Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

念願のチャロナラン劇

2008年06月06日 | 家・わたくしごと
 バリ島の芸能の一つにチャロナランとよばれるものがある。チャロナランという黒魔術と関わる物語をガムランの伴奏で上演する劇で、バリでは夜10時くらいからはじまり、遅いと夜2時くらいまで休憩なく続く。大抵は死の寺とよばれる寺院の中庭で行われ、例外なくどの村で上演する場合も数百人の観客で会場はびっしりと埋まる。夜12時を過ぎる頃ランダとよばれる魔女が登場し、終盤にはそのランダと聖獣バロンの戦いになり、最後は大勢の観客がトランスに入り、何がなんだかわからない状態で終演するのが常である。
 この演劇をバリで最初にみたのはスミニャックという当時は観光とは無縁な漁村の寺院で、今から20数年前のことである。今では観光地になってしまったスミニャック村のどの寺院でみたのかを思い出すことができない。この演劇を見た時のとてつもない衝撃は今もなお記憶に残るのだが、私はこの時以降、ぼんやりとであるが、いつかこの劇を日本でやりたいと思った。もちろんその時代、やっとバリのガムラン・グループが日本でただ一つ、東京で活動を始めた頃で夢のまた夢の話。それでも、バリでチャロナラン劇を見るたびにそんな思いは募った。
 沖縄に赴任した時、ここにはバリのガムランは全く無かった。しかしいつかはここでチャロナランをやるんだ、というある種の決意を持ってガムランを揃え、教えてきた。そうして8年が経ち、やっとチャロナラン劇が沖縄で具体化する。念願がかなうのだ。しかもバリの舞踊家たちとともに舞台にあがることができる。
 念願が叶うという喜びと同時に、これが終ると私は演奏者として何を次の目標にすべきなのかという出口のない迷路の中をさまよう恐怖にも慄いている。そんな時、「お前は、研究者なんだろう?いつからガムランの演奏家になっちまったんだい?」という声がどこからともなく聞こえてくる。僕はとっさに「愚問だね。俺はアーティストなんだよ。ちょっと立ち止まっているだけさ。」と呟く。