Junky Monologue

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バルトークはお好き?

2018年10月14日 10時39分35秒 | 音楽
「バルトークが好き」なんてことを言うと、
大方の人たちからは「変わってますね」とか「あんなのよく聴けますね」とか
「頭おかしくならないですか」みたいな反応が普通かと思う。
「私も好きなんですよ」なんて反応を得られることはほとんどないでしょう。
仮にそんなお仲間が稀に見つかったとしても、私自身は音楽の専門的なことをほとんど何も 知らないので、
お話に着いて行くことも叶わないでしょう。
まぁ~それくらいに難しい作曲家のひとりには違いないのかもしれない。

いきなり前回投稿の続きになりますが、
"I fear tommorow I'll be crying"これの翻訳間違えてますね。
直訳としては『私は明日泣いちゃうであろうことを恐れる』が正解ですよね。
『明日が怖いから泣いちゃう』と言うのとは相当にニュアンスが違います。
この発語者は泣き叫ぶ事が怖いだけで、明日が怖い訳じゃない。
泣き叫ぶくらいだから間接的には明日が怖いという解釈も成り立たない訳じゃないですが。
まぁ~これは明日が怖くて仕方のない私の勘違いということで(笑)。
一応この場を借りて、修正すべきは修正しておかないと、という事で・・・。

で、何の話だったかというと、バルトークの話。
ほとんど意味のない問いではあるけど、
彼の一聴恐ろし気な作品群は、彼が明日を怖がったせいなのだろうか?
彼が生きた時代19世紀末~20世紀半ば、戦争の時代には違いない。
確かに明日が怖い時代だったろう・・・民族主義の興隆、第1次大戦、ナチスの横暴とロシア共産党の潜在的狂気、
晩年アメリカに逃れたとはいえ、彼が主に生きたのはそんな渦のど真ん中東欧ハンガリー。
しかしそのような感覚を直接創作衝動に結び付けるのは短絡し過ぎ。
あくまで彼の関心は民謡、民族音楽の収集とその研究にある。
音楽はそれ自体の表現の蓄積にのみ動機を見出す。社会情勢など間接的な副次要素に過ぎない。
だからこそ、年月を超えて訴えかける作品のパワーと深さが生まれる。

実際バルトークの魅力を言葉にしようとするのはとても難しい。
音楽の専門知識、専門用語とその概念を知らずにはおそらく本当の意義にはたどり着かないのだと思う。
「対位法」だったり「和声」だったり「調性」だったり、さらには「12音法」とか・・・。

全部の作品がそうだと言えないとしても多くの人たちは不安感を煽られるだけの音楽だと感じるでしょう。
何を隠そう私自身も高校生のころ初めて「弦チェレ」を聴いた時はそうでした。
なのでただでさえ潜在的不安感満載の日常生活の中にあって、
こんな音楽が好きだと言えば変人扱いしかされないのは一定理解できます。

がしかし!、バルトークの音楽にとって不安感を煽るのが目的であるはずがないし、
不安感の表現ですらないと私は感じる。

何故なら、私個人は彼のそんな音楽に癒される事が多々あるから。
極度に落ち込んでしまったとき、自暴自棄になりそうなとき、不安感に押しつぶされる間際、
そんな時バルトークの音楽に秘められた時空を超越した超現実の世界とも思われる絶妙な美しさに気が着く。
この美しさに触れると波立った心が静まり冷静になって考える力が湧いてくるような気がしたりする。

本当に落ち込んだ時は他人に優しくされてもウザく感じるだけだったりしませんか・・・、
逆に感情的になったり「余計なお世話」と却ってつむじが曲がったりとか。
ほっといて欲しいときにほっといてくれる、寄り添わない、突き放してくれるのがバルトークなんでしょうか?。
寄り添われない心地よさ、自立を促すかの突き放され方、
それは言い換えるとウソの無さ、究極の誠実さに繋がっていると言えたりしませんか。
でもこれは今は単なる私個人の主観。本当は『音楽』自体の内在性によって説明されなければいけない。

特別よく聴く(効く?)のがコレ。

『弦楽四重奏曲No.1~No.6』演奏:Alban Berg Quartett(他の奏者も聞きたいがこれしか今は持ってない)

不協和音のハリケーンです。
全曲一瞬たりとも緩むことのない緊張感の持続力と美しさ、恐ろしい集中力。ただ凄いと言うしかできません。
「逃げずに現実をよく見て立ち向かえ。」という叱咤激励なんでしょうか。
バルトークさんは結構厳しい~~~!(笑)。

で最後にコレを追加↓別にバルトークさんに触発されて作った訳じゃないけれど・・・

ただのお目汚し、やっぱかなり恥ずかしい(爆)。