Junky Monologue

   ひとりよがりな趣味のお話し。

   JunkなものしかないJunkなブログでございます。

小型スピーカーの板取図

2012年07月29日 13時28分32秒 | スピーカー
5cmウッドコーンユニットの板取図が出来た。



小さいので3×6判の半分の板で2組余裕で板取できる。
なので、やや不安のあるスリットダクトの開口面積を2種類選べるようにやってみた。

PDFでアップしたいのだが、残念ながらファイル形式がサポートされていない。
で、かつてのホームページのサーバーにアップしようとしたが、
これまた今のPCはから何故か接続ができない。
あとで対処を考えるとしよう。

鳥肌ものの1枚 その2(CLASSIC編)G・マーラーのこと

2012年07月28日 19時21分46秒 | 音楽
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
マーラー交響曲第9番



マーラーという作曲家は一見(一聴)分裂症的な楽想のせいと、どう捉えて良いかわからないまたは何が言いたいのかわからないという意味で難解な作曲家の一人に数えられているかもしれない。
また、とある日本の有名なサブクラシックのバイオリニストは「マーラーはナルシストだから嫌いだ」とラジオで語っていた。
ではマーラーは分裂症のナルシストだったのか?、
マーラー嫌いの人々は「どの曲のどこを聞いても同じに聴こえる」「どの曲も無意味に長い」と言う。
ほんとにそうなのか?、そしてそもそも長大な交響曲に拘り続けたマーラーの真意とは?
その答えのひとつがこの1枚に凝縮されているような気がする。

人間存在の大きな特徴のひとつは自らは有限の存在であるにも関わらず、いつも無限なるものを夢見ようとしている動物であると言うことだ。
それは全ての人間的と呼ばれる行為の原動力であると同時に全ての宗教の根拠でもある。
言ってみれば地上界と天上界の往還という衝動が全ての表現行為の根底にあるのかもしれない。
もっとも宗教の場合は一方通行のまま行ったきりで決して戻っては来ないが。

音楽を含む芸術行為の価値をどれだけ普遍性を獲得したかで計るとすれば、
ヨーロッパ音楽(特にその王道たるドイツ音楽の流れ)の歴史はこんな風になるのではないかと考える。
バッハ以前の教会音楽 ⇒ 普遍化された世界=天上界=天上界の賞賛
バッハ以降古典期から前期ロマン派にかけて ⇒ 地上界は天上界に作られた=地上界の謳歌=天上界の賞賛
後期ロマン派 ⇒ ちょっと待て、では地上界の諸々の苦しみは何と解釈するのか?地上界の汚れは天上界の汚れなのか?
後期ロマン派以降 ⇒ 混沌そのものが世界であるならもはや様式に拘る理由は何もない、あるいは現世的なものだけで十分=土着的なものにも価値がある。
現代音楽 ⇒ 何でもありだけど答えが出ない、答えが出ないのは設問の誤りであるけどさてはてその正しい設問とは?、でその答えって何に対する答えなんだ?

なんと乱暴な、それ故にこうなってくるとまったく収拾がつかない!(笑)。

いわば表現行為を此岸と彼岸とを架橋しようとする行為と呼ぶならば、
「行きは良い良い、帰りは怖い」大事なのは帰り道の作り方なのだ。
生と死、現世とあの世、此岸と彼岸、肉体と精神、現実と理想、全ての矛盾と本当の悩み煩悩はその狭間にある。

余談が長くなり過ぎた。
マーラーという作曲家はこの帰り道を探し続けた作曲家なのだと思う。
近代的な市民社会の成熟に伴い「煩悩」が加速度的に膨れ上がりはじめた19世紀末~20世紀初頭、
これまでの偉大な先達たちの音楽的な達成からの帰り道マーラーはあまりの「煩悩」に悲鳴を上げている。
でも帰りの道筋を決して諦めていない。もがき苦しむ姿を聴衆に晒してしまうこともあったかもしれないが。

