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越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

書評 古川日出男『聖家族』

2008年11月08日 | 小説
身体に刻まれた「歴史」の痕跡――古川日出男『聖家族』
越川芳明

「東北」は南か?

 この小説、北から青森、秋田、岩手、山形、宮城、福島の六県を舞台にした、時空間軸をSF的に飛翔するおそろしく分厚い「ロードノベル」を読みながら、ぼくは古川日出男の書く「東北」って、ずいぶん「南」っぽい、と感じていた。

 「東北」が「とうほぐ」と登場人物の声を借りて発音されるとき、なおさらそう感じるのである。そして、それがこの小説のすごいところだ、と思った。その理由(わけ)から話そう。

 たいていの日本人は、東北が首都のある東京から見て東北の方角にあるから東北と呼ばれていると思っているにちがいない。でも、日本の他の地方は、そういった方角では呼ばれないのに。たとえば、九州は日本の「南部」とは呼ばれないし、まして鹿児島や沖縄は、方角ですべての地域をしめす米国にならって、「深南部(ディープ・サウス)」などとは呼ばれない。なぜ東北地方だけが、方角で呼ばれるのか?

 それは、一口でいってしまえば、そこがただの地方ではないからだ。そこは中央から見て「鬼門」として、アイヌの北海道、南の沖縄と同じように、日本の歴史のなかではげしく周縁化(差別)されてきた土地であり、その土地に住む人々は違うコトバを話す異人種として、時の支配者に従わないものとして、中央政府から絶えず懼れられてきた存在だったからだ。そのため、平安以降たびたび、「征伐」が行なわれ、「東北」は迫害される。

「海に蔵(しま)われたもの。地に埋められたもの。歴史はさまざまな形で埋蔵さている。だから、『日本』史の欠片(かけら)は。葬られずに、再興のために埋蔵されもいる」(536頁)

 歴史上何度も裏切られてきた東北の、埋蔵された歴史を中央の視座ではなく、東北の視座で語り直す。あるいは、「とうほぐ」のコトバで日本史を語り直す。

 古川日出男がそう意図したであろうこの小説を読みながら、ぼくがイメージしたのは、15世紀末に端を発するヨーロッパの植民地政策でアフリカから根こそぎにされて新天地アメリカ(南北アメリカおよびカリブ海の島々)に奴隷として連れてこられた人々の、いわば歴史の敗者であるかれらの末裔が、自分たちのコトバで語り直した「世界史」あるいは「世界文学」だった。

 通常、それらの文学は、世界の南北問題にメスをいれる「ポストコロニアル」の文学と称されているが、それは「南」の敗者の視座から語られるものだ。勝者(征服者)でないがゆえに、文献という歴史学者が珍重する武器がない。

 その代わりに、それらが武器として使うのが敗者の家に伝わる口承伝説だ。伝説といっても、体系があるわけではない。むしろ、断片の集積であり、だからこそ、そうした断片を文学者(思想家)の想像力によって、一つの物語という「体系」に鍛えあげる力業が要求される。

 マルチニーク出身の「ポストコロニアル」の文学の重要な思想家(文学者)であるエドゥアール・グリッサンはそうした方法論を「痕跡の思想」と呼んでいる。

 「痕跡は地球の隠された表面の彼方で、かくも遠く、かくも近く、ここ-かしこで、生き残りの場の一つとして、ある者たちによって体験されてきた」(14頁)

 「痕跡とは枝と風を学ぶ不透明なやり方だ。自分でありつつ、他者へ流れつく。(15頁)

 「痕跡の思想はシステムの隘路から遠く離れたところへ行くことを可能にする」(15頁)
   (『全-世界論』恒川邦夫訳、みすず書房、2000年)

 それは、かつてのヨーロッパの帝国のように(あるいは、19世紀末から現在まで覇権主義を貫くアメリカのように)、他者を征服することで世界の中でおのれの特殊なアイデンティティを確立するのではなく、他者と自己の中に「雑種」の要素(関係性)を見いだすことで「他者」と手を結ぼうとする思想だ。

 古川の小説は、後で述べるように、必ずしも、正面切って「他者」と手を結ぼうとする人物たちを主人公としているわけではないが、しかし、そこに明確に示されているのは、「とうほぐ」が決して一枚岩でなく、人と文化が混じりあった土地であるということ、歴史上、その中に勝者も敗者も混在したこと、そうした混在の歴史が抹消されるのを防御しようとする意思だ。

 確かに、「南」の文学は「敗者」の歴史の掘り起こしをめざす。この小説でも、「北の端には南の端が孕まれていた」(40頁)と比喩的に表現される、明治初期における福島の会津藩士の青森への流刑(いわば、侍ディアスポラ)や、昭和四十年代の秋田の八郎潟(現在の大潟)の埋め立てによる開墾や入植政策と同時にしめされた政府の減反政策など、中央によって翻弄されてきた「敗者」としての東北の歴史が語られる。

 しかし、それでは、従来の「正史」を裏返しに語っただけで、ぜんぜん面白くない。東北がただ恨みつらみをいい募っているだけだから。だが、この小説のすぐれたところは、最近の学術調査によって、北の端にアイヌの北海道だけでなく、遠く中国や朝鮮半島とも交流(人と物)があったと立証されつつある、青森の津軽半島の「十三湊(とさみなと)」を取りあげて、もう一つの「とうほぐ」を妄想する点だ。十三湊は、鎌倉時代に豪族安東氏の拠点だったとされる。
 
 「十三湊の支配者は、この日の本を管掌する『日之本将軍』として室町幕府に承認されていた。武士団を率いる、土豪であった。ただし和人であった。にもかかわらず蝦夷(えみし)の血を引いた氏族だと、自ら主張し、系図も操作した。圧倒的な海上勢力を有して、この土豪は日の本に君臨した。
 アジアの東北にして『日本』の東北に」(124–25頁)

 「十三湊は超(傍点)国家的な東北アジアの商都としての顔も持ち、雑多な人々が混住しながら繁栄していた。和人にアイヌ、そして大陸の出身者。当時、大陸の王朝は明(みん)で、だから十三湊にいたのは明人だった。異民族の雑(ま)じる都だった。それがヒノモトの都だった」(597-98頁)
 
 さらにいえば、なぜか米国「南部」の黒人の話す英語(ある意味でクレオール化した)を東北方言で日本語に翻訳する「伝統」も日本にはあり、たとえば、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』の黒人逃亡奴隷ジムの南部方言は、東北弁で訳されて、一部から何で東北弁なのか、東北を差別するのか、と批判されたりもしたが、それは訳者(あるいは作者)が差別に無自覚なだけであって、しかし、東北方言を古川のように自覚的に使えば、逆にそれは文学の武器にもなりうる。

 この小説も、ところどころで、東北弁がまじり、物語の断片がさらなる物語の断片を生み、自己増殖する「南」の「ポストコロニアル」の文学の方法論に基づいている。古川のコトバをもじっていえば、「んだから易々(やすやす)ど、空間の縛りさ超えっぺ」

多文化主義的な東北

 東北を旅していて、すぐに気づかされるのは、山形の「そば味噌」のように、調味料に独特の味わいがあるということだ。それらの重要なレシピの一つであるトウガラシが古くに人と共に朝鮮半島からやってきたということがすぐに我々の脳裏に喚起されるが、この小説でも、東北各地を放浪する兄弟が繰りひろげるご当地ラーメン談義の中に、異文化をみずからの懐に取り込んできた「多文化主義的な東北」の実態がひそかに語られている。

 一見外国など縁のなさそうなただの田舎町にすぎない(と思える)喜多方や白河などに、どうして異常なまでたくさんのラーメン屋が存在するのか。それは、従来の日本にはない味、あるいは新しい複雑な味を好む秘かな歴史があるのではないか。

 食べ物や道具をはじめとする文化は人と共にやってくる。だから、多文化主義の「とうほぐ」には、外国から来た人々もいた、と仮定できる。東北には、異人(まれびと)や異類、天狗、忍び、山伏、なまはげなど、外地からやってきたと想像される存在にこと欠かない。

 この小説で、重要な二つの家柄がこれにあたる。すなわち、青森のヤシャガシマ(あえて漢字をあててみれば、夜叉が島か?)の「狗塚」一族と、会津は郡山近郊のハチランシャマ(こちらは、「八亂射魔」と記されている)の「冠木(かぶき)」一族だ。

 いみじくも冠木十左が、鎧をかぶせたように瘤のできた自分の指に気づいた狗塚カナリアに、「この指は、歴史だ」とつぶやくように、どちらの一族も、明朝に中国から追放され、朝鮮半島をへて津軽に辿りつく劉達に流れをくむ拳術の血筋を有する。いわば、「歴史」を男の身体に刻み込んだ一族である。

 そして、女の役割はひたすらその血の「歴史」を継続させること、つまり孫を作ることに注がれる。狗塚家の白鳥(はくてう)が孫の雷鳥(らいてう)にいったという。「ヤシャガシマはこの世の中心」だ。「血統はね、絶えなければそれでよい」(54頁)と。

 なぜなら、かれらの歴史は日本の「正史」になることはなく、かれらの身体でしか継続できない「稗史(はいし)」だから。 

 この小説は、東北に渡来した異人(まれびと)の系譜に連なる人々の身体に刻まれた「歴史」の掘り起こしとも呼べるのだ。

 異人は、烏、犬、猫など鳥獣類と近親性があり、畏怖されると共に忌避される。この小説では、狗塚一族の末裔に三人きょうだいがいて、末の娘カナリアの上に長兄の牛一郎、次兄の羊二郎がいる。牛一郎は犬とりわけ白い犬と仲がよく、その犬に導かれて、危機を脱することができる。だから、犬の痛みも体感できる。

