のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
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記憶の欠片 母と百人一首  思い出は過去ブログへ

2024年09月03日 08時21分22秒 | うたごえ

「光る君へ」ずっと見続けている ただ内容となると 私のアタマはついていけない

登場人物の相関図も複雑で 正しく回答せよと言われたら ゼロに等しい

ブロ友の ゆりさん が毎回解説を書く これが大いなる私の参考書

 

私の中の日本史は 平安時代末期から始まるのだ イイワケ(笑)

記憶にある平安時代は 雅で 女性たちが活躍する衣装も含めて美の世界

ところが 華麗な衣装はあるが 陰謀 殺人 はかりごと 妾の世界 理解できない!

 

死語ではあるが「アンチョコ」知っている方は生き残っているだろうか

あんこ チョコレートではない 教科書の他の参考書から ちょこっとメモ類

主にテストのカンニングなどにも使う この「アンチョコ」が私には 皆さんのブログだ

 

今回放送の頃に ようやく小倉山や百人一首が出てきた

藤原定家監修の? 小倉百人一首 遠い昔 私も遊んだなぁ

更に遡ると 母と遊んだかるたまで 数珠のように蘇ってくるのだ

 

 

一人で遊ぶ百人一首にはまっている

2013年02月17日 10時02分00秒 | その他

今は便利な世の中になった
いろいろなゲームも無料で遊べるし ネットの多様性も役に立つ
お金も掛からず 範囲を超えねば麻雀も全国の方と対戦できる

 

百人一首が一人で遊べる
付随して各種のゲームも付いているが 私は 百人一首で遊ぶ
ちゃんと 読み手が正統に読上げる

場には10枚の下の句が配布されている
上の句を読んでいるうちに 下の句を探しクリックする
お手つきもカウントされる

時には下の句まで読まれないと思い出せない
高校の頃は 全部覚えていて 下の句を読んで上の句を思い出せた
今は 数えるほどしか 覚えていない



亡き母は 優秀であったらしい
なにせ信州の山奥は 電気もガスも水道もラジオも無い
雪深い中で遊べるものは 百人一首とコックリさんくらいだ

平安の時代から 恋の歌 わびさびなど 歌人が読み 現代に残った和歌
源氏物語や 徒然草他 日本人は素晴らしい文化の国である
世界で こんな時代から文学が そのまま残っている国は無い



添乗員の時は 殆どガイドは居ないから 私が観光ガイドや雑学なども披露した
時にはハーモニカや 現地にあるオルガン ピアノも弾いて楽しませた
わずかでもあるが 百人一首も役に立つことがある

~陸奥のしのぶ文字すり誰故に 乱れそめにし我ならなくに~
福島郊外に信夫山があり ここに 文字摺り石がある
福島に入ると こんな説明もして ホウって感心される

~契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山波超さじとは~
仙台の北に多賀城市がある 日本最古の城があったとされる
ここに末の松山がある こんなガイドをしたものだ

一字読んだだけで 取れる札がある
む・す・め・ふ・さ・ほ・せ と覚えた 上の句の一番上の字 計7首ある
かるた大会まで行かなくても 緊張して取る醍醐味があった

家族で遊んだ記憶は数回しかない
後は 頭の中で思い出しては ゲーム感覚で遊んだものだ
今は パソコンが相手をしてくれる

何回間違えても 遅くても 繰り返し遊べるゲーム
脳トレーニングに 皆さんも如何ですか?
他のトランプゲームなども すべて無料です

 

 

この脳トレゲーム探したが 現在は廃止されたようです

 

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14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは~♪ (マイラ)
2024-09-03 09:21:09
百人一首素敵ですね。
ひとりで遊ぶこともできるのですね。私も試してみたかったけれどこのゲームはもうないとのことで残念です。
リンクしてあった2013年の記事を読みに行き、そこでゲームをクリックしてみましたがやはり何も出てこなくてがっかりしました。
信州の山奥には電気ガス水道などがなかったのですか。メキシコから来た友人たちが家に電気ガス水道がなかったと話してくれたことがありました。(メキシコの原住民です。)のびたさんのお母様が百人一首で遊ばれている様子が目に浮かぶようでした。
のびたさんも添乗員さんとして百人一首でのご案内、お客さんたちに喜ばれたことでしょう。
最後の写真、長い帯、綺麗な着物、傘、川辺で素敵ですね。
返信する
マイラさんへ (のびた)
2024-09-03 11:15:23
12年前のブログに記憶が辿り着きました
百人一首 大河ドラマ「光る君へ」を見ていますが 私には理解不足です
ゆりさんが毎回ブログで解説をしてくれますので 少しは頭に入って行くようです(笑)
百人一首は当時のいろいろの歌集から
後の方が編纂したもので カルタゲームとしても明治大正の方でも遊んでいました
極貧の山奥 馬小屋で生活したこともあります イエス様か?(笑)
そして 冬は飢餓と極寒 それから東京へ 小学校5年の時です
やはり貧しくて 納豆売りをしたり 学校は行かず 親父と屑鉄拾いで生活
長期間の登校拒否も中学で・・
でもね 恥ずかしくも 惨めでもありません 今でも笑って話して こうして書けるのです
貴重な人生経験ですね
母と百人一首したのは その中学時代
です まだラジオも買えない
テレビに至っては カラーテレビが普及する頃 ようやく白黒テレビが入りました
昼間働いて 夜は高校に これも青春の一ページです
添乗員になり ピアノも覚え 今が幸せの時代 恵まれていますね
最後の写真 京都・嵐山です
何かの撮影 舞妓さん ちょっと私も拝借した一枚です
返信する
Unknown (ミリオン)
2024-09-03 11:35:29
おはようございます。
チョコレートは美味しいですね。食べるのが大好きです。頑張って下さい。
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Unknown (suisuimedaka)
2024-09-03 14:15:36
百人一首は子供の頃、家族で遊んだのを思い出しました🤗
読み上げる母の流暢な声に聞き惚れながら探したものです🥰
昔はトランプなど家族で遊ぶものが多かったような気がします・・今はゲームなど一人で遊ぶ・・コミニュケーションが取れない子が増えるわけですね😮‍💨
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ミリオンさんへ (のびた)
2024-09-03 17:26:40
いつも応援有り難うございます
チョコレート?(笑)
返信する
suisuimedakaさんへ (のびた)
2024-09-03 17:31:57
お母様と百人一首の遊び
一緒の思い出で嬉しいですね

