Junky Monologue

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ショスタコーヴィッチの証言

2013年03月31日 17時10分20秒 | 音楽
風邪を引いたのかここ2~3日微熱が下がらない。体中節々痛いしとにかくダルくてしょうがない。
こういう時は好きな音楽を聴きながら寝てるのが一番、
調子の悪いときはヘンデルやヴィヴァルディみたいなバロック系の音楽が良いようで・・・。

先日会社の後輩がこんな本を貸してくれた。

後輩に言わせると2~3ページ読むとすぐ眠くなり睡眠誘導材にちょうど良いとのことであったが、
私にとっては興味深い事ばかりで、たいへん面白くあっという間に読めてしまった。

私にとってショスタコーヴィッチは一番わかり難い作曲家という印象が強かったのだが、
それは曲自体の難しさという意味ではなく、彼自身の置かれた環境とその関係性のわかり難さにあったのである。
もちろん作曲された作品の良し悪しはそんな事とは無関係な事なのだが、
そこはやはり、およそ芸術表現というものにとっては、戦前戦中の日本の環境やナチスドイツでの環境などより、
遥かに過酷でおそらくは人類史上最悪と思われるスターリン時代のソ連でのことである。
彼がグラズノフやストラヴィンスキーのように亡命しなかったのは何故か?などなどなかなか想像の及ばない事柄が多すぎたのだ。

彼がスターリンに迎合していたのか、そうでないのか?とか、社会支配体制と芸術表現の関係性は如何にとか、
そんな事は全て表層的な事柄で、実際そんな環境の中で生きている人間にとってはどうでも良い瑣末な事柄である。
ショスタコーヴィッチが亡命しなかった理由はおそらく彼自身の国や社会に絶望していたのと同程度に西側社会にも絶望(絶望の予感というものかもしれない)を感じていたのだと私は想像する。
この事について彼自身はこの本の中であまり多くを語っておらず、読んだ印象から受ける推測に過ぎずしかもしっかりした論拠がある訳でもない、ただ何となくそう感じるのである。
おそらく彼は社会とか体制とかはたまた歴史とか、とかく言葉によって語られる事柄を拒んだより深い次元の人間を音楽によって表現したかったのだろう。
こういう風に口にしてしまうと、あらためて言う事でもない当たり前の事になってしまうが、当たり前の事を当たり前のようには口に出来ないほどに私自身が私自身の置かれた地域的歴史的社会的環境にどれほど惑わされいるかという証明なのだろう。

そう思って余計な事を考えず、素直に彼の音楽を聴き直してみると(とは行っても今は手元には交響曲5番と7番のCDしかないが)、
しごく当然だが全く別の音楽に聴こえてくる。
多分彼の本当の真価が正しく評価されるのはまだまだ時間の経過が足りないのかもしれない。

どっちにしても彼の音楽をもっとたくさん聴きたくなった。