 日本史において、犬は異類として象徴的な存在である。大切にされすぎる時代(「生類憐れみの令」の江戸の綱吉政権下で)もあれば、ないがしろにされる時代もあったらしい。

 たとえば、本書は、狗塚一族の兄弟の会話の中に、その歴史を忍び込ませている。たとえば、戦前の話。

 なあ、羊二郎(どうしたの、兄さん?)ほら、この記述(これは、新聞だね。昭和の十九年の)十二月十七日の、朝日新聞の(犬の記事だね)悲惨な(悲惨な、犬の記事だね)そうだ。軍需省の化学局長と厚生省の衛生局長の連名で、地方長官宛に通牒が出された。出されたんだそうだ(犬の・・・犬の・・・)軍用犬と警察犬と天然記念物指定犬と登録猟犬を除いて、飼われている犬はのこらず献納されなければならないって。一頭のこらず(買い上げられるんだね。大(傍点あり)は三円。小(傍点あり)は一円)買い上げられる。もちろん強制的に(それから?)それから?(どうなるの?)
 殺されるよ。
 (殺される)
  毛皮がほしいんだ。
 (犬の毛皮)
 軍需物資だ。それが。殺されて皮を剥がれる。報国のため・・・国家に報いるために(それは犬の国家?)違うよ(違うの?)人間(ひと)の国家だよ(ヒトの?)日本人の(日本人の、ニホン?)帝国だ。大日本帝国だ。その聖戦だ(それは犬の聖戦?)違うよ」(383頁)

 ぼくはこのSF的想像力にみちた大作を読みながら、その各所にはめ込まれた日本史の「事実」らしきものは著者が丹念に調べあげたものだということを疑っていなかったが、この箇所だけは著者が空想で作りあげたエピソードなのか、それとも「史実」に基づくものなのか、気になった。そこで、図書館で朝日新聞の当該箇所を調べてみた。

 すると、昭和19年12月に、日本政府は、つぎのようなおふれを出していたのが分かった。「畜犬の“献納運動” 各地で買上げも行ふ」の見出しで以下のような記事があった。

 「軍需毛皮革の増産確保、狂犬病の根絶空襲時の危害除去をはかるため全國的に野犬の掃蕩、畜犬の供出の徹底を期することになり、軍需省化学局長、厚生省衛生局長の連名で各地方長官あて十五日附通牒を発した、軍用犬、警察犬、天然記念物の指定をうけたものおよび猟犬(登録したものに限る)を除く一切の畜犬はあげて献納もしくは供出させることとし、二十日から明年三月末日までに畜犬献納運動を断續的に実施させる

 献納、供出についてはあらかじめ町會、隣組常會を通じて趣旨の徹底を圖り、日時と場所を指定して献納の受入、供出の買上げを行ふが、買上価格は一頭につき大が三円、小は一円見當とする、なほ軍用犬、猟犬、警察犬などは一斉検診を行つて狂犬病豫防注射を行ひ、狂犬病の疑あるものは強制的に供出させる畜犬繋留期間中(各都府縣で公示)放置してある犬はすべて野犬とみなして捕獲されるから注意が肝要―」


 ここにいたって、ぼくは煌々と明かりのついた図書館のなかで、そこだけ真っ暗な異次元の場所に追放されたかのように、おそろしくなった。「妄想のとうほぐ」は、決して古川日出男の「妄想」ではなかったからだ。そして、この小説に完全に脱帽していた。
 
 「その書名が記載された公文書、あるいは史書や年代記はございません。これは公式(おもて)の歴史ではありませぬので。しかし非公式(うらがわ)の歴史においては、これは一部の年代記編者らの一門や賢者たちの師資相承(ルビ:ししそうしょう)、組合に属さぬ物語り師たちの口伝などによって、ふさわしい名をあたえられております。すなわち『災厄(わざわい)の書』です」(『アラビアの夜の種族』角川文庫(I)、47頁)

 すでに古川日出男は、出世作となった『アラビアの夜の種族』(2001年)のなかで、征服者ナポレオン軍に追いつめられたカイロの一貴族の家来アイユーブのコトバで、埋もれた「稗史」の再興を語っていたのだ。
 史実と想像力を縦横に駆使した「妄想のとうほぐ」の稗史は、3年にわたって書き継がれ、ついにここに完成を見たのだ。今後、この小説を無視して「東北」の歴史を語ることはできないだろう。

(『すばる』2008年12月号、281-85頁)


書評 J.M.クッツェー『鉄の時代』

2008年11月07日 | 小説
白人老女と浮浪者の目から
J.M.クッツェー(くぼたのぞみ訳)『鉄の時代』(河出書房新社)
越川芳明

 本書は1986年の南アフリカ共和国のケープタウンを舞台にしているが、アパルトヘイトに撤廃されるのが1993年のことだから、この国がまだ混乱の最中にあった時代を扱っていることになる。のちに大統領になるマンデラもまだ獄中に繋がれている頃の話だ。

 学校でのアフリカーンス語の強制に反発した黒人学生の授業ボイコットに端を発し、警察によって武器を持たない黒人学生が射殺されたりした、いわゆる「ソウェトの蜂起」は、それより10年前のことである。この小説は、そうしたきな臭い時代を、その理不尽かつ差別的な制度の恩恵を受ける一般白人市民の目から捉える。

 主人公(語り手)ミセス・カレンは七十歳の白人老女。かつて大学でラテン語の教師をしていたらしいが、いまは黒人の家政婦フローレンスを雇い、独居生活をしている。ハイブラウな職業柄、彼女の語る物語はウェルギリウスの詩や古代ローマの言い回しをはじめ学識にあふれていて、まるで「講義」のようだ。

 だが、それらは身近にいる黒人たちの心には入らないし、かれらから返ってくるのは、「沈黙」でしかない。もっとも身近な黒人たちの現実ついてまったく無知なせいで、彼女の学識は、まるで実のならない果実の木のように、かれらからありがたがられない。

 老女自身はたぶん乳癌を患っており、片胸を手術で失っている。この小説は、十年前に米国に逃げた娘に当てた「遺書」という形式をとる。その中で老女は面白いことを言っている。

 娘はアパルトヘイトを嫌って国外に脱出したのだが、それは決して亡命とは呼べない、自分こそが国内で亡命しているのだ、と。

 彼女にそうした認識をもたらしてくれるのは、白人からも黒人からも「人間のクズ」として白い目で見られる社会的アウトサイダー、浮浪者のミスター・ファーカイルだ。かれは彼女の庭に居候をきめこみ、彼女のぽんこつ車を押すという労働を得て、つねに彼女のドライブに付き添う。

 本書は、またの名を「メタモルフォシス(変身)」と呼んでもいいかもしれない物語だ。この小説は、老女の大きな精神的変化を扱っていて、彼女が通常の境界を越えて黒人居住区(タウンシップ)へと越境し、そこで初めてこの国のジャージャリズムがまったく伝えていない警察による黒人少年への暴力事件を目の当たりにして、次第に目覚めていくプロセスを追う。

 彼女は自らの家に逃げ込んだ黒人少年を守ろうとして警察に抗議し、撃ち殺された少年のことを「わたしはあの少年とともにある」と告白するまで変わる。

 アパルトヘイトを死守しようとする白人支配層も、それに断固反対する黒人側もすべて原理主義の「カルヴァン派」のように「鉄の時代」に生きているなかで、唯一、アル中の浮浪者と死に行く老女だけが、鉄を溶かす柔軟性を持つ。著者は、そこに変化する南アへの期待をこめたにちがいない。

(『Studio Voice』2008年12月号、112-13頁)


書評 上野清士『ラス・カサスへの道』

2008年08月10日 | 小説
先住民の「心」で、世界史を考える
上野清士『ラス・カサスへの道』(新泉社)

越川芳明

 歴史が、活字メディアを操る者たちによって記(しる)されるものだとすれば、そうした手段を持たない者には歴史は存在しない。だが、弱者のための歴史を書こうとする「良心」の人もいる。

 ラス・カサスとは、大航海時代のコロンブスと同時代の人であり、そんな反権力の人だった。カトリックの司祭として「新世界」に赴くが、「征服者」たちの残虐非道の行ないを目にして、それを国王やヴァチカンに訴え、先住民の「保護官」に任ぜられた。

 かれは教会の内部にとどまらず、第三世界の都市スラムの貧者と行動を共にする20世紀の「解放の神学」の神父たちの遠い祖先でもあったわけだが、晩年は執筆活動に専念し、インディアス(新大陸)の<発見>の歴史を書いた。

 著者はラス・カサスの残した布教の足跡を生地スペインからたどり、カリブ海のエスパーニャ島、キューバ島、中米地峡(パナマ、ニカラグア、エル・サルバドル、グアテマラ、メキシコ、ホンジュラス)、南米(ベネズエラ、ペルー)へと旅する。

 しかし、これはラス・カサスのテクストに導かれた、ただの歴史探訪の書でもないし、ラス・カサスを聖人扱いする伝記でもない。著者の関心は、現代の被征服者の生き方にある。各章には、これらの国々の政治問題や民族・宗教問題へのスパイスのきいた論評が差しはさまれている。

 とりわけ、後半のグアテマラの章では、カトリック教会とラス・カサスの限界についてきびしい批判をする。メキシコをはじめ中米に十四年暮らし、思考をめぐらしてきた著者の行き着いた地点は、キチェ族をはじめとするグアテマラの先住民やインディオの視点であり「心」だった。

 著者は、グアテマラの各地にあるカトリックの教会で「濃密な異教的気配」を感じ取り、そこにカトリック教会がそっくりそのまま移植されたわけではないことを理解する。

 先住民はこの五百年間に、「『平和的布教』で生じた隙間をたくみに活かして、祖先の霊を彼らの宗教体系のなかで生きながらせた」と、著者はいう。

 本書は、欧米による支配の歴史のみならず、ペルーのフジモリ問題をはじめ、被征服者の視点から民族や宗教の対立をめぐる現代世界の矛盾を考える格好のテクストである。
(『時事通信』による配信原稿に、若干手を加えてあります)
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上野清士(うえの・きよし)1949年埼玉県生まれ。ジャーナリスト。著書に、『フリーダ・カーロ 歌い聴いた音楽』(新泉社、2007年)、『南のポリティカ 誇りと抵抗』(ラティーナ、2004年)など多数。