この頃の家庭での遊び 何かアットホームにに包まれています
添乗員時代のある家族 バスツアーでしたが 子どもはゲーム機に夢中
家族で会話している光景は 一度も無かったようです(笑)
返信する
百人一首ゲーム♪ (ラジビタはな)
2024-09-03 17:49:12
のびたさん、こんにちは。

お母さまと百人一首の思い出に心温まります。
私も同じで、母から百人一首を習いました。
ゲームを探したらなんだか出て来たので挑戦しました。
落第点でした(^^;ゲームは初めてだから。
楽しいゲームを教えてもらって良かったです。
はまりそうです(^^;
そうそう、多賀城に末の松山があったんですね♪
返信する
ラジビタはなさんへ (のびた)
2024-09-03 18:25:21
母は明治末の生まれ 格式高い血統にあったのですが 戦争中 疎開 極貧など苦労の絶えないものでした
子どもと遊ぶ ありました!
百人一首の思い出です
私が負けていたゲームです
仕方ないから 坊主捲りにして 勝ったりしたものです
ラジビタはなさんのお母様も 同じ様な時代を生きてきたのでしょうね
ゲーム ありましたか?
昨日ちょっと探してみましたが見つかりませんでした
私も またトライしてみようかな
脳トレには良いですね
百人一首は好きで 実際に自分で訪ねてみましたよ
多賀城の末の松山 公園化していましたね
最古の城の歴史もあります
信夫文字摺りは 福島市のシンボル 信夫山にありました
夕方近くになって訪れ 帰りには民家からピアノの音が聴こえてきました
しばし佇んで聴いたものです
まだピアノとは縁が遠く まさか自分が弾く時代が来るなんて思いもよらなかった青春時代でした
返信する
小倉百人一首 (うばゆり3)
2024-09-03 19:25:22
こんばんは。

かる~く書いてるものを誉めて頂いて(;^_^A
そのうち、私も百人一首を記事にするつもりです。
でも、覚えているものは少ないですよ~~ 
ああ~そういうのあったな~なんてアハハです(笑)

お母さまと百人一首の想い出はいいですね~~
私は母とは短歌を作る方でしたが、才能なくてどうにも下手で、
兄たちとカルタ・花札・トランプ・羽子板で遊びまくりました。

>実際に自分で訪ねてみましたよ

詠まれている土地に行かれたこと!!こういうことも良かったですね~~°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
返信する
百人一首は恋の歌 (慈恵)
2024-09-03 19:36:17
この内容は前にも書いたかもしれませんが‥また書きます^^
のびたさんの添乗員時代は、ガイド役も買ってでておられたのですね。(きっとご自分から進んで)このバスツアーに参加した人たちは博識の添乗員さんでさぞかし喜んでおられたでしょう。ガイド以上の仕事ぶりですもの。のびたさんも日々勉強されたのでしょうね。他分野にわたって‥。
その成果が(多方面での活躍が)世界旅行のご褒美!

私は家族で百人一首をした覚えは残念ながらありません。両親の日々は忙しく、私たち子らと遊んでくれた記憶がないのです。姉たちには遊んでもらったことはあります。それこそ、長女と末っ子の妹とは10歳の年の差がありましたので、姉たちは末の妹の面倒や家事を手伝っていましたね。それと、まだ結婚していない叔母も同居していた当時は、長女の姉は、叔母が結構育児を手助けしてくれたことがあるようです。後々叔母から聞いた話では「母乳が出ない私のオッパイを(長女の)○○ちゃんに吸わせてお守りしていた時もあった」という笑い話も聞いたことがあります。

百人一首、好きとはいえ、あまり頭に入っている歌は少ないのです、、多分百人一首のゲームをやってもビリになるかも? でも、一首だけ鮮明に覚えているのがあります。
「忍ぶれど色に出でにけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで」これだけはスラスラと読めます。
というのも、このうたを付けてのラブレター?を戴いたことがあるのです。ですが残念ながらその人は後に夫になった人ではありません。ご縁がありませんでした。(笑)
百人一首は殆ど愛の歌ですね^^

舞妓さんの後姿、かわいい~。
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