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農耕民と牧民(3)~社会の変容と暴力的過激主義

2016-05-12 07:30:59 | アフリカ情勢
サヘル地域における農耕民と牧民、歴史の経緯と再発政策の中で変容する関係について考えている。

農耕民と牧民
農耕民と牧畜民(1)~サヘルであやぶまれる共存関係
第二話 追い込まれる牧民たち

歴史的には社会的優勢と富を持ってきたプール系牧民。しかし近代的な開発の中でいつしか農耕民と地位が逆転し、周辺領域に押しやられつつある。こんなトレンドについてお話ししてきた。


そんな中、昨年2015年に見過ごすことのできない大きな動きがあった。マリにおける暴力的過激勢力の動向だ。

それまでマリにおける暴力的過激主義といえば、主に外来由来のイスラム武装勢力を指すことが多かった。マグレブ諸国のアルカイダ(AQMI)や、その傍系たるアル・ムラビトゥーンはその代表例だ。

他方、イスラム過激派とは一線を画す、トゥアレグ系強硬派武装勢力のアザワド解放国民運動(MNLA)や、MNLAとも血縁関係を結んだイスラム武装勢力アンサール・ディーンなどもあり、その勢力構図は2015年までにモザイク模様を呈してきた。しかしこれらはマリの「北部」を舞台としたものだった。


ところが。2015年上半期ころから、同国中部に位置するモプチ、セグーなどニジェール川中流域における暴力的過激主義の黎明が注目を集めてきた。外来勢力でも、アラブ系でも、トゥアレグでもない。バンツー系の黒い人たちの中での動向だ。フルベ人、プール族のアマドゥウ・クファなる人物が主謀するとされるマシーナ解放戦線(Front Libération de Macina: FLM)の登場である。FLMについてはこのブログでもなんども取り上げてきた。

2015年8月に中北部、モプチ州セバレ発生したホテル襲撃事件では、アンサール・ディーンと並んでFLMが犯行声明を出した。 そして同年11月の首都バマコにおけるラジソン・ホテル襲撃事件でも、アル・ムラビトゥーンと並んで犯行を声明したのはFLMであった。イスラム武装勢力アンサールのディーンと近いとされるが、FLM自体が発出した文書やSNSなどは確認されておらず、組織体そのものもあまりわかっていなかった。

(参考記事)
マリ・バマコ襲撃から読み取れるサヘル地域イスラム武装勢力図


このように見ると、一見FLMは「イスラーム武装勢力」のようにも見られるが、イスラーム研究者はまったく異なった性格であることを指摘する。イスラーム思想に基づく武装勢力であれば、そもそも主権国家の概念を受け入れておらず、権力からの解放を意味する'Libération'の名称はそもそも相容れないのだという。

逆に言えば、FLMは現在の権力構造からの解放を主張していることを意味する、という。この地方に詳しいある研究者によれば、彼らが登場してきた背景に、マリ中部の社会の変容と力関係の変化、放牧民の周辺化があるとする。そしてFLMを「フルベ人の歴史的主張を代弁する過激派勢力」と分析する。

((c)nations presse.info)


その後、報道ではLe FLM が、アンサール・ディーン・シュッドゥ(Ansar Eddine Sud、またの名を katiba Khalid Ibn Walid)とともに、マリ中部で若年層のリクルートを強化し、勢力を拡大していることが報じられた。それに対し、マリ治安当局が捜索を強化。2016年3月にはFLMの約200人の兵士が投降し、弱体化したとも報じられた。

しかしこの「投降」の直後に発生したコートジボワール、グランバッサンのテロ。実行犯はサヘル地域を根拠とするサブサハラ系の黒人であったとされる(関連記事はこちら)。問題はどうやらFLM終始で局地的に起きているものではなく、じわじわとマリ南部、そしてサヘル地域全体に暴力的過激主義が浸透しつつある、と危惧される。そしてこの動きは当事国政府にとって看過できない方向に向かっている、という。

(つづく)

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