グアテマラの先住民のミスコン<ラビナ・アハウ>



「アルタ・ベラパス州の州都コバンで毎年七月下旬に行なわれるミス・インディへナ女王コンテスト「ラビナ・アハウ(王の娘)」に三年つづけて通った。このコンテストについて、リゴベルタ・メンチュウは本のなかで、「(民族)衣装を見てきれいだとは言うが、それはお金になるからで、中身の人間にはなんの値打ちもないのだ」・・・と批判していた」(上野清士、上掲書320頁より)


上野清士『ラス・カサスへの道』の関連サイト
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/123e9d2b82c72f1eeeec5539aa116ed7

http://www.amazon.co.jp/ラス・カサスへの道



書評 今福龍太『ミニマ・グラシア 歴史と希求』

2008年08月04日 | 小説
瓦礫の視点による<反歴史>の書
今福龍太『ミニマ・グラシア 歴史と希求』(岩波書店)
越川芳明

 本書のタイトルはささやかなる恩寵とも、小さな感謝とも受け取れる。

 著者自身が「自分にとってもおそらくもっとも倫理的な態度のもとに書き継がれたテキストを収めた」と断言する本書は、文化人類学者としてのありきたりの領域を越えて、文学や芸術の分野から「政治的な」発言をしようとする意思に貫かれている。

 それは、おそらく9.11以降の超大国アメリカによる独善的な軍事侵攻やメディア戦略によって、われわれの想像力がどんどんやせ細っていくことに対する著者の苛立ちをバネにしているようだ。

 というのも、世界を善と悪、敵と味方で単純に峻別するような政治言語や、衝撃的な映像を何度も繰り返すことでわれわれの視覚を鈍化させるマスメディアのやり方では、痛みや苦しみの感覚すらも鈍化させることになり、「他者」へのまなざしが失われるからだ。

 それらの平板な言説や映像戦略に対して、著者の取る姿勢は「歴史について思いをめぐらすことは死について思いをめぐらすことである」と語るソンタグにならって、死者の側から現実を見やる「反歴史」の姿勢だ。

 著者は、政治ジャーナリズムが絶対に持ち得ない瓦礫の想像力(ベンヤミン)や植物のヴィジョン(ソロー)や砂漠の思想(ジャベスほか)を援用しながら、世界の陰影を読み取っていく。とりわけ、人類の文明が廃墟を内蔵するという論点は重要だ。それは9.11の事件を事象として捉えるジャーナリズムの視点を越えるものだから。

 たとえば、第二部の「戦争とイーリアス ソローからヴェイユ」と題された、スリリングな論考では、勝者も敗者もなく、戦争や破壊の悲惨さを冷徹に描いた芸術家や詩人による公正な視線が示される。『イーリアス』のホメロス、『ウォールデン』で有名な自然観察者のソロー、ナポレオンのスペイン侵攻を描いたゴヤ、スペイン内戦に参加したシモーヌ・ヴェイユを経て、ヴェイユの同時代人で亡命ユダヤ系ウクライナ人のラシェル・ベスパロフへとたどる<暴力芸術>の系譜。

 そうした異例のジャンル横断の方法論は、著者によって、「即興的な時間錯誤と空間錯誤の方法」(291)と呼ばれるが、まさしくボーダーの想像力に導かれた方法論ともいうべきものだ。

  世界のどんな辺鄙な場所で起こった映像を瞬時に世界中に伝えるマスメディアの「世界同時性の強迫観念」や紋切型の現実像に対峙するかのように、著者は写真、絵画、文章、詩などの異なる分野で、みえざる地下水脈に満々たる水をたたえている芸術家たちを掬いとってくる。芸術家とは、自然や現実を変形する自由を用いて、固有の出来事の表層の下にある人間の普遍性をわれわれに伝えるものだから。
 
 本書で何度も特権的に扱われるソンタグやベンヤミンを別格にして、文学の世界では、フアン・フェリーペ・エレーラ、ギーエン、インファンテ、アレーナス、シモーヌ・ヴェイユ、ソロー、カネッティ、ジャベス、アビー、チャトウィン、ドルフマン、ブロツキー、ジョイス、ハックスリー、パス、石牟礼道子、金芝河など、写真では、東松照明、ジェイコブ・リース、レオ・ブランコ、コミックでは、アート・スピーゲルマン、映画では、カサヴェテス、メカス、絵画では、ゴヤ、レオン・ゴラブ、フェルナンド・ボテーロなどが、時代と国を越えて「反歴史」の歴史を構築すべく参照される。
 
 それらの芸術家たちの作品は、著者がわれわれと分有することを希求する歴史の「恩寵」であり、「感謝」の徴にほかならないからだ。
(『すばる』2008年9月号に加筆修正)


自分自身の独裁者――フィデル・カストロのイメージ

2008年08月02日 | 小説
自分自身の独裁者――フィデル・カストロのイメージ
越川芳明

<アメリカ合衆国の中のキューバ>

 もう四、五年前のこと、ロサンジェルスに住むメキシコ系(バハカリフォルニアのエンセネーダ出身)の友人Sに連れられて、朝飯をとりに近くのキューバ・カフェに行ったことがあった。
 Sのアパートもそのレストランも、ダウンタウンの近くのエコパークという廉価な住宅地にあった。Sの住む二階建ての建物の一階には、Sのやっている「画廊(ワークショップ)」のほかに、エルサルバドル出身の女性のやっているペットショップ、ソノラ(メキシコ)出身の老夫婦のやっているミニスーパー、夫を亡くして二人の子供と住むミチョアカン(メキシコ)出身の女性のタコスの露店などがあり、まわりを見まわしても、北米のラティーノを形成している民族は一様ではなかった。
 キューバ・カフェに入ると、Sはカウンターの老バーテンダーにスペイン語で話しかけた。すると、老人はそんな挑発には乗らないよ、というかのように、首を横に振った。
 Sは僕に英語で、かれらキューバからの移民にキューバの現状やカストロのことを話させると、悪口が止まらないなくなるから面白い、と言った。
 それから数年後、僕はマイアミのリトル・ハバナとして有名な八番通りのキューバ・レストラン<ベルサイユ>に行き、夕食をとろうとした。折から州知事選挙のまっただ中で、最後の日曜日ということもあり、食事をしていると、そのうち外が賑やかになった。すると、共和党の候補者がテレビカメラや運動家たちと一緒に店に入り込んできた。いうまでもなく、亡命キューバ人はカストロとその革命政権を嫌っており、ブッシュ政権の絶大なる支持者であり、その右翼グループ<キューバ系アメリカ人財団 CANF>は、カストロ政権の転覆をはかって、議会に圧力をかけるロビー活動グループである。
 キューバ出身の亡命作家、レイナルド・アレナスはそんなマイアミを『夜になるまえに』の中で、「キューバ島の幽霊」(377)と呼んだ。なぜなら、カストロ政権下でホモセクシュアルを唾棄するマチスモの伝統を逃れて、せっかく異国にやってきたのに、むしろ亡命キューバ人たちの土地は、キューバ以上にマッチョの街で、ゲイ作家には「キューバのカリカチュア」(377)すぎなかったからだ。
 最近は、海外でカストロをめぐる出版物がいろいろと出版されたり、カストロ自身が海外のマスメディアに露出していたりするとはいえ、カストロの「実像」は、依然として不透明だ。
 ここでは、カストロのイメージを形づくるのではなく、作られたさまざまなイメージの差異を紹介してみる。そこから、カストロとその政権の功罪を迫ってみたい。

<「革命の指導者」のイメージ>

 同じキューバ革命の功労者なのに、アメリカ合衆国の中のフィデル・カストロのイメージは、チェ・ゲバラよりはるかに分が悪い。
 七〇年代に、メキシコ系アメリカ人がみずからの公民権運動を自民族中心主義から、先住民や黒人など他の国内の有色マイノリティや、アンゴラやキューバなど「第三世界」との連帯をうたった国際主義へとシフトさせたときに、かれらの運動の傍らに掲げられたのはゲバラのイコンであり、フィデルのではなかった。もちろん、カストロも「国際主義」を掲げて、アンゴラにキューバの兵隊を送っていたにもかかわらずに。
 一九七一年の「パディージャ事件」の影響かもしれない。事件は反体制をめぐるカストロ政権の闇を世界に知らしめた。詩人のパディージャを投獄し、強引に「改心」させた。そのため、サルトル、バルガス=リョサ、イタロ・カルビーノなど、ヨーロッパや南米の文学者が共同でカストロに公開質問状を送りつけた。かれらはカストロ政権下のキューバに対して、微妙なスタンスを取るようになる。革命政府は認めても、カストロ政権のよる文学者への弾圧に反対するという意味で。
 アメリカの映画監督オリヴァー・ストーンが行なった画期的なカストロ・インタビューがある。そのドキュメンタリー映画『コマンダンテ』(二〇〇二年)の中で、カストロは面白いことをいっている。自分のオフィスで働きづめでスポーツしたりや娯楽に割く時間がないことを、ストーンが「まるで囚人のようですね」というと、カストロは「そうだ。私も囚われの身だよ。この部屋は独房のようなものだ」と、応じる。
 しかし、そうした囚人としての革命家の孤独も、カストロ政権によって実際に独房にいれられた側の者、作家のレイナルド・アレナスにいわせれば、自分で好んで選び取ったものだ、ということになるだろう。アレナスはこういっている。
 「フィデル・カストロはこれまでずっとある人物に忠実なのだが、その人物というのはまさしくフィデル・カストロ自身に他ならない」(98)
 チェ・ゲバラは、革命直後の一九六一年にキューバ軍の機関誌に寄せた文章(『革命 ゲバラは語る』に収録)の中で、革命の指導者としてのカストロのことをこう言っている。

