~ならしのの風に乗って~

二人三脚で綴る夫婦の気ままな日記

【御柱祭】山出し&木落としを満喫してきました♪

2010-04-12 08:15:50 | 暮らし
おはようございます。

【御柱祭】下社の山出しを土曜日に見てきました~
夫婦とも、こちらの出身なので【御柱祭】というと”血がさわぐ”のです(笑)
土曜日は23万人の人出だったそうです!

まず朝、山に行き“木落とし坂”と呼ばれる御柱を落とす場所を見ました。最大傾斜35度という坂です。
実際にはもっと傾斜があるのでは?!という大迫力で、上に立つと恐くて身震いするほどでした。
足がすくむとは、まさにこの事です。
ここから御柱にまたがり下に落ちていくなんて!とても私には出来ません!!断じて(笑)

   

御柱に乗る人は氏子、御柱を曳く人を曳き子、御柱の舵をとる人をてこ衆、掛け声を掛ける人を木遣り(きやり)、などいろいろな役目の人がいて、その役目によって色分けされた法被(はっぴ)をそれぞれ着ています。だから見ているほうは、どの人がどんな仕事をするか、とても見やすくなっています。祭りの工夫ですね。

山出しは、“棚木場”(たなこば)と言われる場所から曳き始め、メインイベントの場所である“木落とし坂”を経て“注連掛”(しめかけ)まで、地元の各地区の曳き子さんたちが御柱を皆で力を合わせて曳いてくるのです。

私と主人も途中、御柱を一緒に曳かせてもらいました。(最近は一般の人は簡単に曳かせてもらえないようですが、親切な方のご好意で曳く事が出来ました。ラッキー!)
山の緑に囲まれ、横には小川も流れ、本当に楽しくて気持ちが良かったです

     

“萩倉の大曲”という難所を通りながら、4~5時間かけて“木落とし坂”にやってきます。

  

御柱の先頭にまたがる人を“華乗り”といい、この役に選出されるのは昔からとても名誉なことなのです。
危険が伴いますし、勇気のいる役目です。

木落としが始まるまで、木遣りやラッパや大弾幕など各地区の特徴の出たセレモニーを行った後、
いよいよ木が落とされるのですが・・・

坂の頂点にせり出した御柱が落ちないように、柱の後部に“追い掛け綱”と呼ばれる太さ約10cmの綱が付けられ、まず固定されます。
そして“追い掛け綱”をピン!と張り、それを切り落とすと御柱は下に落ちていきます。


  
上の写真が“追い掛け綱”です。

その綱を、斧を使って一回で断ち切る事が出来るかが、切り手の腕の見せ所です。
(一回で切れなかった人は、しばらく沈としているそうです笑)

この日は“秋宮四”と“春宮一”の二本が落とされました。

特等席の河川敷は有料で、すでに完売。3,000席の無料席は朝7時の時点で満席。
どこで“世紀の木落とし”を見ようかと探して、
一本目の“秋宮四”は木落とし坂の上の仮設トイレの横で・・(かろうじて確保できた場所です)
二本目の“春宮一“は坂の下の林の中・・でした。

待っている間、まわりの人たちと話をしたのですが、結構遠くから来ている人たちが多くてびっくりしました。
午前0時に出てこられた姫路の方、朝2時に出てこられた茨城の方、地元の祭りよりこちらを優先した東京の方など・・

いよいよ“木落とし”が始まります。

  

丸印の所が御柱の先頭です。落ちてきたのが、分かるでしょうか?
あっという間の出来事であせってしまい、よく撮れませんでした。(^^;

今日は二本とも見事に落ちたようです♪

木落としを見たあとは、“注連掛”を経由して“春宮”まで歩いて降りてきました。

  

左右に見える柱が7年前に建てられた“春宮一” “春宮二”の御柱です。

一ヶ月後の里引きの時に、今回”木落とし”された御柱に建て替えられます。

里引きは山出しとは打って変って華やかで“踊り”あり、“長持ち”あり、“建て御柱”のセレモニーがありで
祭りの違った見所満載って感じです。(残念ながら里引きは行かれそうもありませんが・・・)


  

お祭りの記念に御柱の記念切手とひょうたんのストラップを買いました。

それから御柱の祭りの包装がほどこされた諏訪のお酒をお土産にいただきました。
(高天、神渡、真澄の地酒。私たちが“のんべえ“なのを知る母や叔母、知人から)
見事に3種類揃いました~ すごい!

今日は一日中歩き、足腰が痛くなるほど疲れました。足が余程疲れていたのか、最後、坂を下る時
私が転びそうになるのを食い止めようとした主人共々、夫婦二人で転んでしまい、
周りの人にタダで笑いを提供してきました~(笑)これも思い出・・アハハ

疲れたけれど、青空の下、いろんな人たちと語り合い、雄大なお祭りを心から満喫した一日でした。