過剰
2011-05-08 | 社会
数年前の新型インフルエンザ、アメリカの狂牛病、そして今回の浜岡原発停止。
リスクは理解できるが、過剰反応のような気もする。
仕事絡みでいえば内部統制、コンプライアンスなども。
官僚や知識人にバカが多いのも原因だろうが、
マスコミのバカどもが過剰に騒ぐので過剰なリスクヘッジをする悪循環に陥っているように思えるのは気のせいか。
愚痴をいっても世の中は変わらず。従うしかない。
こういう「流れ」なのだろう、いまの日本は。
あきらめが肝心だ。
リスクは理解できるが、過剰反応のような気もする。
仕事絡みでいえば内部統制、コンプライアンスなども。
官僚や知識人にバカが多いのも原因だろうが、
マスコミのバカどもが過剰に騒ぐので過剰なリスクヘッジをする悪循環に陥っているように思えるのは気のせいか。
愚痴をいっても世の中は変わらず。従うしかない。
こういう「流れ」なのだろう、いまの日本は。
あきらめが肝心だ。
関西は土曜に首都圏で放送される情報番組を見ても、他人事のように思えますが、これには背景があり、神戸の震災の時に関東は冷たい、というのが残っているようです。
首都圏にいて思うには、夜に街を歩くとやたらに暗いのが気になるのと、妙なことであおる割りに肝心なことはあまり報じられない傾向が特に強いことです。
お写真は大阪駅頭の光景ですが、新しく改装ができたと聞きました。この市バスと、阪急ホテルの前にひっきりなしに到着する深夜高速バスが印象的な光景です。
大阪駅が新しくなりました。高速バスは阪急下とJR大阪駅桜橋口と2つありましたが、JR系は新しくなった大阪駅北側に移動しました。名古屋駅、岡山駅と、ここ最近高速バスターミナルが一新しています。
折角、相手を議論で打ち負かしても、それに代わる自説を提案できないのは非建設的である。
議論では「破壊は建設なり」とは行かない。不毛の議論にしかならない。時間はいくらあっても足りない。
自説を述べればそれで万事発表は終わる。
さらに、自説に似た他説があれば、自説の優位性を述べることも有益なことである。
これは、人類の進歩につながる建設的な態度である。
考える人にならなければ、自説はできない。このような人は、とらえどころのない人と呼ばれている。
しかるに、丸暗記と受け売りの学力を使って議論をしかけようとしている。
真正でない学問をもって世俗におもねり、人気に投ずる言説をなすことを曲学阿世というが、こうした行いが横行している。
こうした行為は、あながち個人の責任には帰しがたいが、由々しい事実であることには間違いない。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812