「彼は巨大な個性をもった人間なので、どのような運動に参加しても、指導性を発揮したことであろう。・・・(中略)しかし、彼には別の重要な特質がある。たとえば、細部を見失うことなく、全体の情勢を理解するために、知識と経験を集中する能力、未来にたいするかぎりない信念、そして未来を予見し、行動においてそれを先取し、自分の同志たちよりもさらに遠く、そして良く見ることのできる視野の広さ。このような優れた基本的な特質をもって、・・・(中略)カストロは、無からキューバ革命という現在の巨大な建造物をつくりだすために、キャーバにおいて、他のだれよりも多くのことをなしとげたのだ」(30)

 六五年の「アジア・アフリカ人民連帯機構」でのゲバラによるソ連批判に端を発する意見の対立もまだなく、また軍の機関誌という媒体の制約もあり、ゲバラが指導者としてのカストロを高く評価するのは当然だとしても、そこには見られるのは「巨大な個性」や「未来にたいする信念」や「視野の広さ」などといった陳腐な表現であり、ゲバラ特有のユーモアが欠けていて、面白くない。
 カストロ自身は、指導者としての自身の功績をストーンの映画の中で、こう振り返っている。
 
 「私は自分のことを批判しすぎる傾向がある。・・・(中略)我々がやってきたことを誇ろうとは思わないが、他の中南米の国よりは多くのことをしてきた。革命当初、キューバ国民の識字率は実に三割で、六割が読み書きに問題を抱えていた。一割の者にしか一般教養がなかった。そういうと誇張しすぎだと思うだろう。革命が勝利した当時は、悲惨な状況だった。大学での専門職はわずかに三~四万人、今は七〇万人以上が大学を卒業する。革命の偉大な進歩を表す数字だ。売春婦さえ大学を出ている。革命前のキューバには十万人の売春婦がいた。いまは少ない」
 
 カストロやカストロ政権について書かれた本でも、たいていがゲバラのように月並みな賛美に終始していて、ユニークな視点や表現で捉えているとはいいがたい。 
 たとえば、戸井十月は『カストロ 銅像なき権力者』の中で、銅像であれ、写真であれ、文章であれ、自己の偶像化を禁じるカストロを「清廉」と「無私」の人だと讃えている。(57)
 それに対して、もちろん、するどい批評を加える者もいる。元在キューバ英国大使のレイセスター・コルトマンは『カストロ』の中で、カストロの「倒錯的な」能力に着目して、カストロは「敵こそ自分を鍛える味方だ」と考えていた、と指摘する。(328)。むろん、敵とはアメリカ合衆国のCIA(米中央情報局)である。
 その敵側のCIAの元職員ブライアン・ラテルは、カストロの公式の演説を逐一分析する仕事に携わってきた人だが、『フィデル・カストロ後のキューバ』の中で、カストロの長演説は「退屈な凡庸な言葉使い」(230)にすぎず、なぜ人々が魅了されるのか、理解に苦しむという。
 しかし、カストロが一番時間をかけて心を砕くのが演説原稿である。カストロはストーン監督に「詩は書かないのか?」と訊かれて、こう答える。

 「いや詩は書かない。だが、ものを書くときは言葉の調子を大事にする。言葉を組み合わせ、ある種の調子やリズムを持たせる。話すほうが多くを生み出せるだろ。私はどれだけ多くの逸話を語ったんだろう」

 元CIAのブライアン・ラテルは、カストロの自己の偶像化の禁止に関して、戸井とは違う見解に立つ。銅像を建てたり、公共の施設や公園で自分の名前を刻んだりするのを禁じるのは、むしろ、人民の心の中に自己のイメージを刻み付けることだ、と。(214)
 ラテルはそこまで言っていないが、ある意味で、偶像を禁じるキリスト教的な手法を無神論者のカストロが応用している、といえるのではないか。
 カストロはかつて毎日のように演説し、それがテレビ放映されたが、まるで、デザイナーズ・ブランドでもあるかのように、というか、法王がつねに白い法衣をまとうのと同じように、つねに生地のよさそうな光沢のある緑色の戦闘服を身にまとう。
 ブライアン・ラテルの分析によれば、世界中に知られたそうしたカストロのファッションも、人々の中に指導者としてのイメージを定着させ、指導者への熱烈な崇拝を起こさせるイメージ戦略と結びついているという。

 「戦闘靴、オリーブ緑色の戦闘服、戦闘帽、皮ケース入りの拳銃というゲリラの装いは、熱烈な生涯革命家のイメージを醸すべく計算されている。・・・(中略)戦闘服を常時まとうことによって、文民でも伝統的な軍の司令官でもない<民軍混成の革命家>を体現する」(247)
 
 作家のレイナルド・アレナスは、カストロの教条的な服装の強制についてこういっている。

 「男はどんな服装をしないといけないか、フィデル・カストロはそういった面の権威を自認して演説したことがある。ギターを弾きながら通りを歩く長髪の若者たちをも同じように批判したものだった。どんな独裁も政敵に純潔を守り、生の躍動を許さないものである。生のどんな表現もそれ自体、あらゆる教条主義的な体制の敵である。フィデル・カストロがぼくたちを迫害し、自由にセックスさせず、生気を表に出すことを抑圧しようとするのも当然のことだった」(143)

 そうしたファッションと同様、私生活の情報を隠すという情報操作、さらに人々にフィデルと愛称で呼ばせる戦略など、すべてが革命の指導者として偶像化へのベクトルを指向している。
 カストロは私生活を公にしていないし、公邸のありかも秘密だ。八〇年に結婚したといわれる妻ダリアとのあいだに五人の子供がいることはわかっているが、ブライアン・ラテルは、「ダリアと息子たちの存在は数年前まで最高機密だった。CIAの分析者でさえ、存在を知らなかった」(242)という。
 そうした自己の私生活にまつわる秘密主義に関して、カストロはオリヴァー・ストーンにこう弁明している。
 「私は革命家として家族と政治の混同を避けてきた。ファーストレディたちの話はバカげたものに思える。自分の子供に割いた時間はあまり多くない。子供と過ごした時間によって父親のよさが決まるなら、私はよい父親ではない。だが、子供たちを愛している。毎日、子供に会っているわけではないが、一緒にいるときは有効に使おうと思っている」
 私生活を隠す代わりに、自分がキューバ全体の父親役を買って出ているのではないかというのは、戸井十月だ。

 「式典会場では、人々がアイドルの名を呼ぶように、あるいは敬愛する父の名を呼ぶようにカストロの名前を呼んでいた。殆どのキューバ人にとって、カストロが替わりのきかない父親のような存在であることは、キューバを旅すると肌で感じることができる。カストロから見れば、一一〇〇万人のキューバ人たちは、自分の命を賭けて解放し、人生を賭けて守り、育ててきた子供たちのようなものだろう」(143)

カストロにとって、「私生活はない!」というイメージづくりは革命の指導者として重要であった。自分の秘密の公邸にごく一部の信頼している人を除いて招くことはなく、その結果、ブライアン・ラテルのいうように、「人々は、フィデルは革命と結婚したのであり、彼が身を焦がすほどの情熱を注いでいるのは革命だけだ、という印象を抱くようになった」(241)からだ。

<「独裁者」のイメージ>
 
 カストロはストーンのドキュメンタリー映画の中で、誇らしげにこう見栄を切っている。

「私の考えは借り物ではない。生涯、自分自身の仕事をし、任務を遂行してきた。私は自分自身の独裁者であるといえる。私は自分自身の独裁者であり、国民の奴隷だ。それが私だ」

 その少し前に、カストロはこうも言っている。
「独裁者は本当に悪か。アメリカは傑出した独裁者たちと大変親密だったのではないか。マルクスは個人の独裁ではなく、プロレタリア独裁を語った。わたしは重要な問題を説得によって、また道徳的な権限によって解決してきた。この43年間、国民を抑圧する警察官はいなかったはずだ」
「警察国家」としてのカストロ政権を痛罵するのは、レイナルド・アレナスである。パディージャ事件のあった七一年には、そうした言論弾圧に加えて、第一回教育文化会議がひらかれ、同性愛は病気であるとの定義をくだし、ホモセクシャルの抑圧に走った。(198)。
 レイナルド・アレナスにとっては、ホモセクシュアルの芸術家としてのみずからの存在を否定するという意味で、カストロもバチスタと同じだ(357)。アレナス自身の哲学によれば、「美自体が独裁者」であり、美自体は政治的な独裁が課す制限を超えようとするものだ。(135)

 後年、セネル・パスによる原作『狼、森、新しい人間』(邦訳は『苺とチョコレート』)に基づいて、ホモセクシュアルの知識人の目からカストロ政権を見た映画『苺とチョコレート』(1993年)が作られたが、七〇年代後半における検閲や監視をテーマにしているために、カストロ政権の闇が鮮明に浮きあがる。
 ディエゴというホモの知識人が住む建物の壁には、「FIDEL」と、大きな文字のグラフィティが書かれている。なんどか登場人物の動きをキャメラが追いかけるときに、その落書きが映し出される。そのことは何を意味するのだろうか。
 落書きは、公序良俗をみだすアナーキーな行為だから、軍事独裁者は、それを嫌う。ただちにそれは消されるはずだ。なぜディエゴの住む建物の壁のそれは消されないのだろうか。それは、カストロ政権が表現の自由を許す民主政権であることをしめすためだろうか。だが、そういう解釈は、この映画のテーマにそぐわない。 
 というのも、冒頭のシーンにすでに監視社会への風刺が見られるからだ。ダビドが恋人ビビアンを安ホテルに誘うが、ダビドが窓の外を覗くと、向かい側の建物に「革命防衛委員会」の看板が映し出される。他ならない民間の監視体制だ。
 とすれば、先ほどのフィデルのグラフィティは、偏在するフィデルの目、あるいはフィデルによる監視・検閲の圧力の象徴といえないだろうか。
 アメリカのメインストリームの物質主義や消費主義に対してノーを突きつけたビート世代の中でも番の闘士といえるアレン・ギンズバーグは、処女詩集『吠える』(1956年)が猥褻文書として発禁処分になり、裁判闘争で勝利を勝ち取った人だ。その風貌も、無精髭もカストロには負けない。洋服や物にも頓着しないそのアナーキーなスタイルは徹底しており、正真正銘の反物質主義者であった。奇しくも同年生まれのギンズバーグに比して、カストロはその品質のよい服からも窺われるように、結構ブルジョワジー的ではないか。


