のびたとブレイク

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火の用心 さっしゃりやしょう

2012年12月29日 09時37分15秒 | その他

火の用心 ~マンションの見回り隊が グループで呼びかけながら歩く
年末恒例の防火の行事である
特に下町は この意識も高く 各町会でも取り組んでいる

夜間の寒気の中 ご苦労なことである
これによって本当に効果があるか等の 安易な批評家も居る
確かに実効のほどは分らないが 少しは意識の向上に役立つだろう

私は こたつに入って テレビを見ながら見回り隊の声を聞く
自治会が主催しているが 役員に任せて参加したことは無い
以前 隣の区の都営住宅に居たが そこでは必ず順番で参加を促される

中層の住宅だから 周辺と各階の廊下 踊り場を見回り詰め所に戻る
お茶を飲みながら あるいはコップ酒を飲みながら談笑する
地域の消防や警察が この詰め所を激励しながら廻る

何年も順番だから参加したが 大晦日まで廻ることがあった
紅白歌合戦ものんびり見たいのにと思いながら多少 心の中でぶつぶつ
さすがに 大晦日は何年かしてやめることになった



火の用心 さっしゃりやしょう~
テレビドラマの大奥の中で こう掛け声をかけていたのを思い出す
古文には詳しくないが 火の用心 お願いしますの意味らしい

ある風の強い日 殿様は家老を呼んで 防火を徹底するように指示した
家老は かしこまりましたと応え重臣に伝えた 重臣は部下に部下はまた下へ
一番下の者に火の用心が伝わる頃 城は火事で焼け落ちた

これは 土光敏夫さんの著書にある
要は 案件を噛み砕き咀嚼もせずに ただ部下に伝えても それはただの伝言だ
現代に生きるリーダーのあり方の解釈である

一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ
日本一短い手紙 簡潔明瞭の模範とされる一節
家康の家臣 本多重次が長篠の合戦陣地から浜松城内り妻に宛てた手紙である

日本で初めて 火の用心 と言う言葉が用いられたものとされる
その後 街中の者は交替で夜番をするようになる
江戸を始め 当時の家は木造で 火事と喧嘩は江戸の華とも言われた

昭和30年代まで 私たちの家は木造で アパートなど密集していた
団地が出来始めた頃は みんなの憧れの集合住宅だった
火事も少なくなったが 火の用心の見回りも少なくなっている

住民が防災 防火に その意義を忘れることなく取り組む
こうした年末の恒例行事も 住民の交流も含めて良い風習であろう

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