やっと本題
この交響曲9番は近づいてくる死の足音を感じ始めたマーラーがようやく到達した新たなステージへの予感に満ちている。
バルビローリとベルリンフィルは希望でも絶望でもなく、薄っぺらな情緒的表現に頼らなず、ただ「必然」ということの逃げられない重みを、
人間的な優しさと懐の深い情緒性を巧みに操作しつつ、微妙な時代に生まれた微妙な世界観を今に生きる世界観として強固に構築している。
この録音はジョン・バルビローリの愛に満ちた深い解釈とベルリンフィルの卓越したテクニックが為し得た偉大な成果だと思う。
分裂症でもナルシストでもなく、外見は確かに激情家、でもその実は冷徹な観測者だったかもしれないマーラーの姿が浮かび上がる。
とりわけ第4楽章の微妙な調性感と時間感覚(あえてリズムと呼ばない)に鳥肌が立つ。

聴き方は人それぞれの自由、その解釈もしかり。
でも確かにそこに何か目に見えない巨大な「世界」があることを感じることはできるはずだ。
そんな「世界」に圧倒されてみるのも一興かと思う。

鳥肌ものの1枚 その1(JAZZ編)エリック・ドルフィー

2012年07月26日 02時58分31秒 | 音楽


エリック・ドルフィーの「ラストデイト」。
期せずして彼のラストテイクとなってしまった有名な1枚である。
始めて聴いたのは35年以上も前大学生になったばかりの頃であった。
当時はJAZZ(特にモダンジャズってやつ)って何だか気取った音楽だと思っていたので、そんな認識を見事に壊してくれた私にとっては衝撃的な1枚だった。

自由奔放でありながらJAZZとしての基本スタイルを壊さずにいる何とも奇妙(絶妙)でエキセントリックな世界観が何度聴いても新鮮である。
あえて言葉で言うとすれば、
世の中に良くある全ての二元論「白か黒か」「善か悪か」「正か誤か」「保守か革新か」「右か左か」あるいは「反○○」みたいな、はたまた「売れるか売れないか」とか、
とにかくそんな類のもの、ほんとうはどうでもいいのに正義の仮面をかぶって威張っている全てものに無効という事実を突き付けてくれる、そんな胸のすく表現があるとすれば、これはその類い稀な見本かもしれないと・・・。
「今は大きな声で言えない、でも忘れかけてしまった何か大事な・・・でもほんとはそれ自体どうでもいいのかも・・・」みたいな訳のわからぬ事を考えてしまいそうになる、不思議な開放感に満ちた絶妙な1枚だと言っておこうと思う。

まぁそんな話はさておき、このアルバムの中の唯一のスタンダード曲「You don't know what love is」の美しさと妖しさは何度聴いても色褪せることがない。
35年間絶えず私を震撼させ続けてきた名演なのだった。

あとで知ったことだが、このアルバムで共演したミシャ・エンゲルベルグというこれまた一風変わったピアニストはこのあと一挙に有名になりアムステルダム大学の音楽教授にまでなったらしい。
エリック・ドルフィーはこの絶妙なピアニストと恒久的なコンボを組む予定だったらしく、あと少し彼が生きていれば今とはちょっと違うJAZZの歴史を楽しめたかもしれないと思うと残念でしょうがない。

こんなジャケットもありました(こっちの方が有名か)。



アナログレコードではこっちを持ってました。

アルバムの最後に録音された彼の肉声

When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again.

音楽の本質を言い得て妙というものだが、これをまた再生音楽として何度も聴けるというのはアイロニーというべきなのか、
否、聴く側にも主体がある限りやっぱり同じものは2度と聴けないのだ、良い音楽であるほど。

小型スピーカーの続き

2012年07月22日 19時11分01秒 | スピーカー
気分転換を兼ねPracAudio5cmウッドコーンの箱を設計してみた。

なるべく推奨箱の特性に近づけながら、組み立て易いスリットバスレフを考えてみた。
スリットバスレフならパイプを使わず、板組を1枚加えるだけで済むし、とにかく組み易いので、その意味では始めての方にはお勧めの方式かもしれない。