 一九六五年に、アレン・ギンズバーグを含めた作家代表団はキューバを訪れたが、一行に同伴したトム・マシュラーは、後年、ギンズバーグについて述べた文章(『パブリッシャー』に収録)の中で、次のようにいっている。

 「・・・カストロのとてつもなく長い演説を聞かされた。数時間は続いた演説はスペイン語だったが、ホモセクシュアルを激しく非難する長口舌をはじめ、いくらか内容が理解できた部分もあった。その夜、警察の一存で数百人の男が検挙され、監獄にぶちこまれた。翌日、アレンもリーダーの一人になって抗議行動が行われ、そのあとでホテルの部屋に警察があらわれて、アレンは所持品をまとめた。わたしはそばに立って見ていたが、キューバへの旅行もアレン流で、荷物はごく少なかった。アレンは警察につきそわれて空港へ向かった。本国に送還されるのだ」(373)
 
 

映画『永遠のハバナ』より
 
 キューバの映画監督、フェルナンド・ペレスによる『永遠のハバナ』(二〇〇三年)は、九〇年代以降ひどい経済不況に陥ったキューバを映像に捉えている。ペレス監督は、無名のハバナの住民とその家族を登場人物にして、冴えない月並みな日常を追いかけて、撮られている本人も気づかない輝きを「発見」しようとする。
 この映画で驚かされるのは、すこし知能障害があるフランシスキート少年(十歳)とその家族(もと建築家で、妻亡きあと息子を世話するために左官屋になった父フランシスコ、孫の世話をする元美術教師の祖母ノルマ、元大学教授マルキストの祖父ワルド)をはじめ、ハバナの住民の多彩な顔ぶれだ。
 この映画の内容は「朝六時から次の日の朝六時までの、ハバナの住民たちの二十四時間」にすぎない。だが、すぐれた映画や小説に不可欠な心理的ダイナミズムが見られる。ほとんど者が昼と夜に、ふたつの顔を持ち、いわば夜の顔で夢の実現にむかって生きている。病院で汚れたリネン類を洗濯して生計をたてるイバン、夜は女性用スパンコールに身をつつみクラブの舞台でさっそうと踊る。家の修理で汗をながす貧乏青年エルネスト、夜はバレエダンサーとして国立歌劇場で蝶のように舞う。しがない靴修理屋を営む独身のフリオ老人、夜はバッチリ粋なスーツできめてダンスホールに出向き、若い女性を誘って華麗なステップを踏む。
 カストロ政権に対して、映画は単純で直接的なメッセージを発していない。だが、ヒントとなるのは、映画に出てくるふたりの死者の存在だろう。ジョン・レノンとエルネスト・チェ・ゲバラだ。ハバナの公園に建てられてボランティアの人たちが交代で見守るジョン・レノンの銅像と、バレエダンサーのエルネスト青年の家に飾られたゲバラの額入りの写真。このふたつのイコンがさりげなく何度も登場する。そこに、ペレス監督の「反権力」という政治的なメッセージを読み取るのは難しくない。それは、たんにブッシュの米国に対してだけでなく、カストロのキューバ政権に対しても、だ。映画のフィナーレに登場人物たちのプロフィールと各人の「夢」をつづった短い文章が流れるが、最後の最後にピーナッツ売りの老女アマンダが出てくる。彼女の言葉は「夢はもうない」だった。
 ペレス監督は『ハロー ヘミングウェイ』(一九九〇年)で、革命前夜のキューバの階級問題を貧しい少女の視点から撮っているが、『永遠のハバナ』では、体制が変わっても不幸はなくならないということを一番力の弱い老女の視点から語っている。
 
参考文献
レイナルド・アレナス(安藤哲行訳)『夜になるまえに』国書刊行会、1997年。
エルネスト・チェ・ゲバラ(佐野健治訳)『革命 ゲバラは語る』合同出版、1968年。
レイセスター・コルトマン(岡部広治監訳)『カストロ』大月書店、2005年。
戸井十月『カストロ 銅像なき権力者』新潮社、2003年。
セネル・パス(野谷文昭訳)『苺とチョコレート』集英社、1994年。
トム・マシュラー(麻生九美訳)『パブリッシャー 出版に恋した男』晶文社、2006年。
ブライアン・ラテル(伊高浩昭訳)『フィデル・カストロ後のキューバ カストロ兄弟の確執と<ラウル政権>の戦略』作品社、2006年。

映像資料
トマス・グティエレス・アレア『苺とチョコレート』1993年。
オリヴァー・ストーン『コマンダンテ』2003年。
――『Looking for Fidel』2003年。
フェルナンド・ペレス、『永遠のハバナ』2003年。
アクセル・ラモネ『カストロ 人生と革命を語る』2003年。

『現代思想』2008年5月臨時増刊号<フィデル・カストロ特集>185-191頁。


書評 コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』

2008年07月28日 | 小説
終末論的世界を旅する父子の物語
コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』(早川書房)
越川芳明

 マッカーシーはメルヴィルやポーなど、アメリカン・ゴシックの代名詞というべき<暗い想像力>を受け継ぐ作家として知られている。

 映画化された前作『血と暴力の国』(映画の邦題は『ノーカントリー』)の殺人鬼アントン・シュガー同様、本作でも、核戦争後とも思える地獄絵の中を旅する父子を襲う野蛮な人食集団が出てくる。

 主人公の父子は、そうした「悪者」と対峙する「善い者」として、自分たちを「火を運ぶ者」呼ぶ。そもそも古代に人類が手にした「火」がやがて核兵器をもたらし、この小説の舞台である「死の灰の世界」を生みだしたと考えれば、作者の意図するところは単純ではなく、むしろ両義的だ。

 「火」は人類に科学的な進歩をもたらす一方、科学文明そのもの死をもたらしかねないからだ。それでも、人類は生き延びるために「火」を手放すことはできない。
 
 父子は、人類も動物も草木もほとんど死に絶えた厳冬の終末論的風景(米国)の中を南へと旅する。ショッピングカートに缶詰や水やオイルなどを載せて。

 斬首された赤ん坊が串焼きされているような悪夢的な光景をたえず目の当たりにする少年が父親に向かってする根源的な問いは、「ぼくは人を食べたりしないのだろうか?」というものだ。果たして人間は希望のない世界で絶望に陥らずに生き続けることがでるのか。それは、作家がこの小説で自らに問うた問いであった。

 小説は、父子が野宿し、食料をあさる荒廃した土地やひと気のない見捨てられた家などを、地をはうような徹底的な写実主義で描写する。その一方で、メッセージ性の強い寓話によく見られるように、登場人物に名前はつけられていない。

 唯一、父子が途中で出会う乞食の老人だけが嘘の名前を告げるだけだ。また、父子が旅する土地にも名前がない。ボロボロになった地図で、父子は現在位置を確認するが、読者はその名を知らされない。
 
 かくして、写実主義的な細部描写と、より普遍的な寓話的操作とが混交した、ユニークなハイブリッド文体で、こうした暗い終末論世界がどの街にも、どの人にも訪れるものとして、圧倒的な説得力を持って迫ってくる。
(日本版『エスクァイア』2008年9月号)


一度結んだ縁は切れない!

2008年05月27日 | 小説
一度結んだ縁は切れない。
書評 瀬戸内寂聴『奇縁まんだら』
越川芳明

 『日経新聞』の人気連載エッセイ「奇縁まんだら」は、著者と文豪たちとの交流がユーモアのある落ち着いた口調で語られていて、週一回の掲載を待ち焦がれていた人は僕以外にも多いはずだ。

 今回の本は最初の一年分、二十一名の作家たちとの出逢いをまとめたもの。横尾忠則による作家たちのシュールな肖像画も数多く収録され贅沢な作りになっている。

 著者の生まれたのは、関東大震災の一年前、大正十一(一九二二)年。この本に取りあげられた作家は、島崎藤村、正宗白鳥、川端康成をはじめ大半が明治生まれで、遠藤周作と水上勉だけが唯一大正生まれ。すでに全員この世に生はない。

 著者は冒頭でこう言う。

「生きるということは、日々新しい縁を結ぶことだと思う。数々ある縁の中でも人と人との縁ほど、奇なるものはないのではないか」と。

 文豪たちについて、奇縁に彩られた面白いエピソードは枚挙に暇がない。学友に連れていってもらった能楽堂で見かけた藤村の小説家としての美しい素顔、川端康成が試みようとしていた源氏物語の現代語訳、毎月の仕事の重みを実感するために原稿料は振込では駄目だという、舟橋聖一の忠告、稲垣足穂から机を貰う「机授与式」の顛末、北京でみつけた宇野千代の徳島の人形師をめぐる小説によって、小説家としての目を開かされたこと、今東光から法名「寂聴」を貰った経緯、小説家など辞めて、小説家など辞めて天才画家(自分)の弟子になれといった岡本太郎の自信、女流文学者の宴会で、阿波踊りを踊りなさい、と命じた最後の「女文士」の平林たい子の貫禄など。

 とりわけ、錯綜した男女関係を扱った谷崎潤一郎と、佐藤春夫にまつわる逸話が断然面白い。影の主役である妻たちを登場させているからだ。

 著者は若い頃に編集者として、原稿の依頼をしに直接谷崎の家に出かけていき、谷崎が不倫の末に獲得した松子夫人に会っている。「はあ。そらご苦労さんですなあ。でもうちは今、仕事たんとかかえておりまして」と、夫人に体よく断られている。「ああ、この口調が大谷崎の心を射抜いたのだな、と私はうっとりした」と、著者は記す。

