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越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

ロベルト・コッシーのキューバ紀行ーー2015年(7)キューバとアメリカ(その1)

2015年10月09日 | キューバ紀行

(写真:ハバナ、ベダド地区の猫、「国交回復はオイラの生活にも及ぶのかな?」)

キューバとアメリカ(その1)

越川芳明

2014年の12月半ばに、世界のマスコミは、キューバとアメリカの国交回復のための交渉を大々的に報じた。もちろん、日本のマスコミも例外ではない。それ以来、2015 年7月20日の大使館の再開まで、日本のマスコミがこれほど両国の関係について紙面を割いたことは、最近ではめずらしい。世界同時多発テロ事件以降に、キューバにある米軍のグアンタナモ基地でおきた「テロ容疑者」への拷問事件を除けば、の話だが。  

オバマ大統領は、在位中の「遺産」作りのために、54年も続いた国交断絶にケリをつける決断をしたとも言われているが、それは正しいし、正しくもない。実は、2008年に「Change, Yes, We Can(変化をもたらすことができる)」を合い言葉に大統領に就任して最初におこなった政策のひとつが「制裁の緩和」だった。2009年4月に、キューバ系アメリカ人の渡航や家族への送金を承認したのである。  

これは共和党出身の前ブッシュの「孤立政策(キューバを孤立させる)」から大きく「転換」した「関与政策」(キューバと付き合う)」だった。  私がそれを実感したのは、サンティアゴ・デ・クーバのアントニオ・マセオ国際空港でハバナ行きの便を待っていたときだった。なんと「フロリダ行き」の便の掲示があったのだ。正直、これには驚いた。2008年に初めてキューバに行ったとき、ハバナの宿にニューヨーク在住のアメリカ人が泊まっていて、国交がないから、わざわざメキシコ経由でやってきたと話していた。1962年からアメリカ人のキューバ渡航は禁止されている。  

というわけで、私は好奇心に駆られて、フロリダ行きの列に並んでいた人に、フロリダまでいくらですか? あちらへ旅行で行かれるのですか、それとも移民するのですか? などと図々しく訊いてみた。フロリダまでは片道500CUC(その頃のレートで、5万円ぐらい)、久しぶりに帰省した家族を送りにきたので、自分があちらに行くのではない、という答えだった。それはそうだ。5万円と言えば、キューバ人にとって大金である。  

そのとき、キューバ系アメリカ人には、細いながら、そうしたパイプがあることを知ったのである。ちなみに、ハバナのホセ・マルティ国際空港では、そうした光景は見られない。私たち外国人は国際便が発着するす第1ターミナルや国内便が発着する第3ターミナルを使うが、もう一つ、第2ターミナルという謎のターミナルがあり、キューバ系アメリカ人を乗せたアメリカの飛行機はそこを使っているようなのだ。  

それはともかく、オバマの「関与政策」は、順風満帆(まんぱん)とは言えないようだ。反対勢力がいるからだ。反カストロ派の亡命キューバ人は言うまでもなく、彼らの利益を代表するフロリダ選出の上下両院議員、伝統的に共産主義アレルギーの共和党など。彼らは、グアンタナモ基地の返還や「禁輸措置」解除に反対している。  

だが、微妙なねじれもある。まず、共和党の支持母体のひとつである産業・経済界がオバマの「関与政策」を後押ししていることだ。たとえば、全米商工会議所のトーマス・ドナヒュー会頭は、禁輸措置の解除を求める旨の声明をただちに発表している。読売新聞(12/19/2014)によれば、ドナヒュー会頭は、すでに春先にキューバを訪問し、国家による統制経済が弱まっている状況を視察したという。「中国などがキューバに接近するなか、米産業界には現状のままではビジネスの機会に乗り遅れるという危機感がある」というのが消息筋の見方だ。だから、共和党が「関与政策」に賛成する可能性もある。  

