CYCODELIC WEBLOG

今思った事は主にTwitterで書いています。このブログは何か余程の事でなければ書いていません。

最期まで穏やかな優しい子でした

2015-01-12 | (かつての)そこにも鳥がいます
報告します。
二代目ピーが旅立ってしまいました。
私が死んでもこんなにたくさんのお花は届かないでしょう。あの子は皆様から愛されていたとよくわかりました。

たまのブロク更新がこれかとためらいもありましたが、初代ピーの時も書きましたし、二代目ピーも登場時から書いてきましたし。旅立ちから一週間経って気持ちが落ち着きましたのできちんと締めくくろうと思います。すみませんがお付き合いください。

二代目ピーが我が家にやってきたのは、初代ピーをわずか7歳で失ったその一ヶ月半後でした。
我が家のペットロスが落ち着いてきた頃で、
それはそれは希望に満ちてましたね。
初めての幼いヒナでしたから嫁さんが上手く挿餌できず、専ら私が餌を与えました。
その結果、二代目ピーは私になついてしまい、ベ~ったりに育ちました!
これはおっさんにとって夢のようなこと。
そうです!あの子は世界でただひとり、ヒゲハゲジジイの私を気持ち悪がらず心底愛してくれた唯一の存在になりました(笑)。
頭の腫瘍でとてもかわいそうだった初代ピーと同じ過ちは踏まないという強い決心のもとに「文鳥にしてはならないことを全てしない」方針で育てましたので、二代目ピーは理想的な品行方正に。身体に良くないことは一切せず健康第一で、絶対に長生きさせるつもりでした。

それなのに、5歳で首に腫瘍ができました。
このことは以前ブログで書きましたので略しますが、
それでもここまでならまだいいですよ。だってその後は確かに順調に快方に向かっていたのですから。転移再発もなく喜んでおりました。よく乗り越えた!もう心配はいらないぞ!さあ人生これからだよ!10歳は生きようね!と思っていました。

ところが病魔は許してくれなかったのです。
1年後、今度はなぜか少しずつ飛べなくなり、
去年夏から猛禽類のくちばしに見られるカビに侵されて(なぜだと医師も首を傾げました)、
そしてその影響で舌が傷んで短くなって自分で餌を食べることができなくなり、みるみるうちに身体が衰弱しました。

これまでずっと無精卵をたくさん産むこともなく活発で体力があり好き嫌いせずいつも朗らかにしているので、てっきり私はうまく育てていると自負していました。とんでもない!振り返れば結局、二代目ピーの晩年は病魔との闘いだったと言うしかないです。
あの子は文鳥にしては珍しくあまり怒らない優しい子でしたから、もしかしたらストレスを感じていたことが多かったのかもしれません。(一般的には文鳥は気性がとても荒い)

でもね、いくら早くてもまさか今年だとは…考えもしなかったです。
ついこの間のお正月休みまではよく遊んで精一杯に楽しく暮らしてきたのですよ。
思えば昔から言われているのです、「文鳥は限界まで不調を隠したがり、元気なフリをする」って。

お正月休み明け初日の1月5日から急に元気がなくなって寝たきりになり、
1月6日午後14時52分、二日間丸まって虫の息で寝ていた二代目ピーは突然目を覚ますと、翼と両脚を大きく広げ上半身をそらして大きく背を伸ばしてから、潤んだ瞳でこちらを見たまますーっと息を引き取ってしまいました。私の手の上で。
私は少しもメルヘンな人間ではないのですが、その様子は次のように見えました。
まるで残りの命のエネルギーを一気に燃やし切り、その炎の勢いを利用して天へ向かい飛び立って行ったように見えました。
あの最期の視線はアイコンタクトで「じゃお先に」と合図をもらったような印象でした。
不思議なことにその瞳の表情からは自分の寿命に納得いかないような不満な気持ちを感じませんでした。私は寿命の長短という観念をもって初代ピーより若い6歳と10ヶ月では早すぎると惜しんでいるのですがあの子はそうではなくて遥かに純情で、こんな楽しい毎日ならもっと続けたかったとただそれだけの未練が伝わってきました。
こうして私のことを世界で一番愛してくれた一羽の小鳥はいなくなりました。
寂しいおっさんに逆戻りです。なんなら背後霊になって取り憑いてくれてもいいんだけれど。


とまぁ私の思いの表れで初代ピーの時よりもしめっぽく語ってしまいましたけれどね、
私と二代目ピーは以心伝心の仲だったと思っていますが、今まであの子からは嫌な念を感じたことが全くありません。治療の時は非常につらかったとわかるのですけれど、その他つまり日々の大部分は…、

きっとあの子は幸せな一生だと思っていたのではないかなぁ。

これは人間のエゴから言うのではなく、最期の視線もあってなにかそう感じずにはいられないのです。

楽しかったよね?ピーちゃん。




追伸

実は、二代目ピーと過ごした間、我が人生のほうはちょうど経済的にどん底でありまして、苦労の多いめちゃくちゃ大変な時期でした。でもあの子が一緒にいてくれたおかげで精神的に助けられましたね。