 本書は、作家によるただの回想録ではない。著者をこれまで小説家として生きさせてくれた「仏縁」への感謝の心が根底に流れているからだ。

「一度結んだ縁は決して切れることはない。そこが人生の恐ろしさであり、有難さでもある」
『エスクァイア』2008年7月号



小黒昌一『たんぽぽの詩』

2008年05月05日 | 小説
小黒昌一『たんぽぽの詩(うた)』校倉書房、2008年

 立ち込める靄(もや)。暁の兆しもない夜明け前の闇。
 と、浅草は新谷町の一角にある二階家の裏窓辺の闇から小さな影が抜けでた・・・。
猿(ましら)か? 影は、両足でトタン屋根を軽く蹴ったかと思ったら、表通りの電信柱にピョイと跳びつき、スルスルッとすべって大地に下り立ち、首をすくめ腰をかがめ、辺りを見回した。そしてそのままの姿勢で走りだした。速い、速い。風を巻いて走るどころではない。疾風そのものだ。
 浅草から上野まで、アッという間の韋駄天ひとっ走りで、猿は上野駅にいた。暗い構内におかれた長椅子の下に身をひそめ、息をころし、始発電車の改札を待っていた。(以下略)
 

 小黒昌一先生から、できたての著書を送っていただいた。大半は『読売新聞』に連載されていた随筆コラムからなる。随筆は師と仰ぐ小沼丹同様、字句表現に砕身の注意を払いながらもそれと感じさせない飄々とした味わいが特徴。

 なかに表題作の小説が一編があり、異彩を放つ。上に引用したのは、小説の冒頭。のちに古式泳法の師範になるカトリ栄一少年が、戦時中に就職先の東京・浅草から新潟に逃げ帰るシーン。

 新潟で薬剤師としての修行、終戦直前に招集されてシベリアでの抑留生活、戦後、故郷に帰り薬屋を開業、八十歳での隠居。隠居後のたのしみは、厳冬の日本海のテトラポッドの岩のりでつくった自家製「荒海苔」をあぶりながらの燗酒。小説の最後は・・・

 ーーこうして長い年月を生きておりますと、さすがに眠くなることもありますてバ・・・。これまた楽しからずやですて。
 と、栄一翁。「熱い(あちち)、熱い(あちち)」と言いながら、お銚子の酒を愛用の猪口に移し、ゆっくりと口にはこび目を閉じると、たんぽぽの花が見えた。果てしなく広がる空間を黄色い花が埋め尽くして、遠く地平線の果てまでつづいている。風が吹くと、その花々が波のように揺れて、サワサワと、サワサワと、うねりながら囁きながら、荒野の彼方に消えていった。

参考:早稲田大学新聞のHPで、「たんぽぽの詩」の全文が読める。http://grello.net/grello/oguro/tanpopo.htm

THE ALFEE作「タンポポの詩」(『どらエモン』のエンディング・テーマ)







書評 トム・マシュラー『パブリッシャー 出版に恋した男』

2008年05月04日 | 小説
創意工夫に富む「冒険家」としての出版者
トム・マシュラー(麻生九美訳)『パブリッシャー 出版に恋した男』(晶文社 2006)
越川芳明

 ページをめくるのが惜しいと思われるほど、作家をめぐる面白い逸話やゴシップの詰まった回想録だ。

 それもそのはず、著者は長年イギリスの文芸出版社「ジョナサン・ケープ」のカリスマ編集者としてならし、二〇〇〇年に『ブックセラー』誌から「今世紀の出版界に最も影響を与えた十人の出版人」に選ばれた人だから。

 なるほど英語での出版という有利さはあるにしても、著者が出版にかかわった作家や詩人の中でノーベル賞を受賞した者が十余人! というのがすごい。
 
 著者は、自分の出そうとしている本(特に文芸もの)で、まず売れ行きを念頭においたことはない、と断言する。自分がよいと感じる質の高いものを出版するのだ、と。
 
 それでいて、かつて無名のガルシア=マルケスとは五冊丸ごとの契約を結び、五冊目の『百年の孤独』が大ベストセラーになったとか、ケイプ社で最初に買い付けたジョゼフ・へラーの『キャッチ22』がたったの三カ月で五万部も売れ、アメリカ版すら上回る数字だったとか、すごい裏話がいっぱい出てくる。
 
 どうしてそんなことが可能になるのか。成功の訳を知りたい業界人や、昨今、売れ行きが伸びずに営業サイドから突きあげを食らっている編集者は、本書を読めばよい。
 
 だが、真似をするのは至難のわざだ。というのも、著者の生い立ちからして、非常に特殊だからだ。

 一九三三年、ドイツのユダヤ人家庭に産まれた著者は、父が書籍の販売にかかわり成功を収めていたが、折からナチスの台頭があり、家族は命からがら移住先のオーストリアからニューヨークに逃げようとする。が、船便がなく仕方なくロンドンに移住。トム少年は、イギリスの貴族の家に賄い婦として職を得た母と一緒に、馬小屋のようなところに暮らし辛酸をなめる。

 少年時代に、独立独歩の道を歩むように育てられた。

 フランス語を学ぶために見ず知らずのフランス人の家庭で一夏すごさせられたり、また大学には行かずに、イスラエルのキブツで働いたり、アルバイトをしながらアメリカ大陸の横断を試みたり、その無銭旅行の記事をニューヨークの新聞社に売り込んで、帰りの便の資金にしたりと、すでに創意工夫に富む「冒険家」としての片鱗を見せていたようだ。
 
 本書の中には、百五十人を超える作家が登場する。著者がかかわった作家たちとのエピソードはどれも興味深い。

 ぼくの大好きなブルース・チャトウィンの秘密主義的な行動、カフェのテーブルで無言のベケット、ブッカー賞を逃した席で審査委員長からきみの作品が最高作だったが、最高作が受賞するとはかぎらないと言われて激怒したサルマン・ラシュディ、ゴージャスな避暑地で夏をすごしているウィリアム・スタイロン、『メイソン・アンド・ディクソン』の執筆のために七〇年代にこっそり大英博物館で調査していたトマス・ピンチョンとのランチ、ヴォネガットの妻(写真家のジル)の厚かましい申し出、唯一例外的に儲け優先で「発掘」したジェフリー・アーチャーの不遜な態度など、枚挙に暇がない。

 そんな中でも、ジョン・ファウルズの『フランス軍中尉の女』の映画化にまつわる話がとびきり面白い。というのも、著者は自ら「エージェント」を買ってでて、監督や脚本家の選定にかかわり、映画界で働くという若い頃の夢を果たすばかりでなく、販売促進作戦として通常の書籍でしているように、単に映画資料を五つの新聞社に送りつけるだけでなく、そのうちの二社から稿料をとることまでするからだ。映画会社の宣伝部には思いもつかぬこの戦略も、著者にいわせれば、実に理にかなっている。著者いわく、「無料であげるより売ったほうが本気で受け止めてもらえるからだ」
 
 著者は、フランスのゴンクール賞にならって、イギリスでも書籍の販売戦略として「ブッカー賞」を創設している。そして、候補者をあらかじめ六名発表して、販売に利するようにするという案も考えた。トム・マシュラーというユダヤ人の出版人、アイディアや行動が斬新かつユニークで、ただ者でないということがお分かりいただけただろうか。

(『読書人』2008年5月9日号)

トム・マシュラー 
1933年、ドイツ生まれのユダヤ人。ナチスの手を逃れて、幼くしてイギリスに移住。カリスマ編集者として、英国のジョナサン・ケイプ社を一流の文芸書の出版社にする。




書評 田中慎弥『切れた鎖』

2008年05月02日 | 小説
「海峡」の街の寓話  
田中慎弥『切れた鎖』(新潮社、2008年)
越川芳明

 本書は3作からなる作品集で、とりわけ読み応えのある表題作は「海峡を西へ出外れた場所にある」街を舞台にしている。

 その街は、わざわざ下関の昔の名前を用いて、「赤間関(ルビ:あかまがせき)」と名づけられている。
 
 そのような架空めいた舞台設定や、丘側(旧住民)と海側(よそ者)に分けられるという住民層の指摘、さらにその土地に見られる朝鮮人差別など、日本にいまなお根強い外国人嫌悪(ルビ:ゼノフォビア)を扱った寓話と呼ぶことができる。
 
 古来、玄界灘や対馬海峡を挟んで、日本と朝鮮半島とは人の交流が盛んであり、とりわけ半島南部と北九州周辺は同じ生活・文化圏であった。

 たった二百キロしか離れておらず、現在も、関釜フェリーの存在に象徴されるように、海峡は往来を妨げる鉄の壁ではなく、むしろ人と人との混じり合いをみちびく通路なのだ。
 
 しかし、この小説の視点人物、梅代という名の六十代の女性の一族(桜井家)は戦後、コンクリート製造と販売で知られ、海側の埋めたて開発にかかわったことで権勢を誇り、取り違えた優越感を抱いている。とりわけ、梅代の実母、梅子は戦前の民族教育のせいか、救いがたいほどの偏見にとらわれている。

「魚でも野菜でも外国産の大きなものが嫌いだった。なんでもほどほどの大きさでないと駄目だ、大きすぎると品がなくなる」と、家族に言いつのり、朝鮮人を「犬」や「偽物」と呼んで侮辱していた。

 だが、よりによって、三十年ほど前にそんな桜井家のすぐ裏手に在日朝鮮人たちの教会が「半島から流れついたようにいつの間にか建った」

 しかも、梅代の夫、重徳がその新興宗教の教徒の女性と浮気をした。その後、教会のほうから赤ん坊の泣き声が聴こえるようになり、どうも重徳と浮気相手の間にできた子のようだった。
 
 桜井一族によって作られたまま、いまその上には何も建っていない「コンクリートの地平」の索漠とした風景に象徴されるように、桜井家の栄華も長くはつづかない。
 
 とはいえ、取っ替え引っ替えいろいろな男と付き合って家に居つかない娘の美佐子の生き様には、頑な差別主義に凝り固まった桜井一族からの離脱が読みとれるし、また、孫娘が教会の青年(重徳の子?)の十字架を路面へ叩きつけて、蹴ろうとしたときに決然とそれを押しとどめる梅代の行為には、桜井家が朝鮮人に行なってきた仕打ちへの贖罪の意識が感じとれる。
 