さらに、米国在住のキューバ人の中にも、微妙なスタンスの相違がある。かつて政治亡命したキューバ人は革命政府の転覆を目指したが、米国生まれの2、3世の世代が増えてきて、反カストロ感情が弱まっているようだ。さらに、80年代以降にキューバから逃げて来た難民は、故郷への思いが違う。60年代の亡命キューバ人にとって理想のキューバとは、富裕層が快適にすごしたかつてのキューバだが、難民キューバ人にとって、それは理想郷ではない。革命後に、自分たちが受けることができた教育や治療のことを思えば、貧困に喘ぐことさえなければ、革命以後のキューバの方がいいのだ(1)。

註1 伊藤千尋『反米大陸』(集英社新書)によれば、「マイアミのキューバ系市民90万人のなかでも、革命直後の60年代にアメリカに逃れた政治亡命者は、今や少数派だ。80年代に押し寄せた経済難民や、90年代以降の『出稼ぎ』が、今は多数派を占める。亡命者の子どもたちは、自分をキューバ人でなく、アメリカ人だと考えている。経済難民や『出稼ぎ』は、本国の家族に送金し、年に一度は帰国する。キューバを訪ねるキューバ系アメリカ人は、年間約12万5000人にも上っている。彼らのほとんどは、アメリカによるキューバ経済制裁に反対だ」(189ページ)

(参考) 米国とキューバの最近の関係

2013.6~11 カナダで互いの工作員の釈放をめぐって、両国が秘密交渉

2014.3 オバマ大統領、バチカンでローマ法王と会談

2014夏 ローマ法王、両国首脳に親書、人道問題の解決をうながす

2014.7 プーチン露大統領、習近平中国国家主席がキューバ訪問。とくに、習国家主席は、自国の艦艇(ミサイル駆逐艦)の派遣を確認。のちにキューバがそれを撤回。

2014.10 ローマ法王、両国代表団を招待。 

2014.12.16 両国首脳、国交正常化交渉開始をめぐって電話交渉。政府高官による発表

2014.12.17 両国首脳による声明

2015.1.12  キューバ、政治犯53人の釈放完了

2015.1.21.~22 第1回両国高官協議(ハバナ) キューバ移民問題(米、脱出者の受け入れ)

2015.2.27 第2回両国高官協議(ワシントンDC)

2015.4.11 米州首脳会議の開かれているパナマで、キューバ、アメリカ両国首脳会談

2015.4.14 オバマ大統領、議会に、キューバの「テロ支援国の指定」(1982年~)の解除を通知。

5月29日に解除が発効。キューバへの軍事物資輸出禁止、経済援助禁止、国際金融機関の融資規制などが解除。ただし、「キューバ経済制裁強化法(ヘルムズ・バートン法)」*などによる制裁は継続。

2015.3 EU外相、キューバ訪問。カストロ議長らと会談

2014.4 スペインの財界代表団、経済界の幹部を連れてニューヨーク州知事がキューバを訪問。 英国とキューバが経済協定締結。

2015.5.2 日本の岸田外相、キューバ訪問。ラウル・カストロ議長と会談。商社や金融、医療など、日本企業20社25名も同行

2015.5 オランド仏大統領、キューバ訪問。カストロ議長と会談。「(米国の)制裁解除に向け、できるかぎりのことを行なう」と述べる。

2015.5.19 キューバ政府、米国内で銀行口座を開設。

2015.7.20 米国、キューバ国交回復。54年ぶりに互いの大使館を再開。

2015.8.14 ケリー米国務長官、キューバ訪問。

2015.9.29 米国、キューバ両国首脳が国連本部で会談。

* 「キューバ経済制裁強化法(ヘルムズ・バートン法(1996年) 」キューバ革命で米国民から接収された土地や資産への投資など経済活動を行なった外国企業の役員や家族の米国入国を拒否する条項などを持つ。第三国にキューバへの投資をさせないため。解除には、米議会の手続きが必要。

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ロベルト・コッシーのキューバ紀行ーー2015年(6)長蛇の列

2015年10月09日 | キューバ紀行

長蛇の列    

(写真:マリアナオ地区の小学生たち)

