比重は極めて軽くなる。
観測者との相対的な関係で少しでも対象者が右翼方向の言動をしており、
かつ、嘲笑されるべき言動をしていれば、それだけで「ネットウヨ・ネトウヨ」とのレッテルが貼られうることになる。
つまり、ほとんど「馬鹿・アホ」という罵倒語と同義であり、
立ち位置の僅かな違いによって「ネトウヨ/ネトサヨ」にカテゴライズされるにすぎないのである。
(右翼/左翼という思想的な対立という意味では、ほとんど空虚な概念である。)
(4)自嘲的・先回り的なネトウヨ
この「ネットウヨ・ネトウヨ」レッテルの無差別さ・節操の無さを嘲笑し、
あるいは、即座に「ネットウヨ・ネトウヨ」と呼ばれてしまうことに対する自嘲の意味で、
認定をされる側が(認定される前に)先回り的に自身(第三者)をネトウヨであると表明することがある。
(あるいは、「ネトウヨ」と認定されること自体を楽しむことがある。)
これは、『拡大する巨大組織ネトウヨ(未だ増殖中) 』というコピペを主軸に、
日々その範囲を拡大しつづけている現象であり、止まる気配がない。
人によっては、この無節操な「ネトウヨ」の拡大という現象について、
領域の拡大によるレッテルの無意味化という意図を読み込む人もいるだろう。
(思想的空虚さと相俟って、馬鹿は馬鹿だという程度の意味でしかなくなるのだから。)
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