 桜井一族にとって長く閉ざされていた海峡に船が走りはじめたのだ。
(『すばる』2008年6月号)

田中慎弥
1972年山口県生まれ。2005年「冷たい水の羊」で新潮新人賞受賞。2007年「図書準備室」で芥川賞候補。2008年「切れた鎖」で芥川賞候補。


海外の長編小説ベスト10 ヴァージョン02

2008年04月09日 | 小説
海外の長編小説ベスト10(解説つき)
越川芳明(アメリカ文学・ボーダー文化論)

1コーマック・マッカーシー(黒原敏行訳)『血と暴力の国』(扶桑社文庫)
『すべての美しい馬たち』をはじめ、国境三部作で九十年代にブレークした作家によるクライム小説。舞台は米国とメキシコの国境地帯で、ドラッグ・マフィア、ベトナム帰還兵の夫婦、動機なき殺人を繰り返す狂人、凡庸な保安官などが絡み、国境地帯が血と暴力の舞台と化す。ポストモダンの小説らしく、物語は複数の視点によって断片的に、テンポよく語られ、息をつかせない。マッカーシーは、現代版の「西部劇」を開拓したとの高い評価を、SF作家たちからも得ているが、「正義」も「悪」もなくなってしまうこの小説も、ポストモダンの「西部劇」とみなすことができるかもしれない。コーエン兄弟によって映画化され、『ノーカントリー』の邦題で公開中。

2ブルース・チャトウィン(芹沢真理子訳)『ソングライン』(めるくまーる)
イギリス出身の著者は、オーストラリアの先住民アボリジニの独特な世界観と記憶システムとに興味をもち、その探求の成果をこのような素晴らしい書き物に残してくれている。チャトウィンは、「砂漠」のノマド(放浪者)なので、中央オーストラリアの乾燥地帯をほっつき歩いた。そして、「人類のふるさとは砂漠にあり」という結論をひきだしてくる。「もし砂漠が人類の故郷なら・・・、われわれが緑なす牧場に飽きてしまうその理由を、所有がわれわれを疲弊させるその理由を、パスカルが人は快適な寝場所を牢獄と感じると言ったその理由を、容易に理解することができるだろう」と。


3オルハン・パムク(和久井路子訳)『雪』(藤原書店)
9/11以降に急激に欧米で読まれだしたトルコの現代小説家の作品。現実の細部を覆い隠すという意味で、この小説の真の主人公ともいえる「雪」は、少なくとも二重の意味を与えられている。ひとつは、42歳の詩人Ka(本名はケリム・アラクシュオウルだが、匿名で生きることを好む)が緑色のノートに書き取ったとされる19個の詩からなる詩集のタイトル。しかし、そのノートはKaの暗殺とともにどこかに失われてしまい、詩人の残したメモ書きなどによって、語り手の「わたし」(オルハンという名前を持つ)が、探偵小説の探偵よろしく、その詩集の内容を詩人の行動と共に再構成しようとする。それがいまわれわれの前にある小説『雪』である。

4フアン・ルルフォ(杉山晃・増田義郎訳)『ペドロ・パラモ』(岩波文庫)
メキシコのガルシア=マルケスとも称される作家。というか、ガルシア=マルケスをコロンビアのフアン・ルルフォと呼ぶべきか。この物語は、人生しょせん元の木阿弥に帰すような、メキシコ的宿命論に貫かれており、全体に幻想が漂う。メキシコのロードノヴェルは、楽天的なアメリカ文学のそれとは違って、あの世への旅の往還なのである。主人公フアン・プレシアドは、死を前にした母親から自分たちを捨てた父親、農園主ペドロ・パラモに会って、おとしまえをつけるよういわれ、コマラという町に旅をする。だが、そこは「死者の町」だった。以前にも映画になっているが、いままた映画がメキシコで製作中であり、『アモーレス・ペロス』のイケメン俳優、ガエル・ガルシア・ベルナルが主演を演じるらしい。

5マーガレット・アトウッド(鴻巣友季子訳)『昏き目の暗殺者』(早川書房)
四つの語りのレベルが存在する。一つは、八三才の老女アイリスの語る一代記。二つ目は、地方新聞の記事やゴシップ誌の切り抜き。三つ目は老女の妹ローラの作とされる不倫小説『昏き目の暗殺者』。四つ目は、その不倫小説の主人公が語る猟奇的SFファンタジー。なかでも、物語として面白いのは、四つ目のパルプ的感性豊かなジャンクフィクションであるが、アトウッドはその他の語りを通して、二〇世紀のカナダ史の暗い側面――大恐慌の時代において、移民や難民や労働者を“アカ”といって排斥するだけでなく、ヒットラーの台頭を讃美しさえする――を語るという壮大な企図があった。

6ピーター・ケアリー(宮木陽子訳)『ケリー・ギャングの真実の歴史』(早川書房)
19世紀の半ば、まだイギリスの植民地であったころのオーストラリアの南東部、メルボルンのあるあたりの未開の奥地(ルビ:アウトバック)を舞台にした小説。著者は『イリワッカー』(1985年)や『オスカーとルシンダ』(1988年)など、虚実をないまぜにした幻想的な「歴史改変小説」によって、英語圏のガルシア・マルケスとも目される作家だが、本作はかれの最高傑作だ。アボリジニの精神世界だけでなく、流刑になったアイルランド人たちの伝説もまた、オーストラリアの誇るべき文化の一つであることを示し、ポスト国家主義の時代のクレオール性を見事に表現した。

7アラスター・グレイ(森慎一郎訳)『ラナーク 四巻からなる伝記』(国書刊行会)
スコットランド随一の現代作家による、ギガノヴェル。4巻からなる、あるスコットランド人の「伝記」。第1巻と第2巻はダンカン・ソーという冴えない美術学生について、作家の自伝的な事実にほぼ忠実に描かれたリアリズム小説。一方、第3巻と第4巻は、ラナークという男の精神の彷徨を描くSFファンタジー。ラナ―クの物語の中に、ダンカン・ソーの物語が内包されるという、ポストモダンのメタフィクションとしての仕掛けがあるが、エリオットやジョイスなどのモダニストがまじめにやっていた引用行為を博学ひけらかしのおふざけに転嫁してしまうなど、さまざまな奇想に富む。

8ドン・デリーロ(上岡伸雄訳)『コズモポリス』(新潮社)
主人公は、高級リムジンに搭載したコンピュータディスプレイの上を流れる数字の列を見ているだけで、たちどころに金利や株価の予想ができてしまう超エリートの投資アナリスト。ポータブル・キーボードを叩く瞬時の指の動きで、弱小経済に苦しむ国家の一つや二つぐらいあっさり破産させてしまうほどのパワーをもつ。いわばサイバー資本主義社会の「勝ち組み」の一人。この小説の最大の皮肉は、グローバリズム時代のグレート・ギャッツビーとも称すべきこの成り上がり野郎も、最後は資本主義のパラドックスに絡めとられてしまうということだ。

9リチャード・フラナガン(渡辺佐智江訳)『グールド魚類画帖――十二の魚をめぐる小説』(白水社)
十以上の章のそれぞれの扉に、魚の絵が描かれているが、すべて小説の舞台であるオーストラリア本土の南に位置するタスマニア地域に棲息する魚たちだ。語り手であり絵の作者でもあるグールドは、ゆえなき罪状で海の独房に入れられ、或る啓示を得る。科学者であれ山賊であれ、植民地支配者であれ囚人であれ、みな魚と同じだ、と。植民地時代のオーストラリア史を声なき囚人の側から書き換える「悪漢小説」であり、蒸気機関車にはじまり現代のハイテク産業へと繋がる欧米の産業資本主義文明を批評する、すぐれた「ファンダジー小説」であり、博物学的な構成をもつ奇書である。

10レイナルド・アレナス(安藤哲行訳)『夜になるまえに』(国書刊行会)
このたび、わけあって本書をじっくり再読したが、最初のときもそうだったが、時間の経つのを忘れた。自伝として、ホモセクシュアルとしての率直な告白(ペニスというコトバが何度でてくることだろう)だけでなく、容赦ない、しかしユーモアのあるカストロ体制批判が頻出する。とはいえ、リリシズムに貫かれ、自然や人間に対する洞察が的確。キューバの同時代作家カルペンティエールを非人間的なコンピュータみたいな人と称し、一緒にいて気のめいる思いをしたといい、親カストロ派のガルシア=マルケスを日和見主義者と切り捨てる。反対に、カストロ政権下で耐えるキューバのゲイの先輩作家たち、『パラディソ』のホセ・レサマ=リマとビルヒリオ・ピニェーラをおそろしいほど高く評価する。余談ながら、『苺とチョコレート』のディエゴの部屋にも、敬愛するホセ・レサマ=リマの写真が貼ってあった。

番外編
カズオ・イシグロ(土屋政雄訳)『わたしを離さないで』(早川書房)
架空の未来人間たちを扱っていながら、イシグロはそれらの人物に降りかかる出来事について、細かいディテールを積み重ねることで、かれらが血と肉の備わった、そして魂も有するかけがえのない一個の人間たちであることを、圧倒的な説得力をもって知らしめる。クローン羊ドリーの誕生が報じられたのは、一九九七年二月のこと。学者の中には、無脳症のクローン人間の開発を唱える人もいるらしい。遺伝子工学の先端問題を論じる科学者たちに欠けているのは、「見えない人間」たちの視点に立つことである。イシグロは小説家の想像力を駆使して、未来人間の「心」を書いた。

