Junky Monologue

   ひとりよがりな趣味のお話し。

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今だからこそいえない??!(クリムゾン・キングの宮殿とか・・・)

2018年09月22日 16時42分15秒 | 音楽
いろいろと人には言いにくい辛い日々が続いている。
こんな事して遊んでる場合じゃないのは重々承知ながら、四六時中緊張状態でいる訳にも行かない。
こういう時こそ心のゆとりが大事・・・と自分に言い聞かせる毎日。
でも新しいスピーカーを企画するほど体力も資力もない今日この頃・・・。


えっ!?、だからってこれですか?(どういう脈絡なんやら)。

誰もが知ってる「クリムゾン・キングの宮殿」、不朽の1枚やね。
キング・クリムゾン自体はジョン・ウェットンやビル・ブラッフォードがいた頃や、
エイドリアン・ブリューの時代から比較的最近までいろいろと面白いバンドではありますが、
やはり表現の突出力(芸術力?)ではコレがダントツピカイチ。

リリースされたのがアポロ月面着陸の1969年、初めて聞いたのは高校1年の頃(1971年・・・歳がバレるやん)。
2年のブランクがありますが、当時洋楽の場合日本盤の発売が本国リリースから1~2年遅れるのは当たり前のことだった。
ラジオなどで聴けたのもそんなタイミング、レコードを手に入れたのは更にその?年後。
レコード1枚買うにもお小遣いを数か月貯めるかバイトに精を出すしかなかった。
しかも当時高校生にも出来るアルバイトはとても少なかった(コンビニはもちろんファストフードもファミレスもない)。
まぁ~家に再生装置があっただけでも幸運だったのか、それともそれが不幸の始まりか・・・いえいえ両親に感謝です(笑)。
そんな時代の多感?(そりゃ多汗やろってツッコミはなしね)な少年がこんなの聞かされちゃおかしくなるのも頷ける(爆!)。
ともかく「世界の現在」みたいなものをこんな音楽から感じていた、そんな時代だった。
その「重さ」たるや今の時代に匹敵するものを想像するのが難しい。
それは当時の日本と世界との距離感みたいなものだったのだろうか?
はたまたある種コンプレックスか・・・ちょっと取り止めなくなった。

このアルバムの内容について私ごときがとやかく言う資格は何もありません、ある意味歴史の手垢が付きまくってます。
もちろん全曲が筋金入りのお気に入り。
でもこのLPレコード(なんと甘味な響きか!)を初めて通しで聴いた時からずっと気になってしょうがないと言うか、
耳の集中の仕方が他の曲と違ってしまうと言うか聴くたび発見があるというか・・・心の問答が始まるというか・・・。
もしかすると他の人なら退屈でパスしがちかもと敢えて取り上げたくなる・・・
それは嬉し恥ずかしB面の1曲目「MOONCHILD」。
それもボーカルが終わったあとの10分間。
リリカルで怪しく儚くも美しい幻想的な世界観がもしかするとその後の私の性向がかたち作られちゃったかもというくらいのドはまり具合。

この部分を即興演奏だとかフリージャズに影響を受けたとかってよく聞きますが、それはちょと違うんじゃないかと・・・。
ジャズの影響は多いにあるでしょう、でも私には即興には聴こえない・・・。素晴らしい録音(たぶん当時にしては超一級)なのだが、
生撮り一発の音には聴こえない・・・バランス良すぎ音が良すぎる(オーディオ的に)多重録音じゃないの?と・・・。しかも楽譜ありますよねと・・・五線譜の楽譜じゃないにしても進行構成チャートとか・・・確かにあの当時は即興演奏だと思ってましだが、今の耳で聞くと調性感もしっかりあって何より統制力があまりにもよく効いてる。とてもフリージャズなんかじゃない!(いえ、フリージャズも好きですけど)。
まぁ~、どうでもええっちゃ、どうでもええんですけどね。

↓で後年(?十年後やら)インスパイアされ続けてきた世界観からこんな画像を作ってしまった。

恥ずかしいのでちょっと小さめ画像で・・・絵に重ねたテキストも自作です、笑わないでね~(って笑)。

で恥ずかしついでに・・・今聴くとちょっとだけ頬が赤らむ感覚というか・・・それが気持ちええねんけどね。
A面3曲目「EPITAPH」。

こりゃもう超弩級の『演歌』やね、それとも浪花節(笑)。
今この時代に言えますか?「Confusion will be My Epitaph.」なんて、相当に恥ずかしくないすか?。
さらにもう一丁「Yes I fear tommorow,I'll be crying.」どうすかこのこっ恥ずかしさ。
当時はこれらのワードを超カッコ良く感じたんです(その後の人生狂わせたかもってくらいに)。
じゃ、なんで今恥ずかしいのかって・・・、
当時は子供だったからか? 人生既に狂っちゃったから恥ずかしいのか?。そうかもしれんね確かに。
でもね、ひとつだけ言っときたい。時代なんだと・・・。
当たり前やないかと言うなかれ、そんな意味じゃない。
発表された当時が混乱の時代だった?そんな部分も確かにあるでしょうよ、あの60年代末なので・・・でもね、
『混乱は我が墓碑銘』なんて言えるシチェーションって何でしょう?、それ内面的には全然混乱なんてしてないんです。
混乱はあくまで外的要因、対する自分の内面はしっかり屹立していないと言えないんです。
混沌の外界に対してしっかり対処法(たとえ間違いでも)を持っていると思える時こそカッコええのよね。

『明日が怖いから泣いちゃうよ(叫んじゃう)』というのも同じ、
明日に希望を見い出せるからこそ言葉に出しても受け入れられるんです。
ほんとに混乱の明日が待ち構えているならほんとに怖いのでこんな事言える訳がない。
明日が怖い時代に「明日が怖い!」って言ったら・・・『うるさいわ!』と言われるだけですよね、当たり前のことなので。
当たり前のことなどみんなは聴きたくないのです、ネガティブであるほどに。
今の時代の流行りの唄などを思い浮かべてみると・・・えっ?・・みんな明るくてとっても元気やね~。
「頑張ろう、頑張ったね」「あなたのために、みんなのために」・・・うん!素晴らしい!
「明日が怖い」なんて甘ったれた弱音は誰も吐きませんねぇ・・・素晴らしい!・・・えっ、で、でもほんとに?。
時に表現の世界は反語になることが往々にしてある・・・ということは・・・ほんとのこと言っちゃいけないんですか~~っ?
たまには大声でそうゆうた方がええんちゃうやろか・・・と言いたい今日このごろ。

あっ、そうそう忘れちゃいけないA面1曲目
「21st,CENTURY SCHIZOID MAN」
これ知らなきゃロックファンじゃない「21世紀の精神異常者」
この邦題タイトル最近「21世紀のスキゾォイドマン」なんて改題された表記を見つけた。
まぁ~直訳っちゃそうなんですが・・・かつて浅田なんちゃらって先生が流行らせたスキゾキッズ(意味わからんけど)とかの影響?
それともよくある社会的配慮?、もしそうならこんな言葉狩りはいい加減やめて欲しいと思ったり・・・。
せめて「21世紀の錯乱者」くらいにできなかったんでしょうかね~???。

えっと・・・そんなこともどうでもよくて、
それにしても凄いですね~ピート・シンフィールドさん。いい詩書いてますね~。
こんなカッコイイ『言葉使い』になりた~い(あっ、いえ、なりたかった)・・・なんちゃって。