なにもかもじゃんじゃん被災地にまわすべきだ。物資を運ぶトラックを最優先すべきだ。被災地を助けるのだ。
異議無し。当然だ。
しかし被災していない地がガソリン無しでかまわないとは思いません。
トラックじゃない車は全て“働く車”じゃないのか?“乗らなくてもいいのに乗っているマイカー” なのか?
そうではない!勝手に決めてもらっちゃ困る。
このガソリンの無い時に用もなくマイカーに乗って出かけている馬鹿はいるまい。事実、毎日見る給油待ちの縦列停車は仕事の車がほとんどだよ、ちゃんと見てみい。
私の仕事まわりでは自分の通勤用の車のガソリンがとうとう無くなって、社員数名で1台の車に乗り合わせて通勤している人が増えた。営業車を数台使っている取引先もガソリンが残っているのは1台だけになった、それもいつ無くなるかと嘆いていた。通常より車の数は減っている勘定だ。
しかしその一方で、計画停電の影響により電車で通勤できない人(いっぱいいる!)が車を利用している。
マスコミやコメンテイターが「被災地で不足しているガソリンをおまいらが給油すなっ!被災地の苦労を考えて少しぐらい不便しろ!」と正義感満々言っているね。その矛先の “乗らなくてもいいのに乗っているマイカー” は実は、仕事で乗る人に比べガソリン代の出費は痛いだろうし、いっぺん満タンにすれば当分は給油しない。日用品と違ってガソリンは満タンより多く給油することはできない。買いだめできない構造だ。
なのに、いまだ列は途絶えていない。
逆を言えばそこまで不足している表れだ。
被災地じゃないが必要なものは必要なのだ。多くは要らないが全く要らないわけじゃない。それが今は全く手に入らない状況である。
残念だがガソリンは今となっては日用品同様に群衆の確保対象になってしまったということだ。群集心理に説教は通用しない。それはおぞましくも人間の本質だから。そうあって欲しくないが歴史では証明されている。トイレットペーパーも水も群集心理が働いてのっけから買い占めされたのでその後もずっと無いのだ。首都圏の奴らはそもそも買いだめする必要はないんだよ、がめやがって! でも遺憾だがもう手遅れ。いったんそうなってしまったら波動だからね。需要供給の波がずれた。すると本当に必要な人は被災地だけじゃなくなってしまった。買い占めはいったん始まっちゃったら、その時点から不足が始まり、過剰飽和するまで止まらなくなる。その後、人々ががめたことをどう反省したって遅い。今度は本当に無いから以後がめるつもりじゃない人も奪い合いのサバイバルになる。我が社はトイレットペーパーを買いだめする気がなかったから(そんなもんまさかぁと思ってた)、昨日必要な分だけ買いに行ったら手に入らなかった。もうこれからどう拭くよ!!(笑)こうなるとホトケのような私だって次にトイレットペーパーを見かけたら両手に持てる分は買いたくなるよ(しないけどねエッヘン)。止める手立ては売り手が苦労して数量制限するしかないのだろうな。おっと話がずれすぎた。
こちとら協力は惜しまない。停電は耐えられる。食料や日用品が手に入らなくてもやりようはある。だが、ガソリンだけは話は別だ。仕事にならなくなる…。
こうして、停電・ガソリン不足・物不足=>働きにくい・仕事にならない=>生活苦、と…被災していなくてもダメージが積み重なって、力を奪っていくことに。
被災地はもっとつらい。被災地のことを思えば苦労のうちに入らない。その通りだ。そこを突いてはいない。
だからといって、働かずにあの広大な被災地を援助する力が生まれるわけないじゃないか。
このままじゃ、まるで「おぼれている人を助けに飛び込んだ人がおぼれる」ようなことになりそうだ。
おぼれている人を救うライフセーバーには体力がなければならないと私は思うのだけれど。
なお、備蓄石油を3日分とかケチケチせこく放出するなという意見を耳にした。私は産油国が鬼で石油支援に協力してくれないからだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。石油支援はこれからちゃんと届くと報道あり。すると何のための備蓄かいなということになる。こういう時のための備蓄じゃないのかと。
原発の危機については、私は書けません。書いてもどうにもならない事態になっている。生憎、海外の目はそこに向いている。国債暴落したらどうなると思う?地震と津波じゃ国民は負けやしない。しかし東電のせいで日本が滅ぶとは…これ以上想像したくないな。