Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ラグタイムと楽譜

2008年06月10日 | CD・DVD・カセット・レコード
 「ラグタイムはジャズの源流であるが、ジャズではない」というくだりは、たいていのジャズの概説書に書かれている。その理由は、「楽譜」の存在で、しかもそれが表音譜であり、基本的にはアドリブではなく楽譜通りに弾くからである。(と書かれた本を読んだことを記憶している。)
 確かに、CDショップのクラシックコーナーに置かれたスコット・ジョップリンのラグタイムなどは、演奏者によって速度の違いはあるものの整然と楽譜通りに演奏されている。その点では、まさにこれはクラシックのピアノ音楽である。しかし、私は数年前にジョップリン自身の演奏を記録したピアノ・ロールによる演奏を聴いた時、作曲者自身の演奏は楽譜通りではなかったことに驚いた。そしてその演奏は、私にはとても新鮮に聞こえた。
 ラグはアドリブを許さないのか?それともラグを楽譜通りに弾かなければ、それはもうラグではなく、「ラグもどき」なんだろうか?たとえば、ジェリー・ロール・モートンがアメリカの議会図書館に残したジョップリンのラグの録音を聞くと、もう、それはリズムもスイングしてしまって、ラグの規則正しいリズムが聞かれず、すでにラグというよりジャズに近い。そう考えるとラグの楽譜は規範的楽譜に過ぎないような気もする。ようするに出版された楽譜をもとに「あなたのセンス」で演奏してもいいよ、という楽譜であり、奏でられる音楽は出版された楽譜に示された音とは異なるのである。
 最近Ragtime Piano RevivalというフォークウエイズのCD(もとは1983年に出されたレコード)を買った。収録されているのはほとんどラグの名曲ばかりである。1940年代から1950年代にアメリカでリバイバルして45回転レコードに録音されたラグを集めた音盤なのだが、この演奏は、出版譜と相当な距離を感じるのだ。しかしその距離は音楽が時代とともに生き続けている証拠でもある。つまりラグは、表音譜であっても楽譜が絶対的な価値をもたない音楽だ。たぶん私がこの音楽に魅かれるのはそんなアバウトさなんだろうと思う。