フィリップ・ロス(上岡伸雄訳)『ダイング・アニマル』(集英社)
語り手ケペッシュは七十歳の大学非常勤講師。二〇代で一度結婚しているが、「二度と結婚生活という牢獄に入らない」と決めた。ケペッシュは「軍隊と結婚、どちらも私が嫌悪する制度だ」という。それ以降独身主義者を貫き、自分の教え子たちと奔放な性愛を楽しんできた。メインとなるのは二十四歳のキューバ系の美女コンスエラ・カスティーリョとの出会い。その「ゴージャスな乳房」にケペシュはマイってしまう。老人の「性」やエージングをテーマした本書は、たんに性に耽溺した男の痴話ばなしではなく、「枯れる」ことをよしとしない老人の抵抗の書だ。

(『考える人』(新潮社)2008年春号のアンケート回答に、「解説」を添えました)



海外の長編小説ベスト10

2008年04月06日 | 小説
海外の長編小説ベスト10 

越川芳明(アメリカ文学・ボーダー文化論)
どんなに狭隘な世界に住んでいても、私たちの生活はグローバルな世界経済、国際政治と切り離されてはいない。

自分だけに通用する常識やイデオロギーを「他者」に投影するような素朴な語り口では、そうした複層的な世界を表現できないばかりか、害悪でさえある。

小説のよしあしは、そうした複雑きわまりない世界や語り手の自意識をどのように処理するかにかかっているが、それを大まじめにやりすぎると、一般読者を遠ざける難解なものになってしまう。

しかし、ここにあげた小説は、複雑な世界と歴史を扱いながらも、物語としてリーダブルなものばかり。すぐれたポストモダン小説の模範だ。

1コーマック・マッカーシー(黒原敏行訳)『血と暴力の国』(扶桑社文庫)

2ブルース・チャトウィン(芹沢真理子訳)『ソングライン』(めるくまーる)

3オルハン・パムク(和久井路子訳)『雪』(藤原書店)

4フアン・ルルフォ(杉山晃・増田義郎訳)『ペドロ・パラモ』(岩波文庫)

5マーガレット・アトウッド(鴻巣友季子訳)『昏き目の暗殺者』(早川書房)

6ピーター・ケアリー(宮木陽子訳)『ケリー・ギャングの真実の歴史』(早川書房)

7アラスター・グレイ(森慎一郎訳)『ラナーク 四巻からなる伝記』(国書刊行会)

8ドン・デリーロ(上岡伸雄訳)『コズモポリス』(新潮社)

9リチャード・フラナガン(渡辺佐智江訳)『グールド魚類画帖――十二の魚をめぐる小説』(白水社)

10レイナルド・アレナス(安藤哲行訳)『夜になるまえに』(国書刊行会)


(『考える人』(新潮社)2008年春号 アンケート回答)

参考 『考える人』のサイト http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/


コーマック・マッカーシー: 米国の「暴力依存」見据える作家

2008年03月29日 | 小説
米国の「暴力依存」見据える作家
『ノーカントリー』のコーマック・マッカーシー
越川芳明

 先ごろ米アカデミー賞(作品賞、監督賞ほか)に輝いたばかりのハリウッド映画『ノーカントリー』が公開中だ。

 ドラッグの密輸団による抗争を題材にしたこの映画には原作があり、著者はアメリカの作家、コーマック・マッカーシー(一九三三年生まれ)。

 フィリップ・ロスやトマス・ピンチョンらと並んで、毎年秋になると、ノーベル賞の「候補」として噂される実力派作家である。

 小説『ノーカントリー・フォー・オールド・メン』(二〇〇五年、邦題『血と暴力の国』)は、スリラーとも「暗黒小説」とも括られても仕方ないほどに、暴力シーンが目につく。

 だが、マッカーシーは、これまでずっと執拗に暴力を描きつづけてきた。

 フォークナー賞を受賞したデビュー作『オーチャード・キーパー』(一九六五年)は、実の父親を殺した密造酒売人をそれと知らずに英雄と仰ぐ少年を主人公にした物語だった。

 二作目の『アウター・ダーク』(一九六八年)はアパラチア山脈の奥地を舞台にして、兄妹の近親相姦と嬰児殺しをテーマにした小説だった。

 マッカーシーにとって、暴力とは何だろうか。『ノーカントリー』は、八〇年代のテキサスが舞台となっているが、二〇世紀にアメリカの絡んだ戦争が影を落としている。

 たとえば、登場人物の一人、モスはヴェトナム戦争では狙撃兵だった。いまは、安っぽいトレーラーハウスに若い妻と住んでいるが、平原でひとりカモシカ猟をしているうちに、密輸団の残した大金を見つけてしまう。そこから急坂を転げるように運命に翻弄される。
 
 いま米国史を振り返ってみれば、この国は紛争や事態の解決のために、絶えず暴力を使うことを肯定してきた。イギリスからの独立も民兵の武力行使で勝ち取ったものであり、その後の建国も、先住民の虐殺や排除によって成り立ったものである。国連決議を無視した最近のイラク戦争への突入などを見ても、暴力への依存は米国の強迫観念とさえ言える。
 
 マッカーシーが、小説の中でさかんに暴力を描くのは、かつての西部開拓を美しい神話にして美化したりせず、米国の暴力への依存体質を見据えているからに他ならない。
 
 この小説でも、老いたベル保安官はみずからの無力を自覚しながら、「この郡は四十一年間に未解決の殺人事件が一件もなかったのに、いまじゃ、一週間に九件もある始末だ」と、嘆く。
 
 しかし、かれのいう<古きよき西部>というのは、後の世代の者たちがこしらえた神話であり、ノスタルジーの産物だ。現実は無法者たちの狼藉がまかり通っていた暗黒世界ではなかったのか。
 
 国境三部作の『越境』(一九九四年)に出てくる、メキシコに住む盲目の老人の言葉が忘れがたい。老人の娘がいまはずいぶん時代が変わったと言うのに対して、盲目の老人は、世界は何も変わっていないというーー
「世界は、日々新しく生まれ変わる。神が毎日そう作るからだ。だた、その世界の中に昔と同じように、悪魔たちもいるのだ」と。
 
 『ノーカントリー』にも、ドラッグ密売団に雇われたシガーという殺し屋が出てくる。牛を屠畜するための圧縮空気銃を使って、誰構わず容赦なく殺しをおこなう冷血鬼だ。

 マッカーシーは、この血と暴力を欲する男に、血塗られたアメリカ「西部」の真の姿を象徴させようとしているのではないだろうか。

(『毎日新聞』2008年3月28日(金)夕刊 文化欄)




テキーラ・ナイト

2008年03月28日 | 小説
26日に明治大の卒業式があった。

卒論の学生たちと研究室でのんびり飲んでいたが、夕方になるに連れて、次第に人が集まってきて、とうとう部屋に入りきれなくなった。最後にテキーラを飲みたいというので、皆をメキシコ料理屋<エル・アルボリート>に連れて行った。

そのまえに、学生たちが気をきかせて、サボテンと花の贈り物をくれた。色紙も。色紙の真ん中にはメキシコ風の風景とわたしの似顔絵が上手に描いてあり、それを取り巻くように各自のコメントが寄せられていた。

ウッディ・アレンで卒論を書いた、4月から編集者になる予定のS君のところには、「先生の授業には、エロティシズムが感じられる」みたいなことが書いてあった。要するに、下ネタが絶えない、といいたいのだろうか。

そういえば、キューバの亡命ゲイ作家、レイナルド・アレナスは自伝『夜になるまえに』で、子供の頃すごした自然の世界はエロティックな世界であったと告白している。引用してみようーー

「七歳から十歳という時期はぼくにとっては性衝動の強い、静的に貪欲な時期であり、前にも触れたように、たいていのものが対象となっていた。

自然一般が相手だった。というのも、木をも含んでいたからだ。たとえば、パパイヤみたいに茎の柔らかい木に穴をあけてペニスを突っ込んだものだった。

・・・(中略)いとこのハビエルは、牡(オス)鶏とやったときが最高だった、と打ち明けた。ある朝その牡鶏が死んでいた。いとこのペニス大きさのせいだとは思わない。実際、かなり小さかったから。

中庭の牝(メス)鶏という牝鶏をやっていた自分が逆にやられた、それが恥ずかしくて死んだのだと思う」(安藤哲行訳、44ページ)

遅れてきた3人もふくめて、<エル・アルボリート>には学生10人が集合した。

ママのとっさの機転というか、配慮というか、着物の女性には、着物をよごすとまずいので、大きなテーブルクロスが渡された。なんだか、美容室みたいな格好になった。

さらに、卒業祝いとして、店からワインボトル2本が無料で提供された。ぼくたちはそのワインをさっさとやっつけて、ライムと塩をなめながら、テキーラのボトルを3本あけた。研究室で4時前から飲みはじめ、店を出たのは9時半だった。













仙台の牛タン定食(続報)

2008年03月27日 | 小説
 仙台で、牛タンなるもので商売を始めたのは、「タン助」ではなく「味 太助」だそうです。お詫びします。「味 太助」 ☞ http://www.aji-tasuke.co.jp/ 

 秋田のM<猫>さんによるとーー

「著作権や特許という考えなどなく、(「味 太助」が)二軒ほどでずっとやってゆくうちに首都圏では、福島県出身者に<牛タンのねぎし>をチェーン店化され、仙台でも common capital 化してしまいました」

 とすれば、現在、仙台その他の土地で、群雄割拠のごとく牛タン屋が勢力争いをしているのは、老舗のやり方(牛タン焼きに、テールスープ、麦飯の3点セット)が実にシンプルで、かつ商売になったからなのだろう。

 が、それを普及させたのが老舗ではなく、めざとい資本家(商売人)であるのが象徴的だ。

 僕たちが行った駅前の「伊達の牛タン」は、モダンな西洋風レストランの雰囲気で、音楽もジャズがかかっていた。それに対して、☝の写真の「味 太助」をみれば、ラジオでプロ野球がかかっているような焼き鳥屋のノリだ。

 値段は、老舗でも新興勢力でも1400円前後だから、ご飯だけを食べたい若い女性に好まれるのは、圧倒的に前者だろう。が、酒も飲みたいぼくは、後者のほうに惹かれる。

 果たして、味のほうは??