これがいつもの設計支援ソフトのシミュレーション



ダクトが円形断面でしか入力できないのでほぼ同じ開口面積になるように仮定してある。

数値上の特性は同じでも円形のダクトと細長い開口部のスリットダクトでは聴こえ方はだいぶ違いが出るはず。
どのような違いになるかは良くわからないが、ここはユニットの素性の良さを信じてみるのも一興かと思う。

k-kohさんいかがでしょうか?
よろしければ板取図を起こしてみますよ♪。

窓って気持ち悪い?!。

2012年07月22日 00時55分17秒 | ぼやき
自宅に窓PC環境が出来てから、いきおい持ち帰り仕事が増えてしまった。
休日出勤しなくて済むのは良いのだが・・・。
休みは林檎で3DCGなんて遊びが出来ていたのは遠い昔の幻、今や窓の奴隷と成り果てている悲しい今日この頃。

ずっと以前から思っていた事だが、窓というやつはやたらにHDDにアクセスする。
何も操作していなくてもHDDのアクセスランプは点滅しっ放し、ユーザーの与り知らぬところでいったい何をしているのやら。
ユーザーのコマンド実行すら後回しにされることが往々にしてあった。
ほんとうに窓というのは気持ちの悪いOSだ。
窓7になってどうなのか?、長期使い続けないとわからないが・・・。

それに輪を掛けて気持ち悪いのがEX○○という電卓ソフト。
そいつのバージョンが新しくなったら更に最悪!、所詮たかが電卓ソフトのくせに実用性より見た目を優先しやがった。
今までワンクリックで済んだ操作が数回クリックを繰り返す羽目に。同じような操作を繰り返さないといけない電卓ソフトだけに作業性を著しく阻害する。
OSにしろ、電卓ソフトにしろ開発者は一度も自分じゃ使わないのに違いない。
世界標準とはユーザー置き去りって意味だと始めて知った(なにを今さら)。
確かに今更ではあるが、儲かるビジネスとはいかにユーザーを置き去りにするかが(出来ればユーザーに気づかれないように)重要なのだな。

そんなこんなで、決してユーザーさんを置き去りにしない(させてくれない!?)ウチの会社は永遠に儲かるはずがないのです(爆!)。

小さいスピーカーは難しい?

2012年07月16日 23時53分03秒 | スピーカー
以下はコメントいただいたk-kohさんへのお応えが中心です。

PracAudioの5cmウッドコーンユニット(俗称ちびっこウッド)で小型スピーカーを作る場合、低音域の考え方をどうするか?

まず、PracAudioのメーカー推奨BOXを例のスピーカー設計支援ソフトで試してみると・・・。



ユニットの最低共振周波数である160hzに対してバスレフ箱のダクトの共振周波数が90hzとかなり低めに設定されている。
なので画像の右側にある周波数特性グラフの100hzあたりが凹んでいるのがわかる。ちょっと気になる部分だが、メーカー推奨箱ということでもあり相当にヒアリングテストを繰り返した結果だとも思われるのでこれがベストなのだろう。
すると、これをさらに改良するとなると相当に難しいことがよくわかる。

単に再生可能な周波数の下限を伸ばすだけなら箱の容積をうんと大きくしバスレフダクトを長くするだけで良いのだが、
上のグラフを見てもわかる通り途中の周波数帯が凹んでしまい寂しい音になりかねない。
となるとバックロードホーンとかダブルバスレフとかより複雑な構造の箱を考える必要があるのだが、そうするとどうしても望まれている箱のサイズを大きく超えてしまう。
なので、ここは低音というものの考え方を少し変えてみよう。

改良(改悪?)案 その1



これは低域の下限を伸ばすことを諦め再生下限を100hzあたりまでとし、ダクトを太めにすることで量感を重視?した方向のもの。
しかしこれだと単に下限が上がっただけのようにしか聴こえない可能性も高い。

改良(改悪?)案 その2



こっちはほんの少しだけど推奨箱より低域の下限を伸ばしたもの。
単純なバスレフタイプの場合、グラフの凹み方を見ればわかる通りこれ以上低域の下限を伸ばすのは音のバランスを大きく壊してしまいそうです。

