だいぶ前に買っていたのだが、なかなか手をつけられずに長引いていた、素樹文生さんの「上海の西、デリーの東」をやっと、読んだ。
このあいだ、三浦しをん氏の「仏果を得ず」(これもだいぶおいてあった)を読んで、面白かったので、調子づいて、そのままこれにとりかかって、読了したという次第だ。
面白かった。東南アジアを旅する、青春紀行ともいえるだろうか、私自身が、もっと若いころに読んでいたら、今よりも刺激的だったろう。
自由で、わくわくして、そして、せつない。
これはまさに青春そのものではある。そして、先が見えない。自分がどこに行くのか、行こうとしているのか、行くべきなのか、そのすべてが見えない、という状況だ。
だから、せつない。
自分の十代後半から、二十代半ばまでを見ているようだ。
高校から、大学の時代。
いろいろあったなあ。あの頃は。そして、まったく行先も、自分自身も、見えていなかった。幼かったし、いろいろと考えているようで、ほんとうは迂闊で、流されていて、衝動的だった。
でも、せいいっぱいだったな。
その時々では、そうするしかなかったんだ。泣けてくる。(笑)。
ほんとうに、泣けてくるな。
こどもたちは、元気かなあ。(笑)。
このあいだ、三浦しをん氏の「仏果を得ず」(これもだいぶおいてあった)を読んで、面白かったので、調子づいて、そのままこれにとりかかって、読了したという次第だ。
面白かった。東南アジアを旅する、青春紀行ともいえるだろうか、私自身が、もっと若いころに読んでいたら、今よりも刺激的だったろう。
自由で、わくわくして、そして、せつない。
これはまさに青春そのものではある。そして、先が見えない。自分がどこに行くのか、行こうとしているのか、行くべきなのか、そのすべてが見えない、という状況だ。
だから、せつない。
自分の十代後半から、二十代半ばまでを見ているようだ。
高校から、大学の時代。
いろいろあったなあ。あの頃は。そして、まったく行先も、自分自身も、見えていなかった。幼かったし、いろいろと考えているようで、ほんとうは迂闊で、流されていて、衝動的だった。
でも、せいいっぱいだったな。
その時々では、そうするしかなかったんだ。泣けてくる。(笑)。
ほんとうに、泣けてくるな。
こどもたちは、元気かなあ。(笑)。