直の居間から(from living)

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西宮市大谷記念美術館へ

2017年10月18日 | 日記
10月13日(金)
ikゼミ、4組だけの課外授業で西宮市にある大谷美術館へ行きました。
阪急夙川を下車して夙川沿いに20分ほど気持ち良い散歩道を歩いて行きました。


私たちC班の担当でしたが下見の日に行けず今回何が展示しているのかと思っていましたら
”アートで植物採集”というテーマで日本画、洋画、陶芸で植物を題材にした展示品でした。
広々とした各部屋で私たちだけでゆっくり見てまわることができました。
一番初めに入った部屋の水彩画で春景色、夏景色、秋景色、冬景色の4つの画が青山清吉画伯の画でしたので
アッと驚きました。

私が小学校の時の美術の先生で海外に出られ学校をやめられ後に画家になられた方でした。
10年ほど前にこの大谷美術館で青山清吉100選とかを友達と2人で観に来たことがあったのを思い出しました。
お庭も綺麗でゆったりと散策したものでした。
今回も紫色の野ボタンやピンクの秋明菊や紫式部や金木犀など秋らしい風情の花々が素敵でした。
懐かしい思い出に浸る一日でした。











岡本太郎作品






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2 コメント

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夙川 松下町懐かしい (庵主)
2017-10-29 08:07:39
おはようございます。貴女のブログツアーをしていましたら、大谷美術館の記事に行き当たりました。あの周辺は、ボクが生まれて28年間生活をした場所です。懐かしい思い出がいっぱい詰まった、夙川沿いの二階建ての家でした。昭和25年頃でしょうか、裏の庭にアメリカ軍が落としていった焼夷弾が転がっていて、それに乗って遊んでいました。今から思うと恐ろしい事でした。裏庭には、防空壕があってそこを探検するといって、小学生の頃みんなで入っていったのも恐ろしい思い出でした。その防空壕は、母がボクを身ごもっていて大きなお腹をして逃げ込んで、ひたすらロウソクの灯りの下で「甘露の法雨」を読誦したと聞きました。その時、父(夫)が焼夷弾の降る中、家に向かって走り出て、妻のために、なけなしのイチゴジャムをお湯に溶いて持ち帰って、つわりの激しかった母に飲ませてくれたとよく話していました。いまから72年前の事でした。懐かしくも哀しい思い出を蘇らせてくださり有難うごいざいました。庵主 合掌 感謝
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凄い思い出ですね。 (庵主 様)
2017-10-30 10:56:13
庵主 様
合掌 ありがとうございます。
名前の通り松の下にお住まいだったのですね。
「こんなきれいな散歩道がある所に住んでいる人は良いわね」と言いながら歩いていました。
でも昔は焼夷弾が落ちていたり防空壕が残っていたりそこを遊び場にされていた時代があったなんて凄いですね。
先生はお母様のお腹の中だったとはお母様はさぞかし大変だった事でしょうね。
私は台湾にいておぼろげながら防空壕の中から飛行機が遠くに飛んでいるのを見ていた記憶があります。4歳の時に九州に引揚げてきた船の中の思い出など戦前生まれの私の記憶です。
今は本当に幸せな時代になっていますね。反対に地球温暖化など環境悪化が危ぶまれ資源確保などで戦争を引き起こしかねない情勢にもなってきて世界平和を余程真剣に考えないといけない時代になってきているのでしょうね。来月のテーマは「原発事故」になっていますので勉強が大変です。
また、いろいろご指導をよろしくお願い致します。
12月の講習会に向けて推進中です。宝塚はほぼ目標達成で今のところ一位だそうです。
そういえば、先日、こちらにお見えだったのですね。宝塚の写真がUPされていましたので・・・。お元気そうで何よりお喜び申し上げます。

コメントをありがとうございました。 再拝
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