どちらも本当のところ作ってみないと推奨箱より良くなるかどうかはわかりませんが・・・。


一口に重い低音と言っても、感じ方は人それぞれでちゃんとした定義は不可能に近い。
聞く人がそう思えば良いだけのことなのだが、ちょっと低音と呼ばれるものについて考えてみよう。
普通に低音域について考えるとき楽器で言えばウッドベースとかバスドラムとかコントラバスとかティンパニなどの打楽器の音を思い浮かべる。
これを周波数帯で考えると結構幅が広く上は500hzあたりから下はパイプオルガンの最低音と呼ばれる37Hzぐらいまでということになると思う。
一方、オーディオ的に問題になるのがスピーカーユニット(フルレンジ)の音圧が下がり始める200hzあたりから下の周波数帯であり、スピーカーを自作する人が最も気にするのが100hz以下の帯域ということになるのだが、ただ100hz以下の音が出ればそれで良いのかというとちょっと違うと思う。
他の周波数帯とのバランスが問題になるからで、しかもしっかりした音色で聞こえるかどうかと単に測定器による音圧レベルは必ずしも一致しないと考えている。
これは単に私の経験的な感じ方だが、音楽的に重厚感のある音とは多分100~300hzあたりの帯域がしかっりしているかどうかが決め手ではないかと考えている。
ジャズやロックなどで、特に電気楽器を多用した音楽では100hz以下の成分はさほどは多くないし、
フルオーケストラでもそのあたりの帯域の解像度と音圧が十分なら聴き応えのある再生音になるはずだと思っている。
逆にいくら20hzまで再生されていても100~300hzあたりが凹んでいると聴くに耐えない寂しい音楽になってしまう。
現に市販されている多くのスーパーウーハーなどは意外なことなのだが、150hz~200hzあたりがブーストされるようになっているものが多いはずだ。

では100hz以下な不要なのかというと全然違って、100hz以下出来れば40hzあたりまでしっかりした解像力で聴こえるととても気持ちがいい(当たり前)。
アコースティックな楽器の場合、倍音という言葉を良く聞くが、ウッドベースにしてもコントラバスにしても実は低い方にも倍音が出ていることがわかるからだ。
ってことで、結論はやっぱり再生下限はやっぱり低いほど良いってことか。

10cmウッドコーン

2012年07月16日 14時36分33秒 | スピーカー
愚息が昨年4月に就職した会社を早々に退職、先週インドネシアに向け旅立った。
もちろん日本企業の現地要員としての再就職ではあるのだが、
私の時代では有り得なかった選択肢でもあり、実は親ながらに羨ましいというのが本音であった。

それはさておき、やっとPracAodioの10cmウッドコーンを入手した。
とりあえず、手元で余剰になっていた単純なバスレフ箱に入れてみた。



この箱、元はF社のFE103用のものだったのでダクトのfdもかなり高いはずで(おそらく90hz以上)
f0の低いPracのウッドでは相当にブーミーな音になる事を予想したのだが、以外にもスキッリとした低音が聞こえてくる。
これはもしかするとうまく行くかも?と、前回設計した箱への取り付けに否応にも期待が高まるというもの。
早く板を発注しないと・・・。

それにしてもPracAudio、噂に違わずかなり優秀なユニットである。
振動系の重量とかスペックからはかなりソフト志向な音質を想像していたのだが、以外にもF社ばりのタイトな性質も併せ持っているような感じである。
絶妙なバランス感を持ったユニットである、恐れ入りました。

やっと設計決定

2012年07月06日 21時55分43秒 | スピーカー
やっと板取図を作る時間ができた。


こんな構造の箱の特性を簡単にシミュレーションする方法がなく、
結果がどうなるのかさっぱりわからないのだが、
スピーカーマニア達がよく使うらしい設計支援ソフトを使ってなんとか真似事めいた事ができないかと考え、
あさはかながら2系統設定したダクトの特性をそれぞれ独立したダブルバスレフと強引に仮定して、
無理やり計算結果を出してみた。
まずその1、↓周波数帯の高い方がこれ

その2、↓周波数帯の低い方

こちらの画像にある図面は単に容積を仮合わせしただけのものなので、先に上げた設計図面とは異なっている。
それはともかく、じっさいには全ての空気室と全てのダクトが相互に関係しあうはずなので、この計算結果は相当に実際と食い違うはず。
とは言え、何も参考にするものが無いまま作るよりは少しはマシだろうといういいかげんな考えである。
従って例によって数種の長さの違うダクトを用意しておき、差し替えながら最後は耳で確かめながら調整ということに。
そんな気長な作業も楽しみの内ではあるのだが、
さて、いったいいつ作れるようになるやら。