隅田川にかかる吾妻橋の上で足を止めた。遠くに見える橋のあかりが、水面に虚像を描き出し、みなもを渡るゆるやかな風が、そんな光の妖艶さをより強調しているようだ。
東京に住んでいれば、決して目を止めない風景だろう。私もかつてはそうだったに違いない。しかし今、私の目にはどれもこれもが目に焼き付けておかなくてはならないような景色に思えてはならないのだ。
林は切り倒され、空き地になり、そしてそこが住宅街に変わっていった。私は子どもの頃から、自分の家のまわりの環境がそうして変わっていく風景を見続けてきた。別にそれ自体に悲哀を感じているわけはない。しかし、私はそこで何かが止まると思っていた。しかしそれは間違いだ。都会も変わる。都会の風景もまた消えては、新しく「何か」が誕生していく浮世のようだ。だから、いつ見れるかわからない、そしていつ消えてしまうかわからない都会の風景をぼくは見つめる。だからそんな街を歩く。
東京に住んでいれば、決して目を止めない風景だろう。私もかつてはそうだったに違いない。しかし今、私の目にはどれもこれもが目に焼き付けておかなくてはならないような景色に思えてはならないのだ。
林は切り倒され、空き地になり、そしてそこが住宅街に変わっていった。私は子どもの頃から、自分の家のまわりの環境がそうして変わっていく風景を見続けてきた。別にそれ自体に悲哀を感じているわけはない。しかし、私はそこで何かが止まると思っていた。しかしそれは間違いだ。都会も変わる。都会の風景もまた消えては、新しく「何か」が誕生していく浮世のようだ。だから、いつ見れるかわからない、そしていつ消えてしまうかわからない都会の風景をぼくは見つめる。だからそんな街を歩く。