越川芳明

ハバナでは、人々が道で大勢たむろしている風景をよく見かける。   

日本では「長蛇の列」と言うが、だいたいまっすぐ並ぶ方式である。キューバ人は同じ蛇でも、大雑把にとぐろを巻いている感じである。バス停でもアイスクリーム屋でも、仮に大勢の人が待っているところへ行くとしよう。キューバ人ならば、必ず「ウルティモ?」と、大声を張りあげる。  

最後の人は誰ですか? という意味だ。自分より一つ前で待っている人が誰であるかが分かれば、どこか日陰を見つけてそこで待てばよい。炎天下できちんと列を作って、いつ来るかもしれないバスや自分の順番を待っているより、ずっと合理的だ。そういう意味では、キューバ人(ハバナッ子)は、ラテンアメリカの中では、情に訴えるより、割り切ったモノの考え方をする人たちかもしれない。  

数年前のこと。キューバの大学から研究者ビザ用の招聘状を送ってもらい、東麻布のキューバ大使館で三カ月滞在のビザを作ってもらった。だが、ハバナの空港の税関では一カ月分の滞在しか認めてもらえなかった。市内の税関事務所で更新の手続きをすれば、問題ないと言われた。そこで、期限が切れる一週間前に町の税関を訪ねると、例によって大勢の人が待っていた。  

ようやく自分の番が来たと思ったら、この件では別の税関に行かないといけない、と言われた。そこで、そちらの税関に行ってみた。そこでも大勢の人が待っていた。ようやく自分の番が来た。思ったら、こんどは大学の国際課に行くように言われた。人に道を訊きながら二つの税関をはしごしても、まったく進展がなかった。がっかりすると同時に、不安にもなった。  

社会主義の官僚制は最悪だ。グティエレス・アレア監督の『ある官僚の死』(1966年)という映画では、叔父の死体の埋葬をめぐって、役所のたらい回しの犠牲になる主人公が登場する。そうした役人たちの体質は何年経っても変わらないのだ。役所では、仕事柄、業績主義を取りにくい。市民に喜ばれるどんなに立派な仕事をしたところで、給料や昇級には影響しない。上司に喜ばれる仕事をする者だけが得をする。それは多かれ少なかれ資本主義社会でも同じかもしれないが、市民の声を聞くシステムのない社会主義社会では、権力のピラミッドの底辺に質(たち)のわるい小役人たちが跋扈する。上司には楯を突けないので、市民に対してわざと仕事を遅らせて意地悪をする。意地悪をしたところで、罪に問われないのだから平気である。力の弱い市民は、心づけという名の賄賂を渡して、仕事をしてもらうことになる。  

長蛇の列と言えば、最近では、ハバナのオビスポ通りの「エテクサ」(キューバ電信電話公社)のオフィスの前は、いつも黒山のような人だかりである。電話回線を引きたい人、インターネットをやりたい人、携帯電話を始めたい人、電話代を払いたい人などが、いろいろな目的で道路に群がっている。でも、いちばん多いのは、携帯電話を始めたい人だろう。  キューバ人は待つことに対して、合理的なモノの考え方をすると同時に、 相当に我慢強い印象を受ける。待たされることに慣れているというべきか。  

実は、私たちも、携帯電話のない時代には待つことを厭わなかった。たとえば、私たちは学生時代、駅前で待ち合わせをして、30分や1時間ぐらい待っていても平気だった。ご親切にも、駅には小さな黒板があって、「5時半まで待ったが、先に行くぜ。YK」とか、書き置きをしたものだ。40年前のことである。  

いま、キューバでは急速に携帯電話が普及してきている。市民の時間感覚も、当然、変化するだろう。やがては待つことに我慢できなくなるかもしれない。  

「ほかのラテンアメリカの国では、「アオリタ(英語でナウ)」というと、「いま」を意味するけど、キューバでは「アオリタ」というのは、「あさって」を意味するかもしれない」。キューバの友人はそう言って、キューバ人の時間感覚を笑う。  

ということは、あの小役人は、仕事を遅らせて私に意地悪をしたのではないかもしれない。そうした緩い時間感覚の中に生き、私みたいにあくせく仕事をすることに意味を見いだせなかっただけなのだろう。

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