加地尚武の佐倉新町電気街

「福音の少年 Good News Boy」シリーズ(徳間書店 徳間デュアル文庫)著者による電脳生活と意見。

映画「宇宙戦争」を見てあれこれ思う。

2005年07月03日 01時01分55秒 | 音楽・映画のこと
映画のレイトショーに行ってきた。
宇宙戦争」(吹替版)である。わたしは、吹替派だ。物語に集中できる。字幕を追うのに疲れない。
「ロード・オブ・リングス 旅の仲間」のように字幕に不愉快な思いをしなくてすむ(「戸田語」にはうんざりだ)。

肝心の映画の出来だが、ドラマとしてはまあまあで、SF映画としてはあまりよくないと思った。というか、原作およびジョージ・パルの映画の古典的な枠組みを借りて、トム・クルーズ扮する父と子どもたちを描きたかったのだろうから、これでいいのかもしれない。

宇宙人の侵略目的(の描写)が中途半端である。とくに、赤い植物や吸血のシーンなど、単にスピルバーグらしい「イケズな光景」のためにこじつけたようで、論理的に弱い。そもそも人類を「駆除」して赤い植物を栽培したいなら、効率の悪い三足歩行兵器でチンタラやらんでもいいではないか。生き血を肥料にするというホラー映画まがいの設定がなんの役にたつのだ?
原作の時代から遙かに進歩した兵器が存在する現代に、そのまま巨大な歩行兵器を登場させたから、どうも無理がいったような気がする(ジョージ・パル制作の初代宇宙戦争は当時の特撮技術では、原作を再現できないので、空飛ぶ円盤型になったときく。それであの秀逸な円盤のデザインが生まれたからけがの功名というべきか)。
ウエルズの原作の背景には「ヨハネの黙示録」があり、文学的な必然性があると思う。映画は結末も含めてそこらへんが引っかかった。

わたしの想像なのだが、ウエルズの原作を現代化するために、トマス・M・ディッシュの傑作SF小説「人類皆殺し」の要素を加えたのではないかと思うのだが(クレジットにはなかった)、どこか食い足りない。それならいっそ、宇宙人に関する余分な描写を省き、結末もディッシュの小説寄りに変更したらどうだろうか?スピルバーグほどのひとなら結末が「それ」でも予算はつくのではないだろうか?

個々のシーンはいい。子どもの観客が悪夢を見そうだ。
家の真上に散乱したジェット機の残骸、川を流れてくるおびただしい死体、遮断機が下りて燃えさかる列車が通り過ぎる、転覆するフェリー、容赦なく殺人光線を浴びせるトライポッド。人の悪い、怖いシーンが連続する。

だが、それだけである。人間ドラマはまあまあいい。役者も子役を含めてすばらしい。だが、娯楽SF映画としては「インデペンデンス・デイ」の方が設定も含めて、好きだ。ああ、単純な人間だと思ってくれて結構です。いいじゃねーか、おんなじうちゅーじん攻めてくる話なら、スカッとする方が。

宇宙戦争

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