連休と大学祭で授業がないと、自動的に会議もなくなるために、やりたいことがまとまってできる喜ばしい数日が続く。特にありがたいのは本がまとまって読めることである。私は「カツマー」では決してないのだが、先日、勝間和代『目立つ力』を読んでから、少し考えることもあって、続いて『読書進化論』なる本を手にとってしまった。内容については賛否両論的な部分もあるのだろうが、この本、実は本の書き手が、本を売る努力をする必要性を最終章で説いている。
私は、「本を書く」ということは、「本を知ってもらう、読んでもらう努力をする」ことも含んでいると考えている。「本を売る努力」だって著者の重要な仕事である。書いたのは本人なのだから、あとは出版社にまかしとけばいいよ、というのはちょっと無責任のような気がする。ベストセラー作家や、数百冊の専門書ならともかくも、任された出版社はそれなりに迷惑なのではなかろうか。しかし一方で、「本は消費財と違うんだよ」という人もいるだろう。本を売る研究者を「商魂たくましい」と影で批判する者だっているだろう。でもいったい何が違うのだ? どんな消費財だって、広告をして、知ってもらって世に出るわけで、それを知って購入するのは消費者だから、ここではその質や内容が重視される。どんなに広告したって、その内容がともなわなければ、消費者は決してそれにお金を払わないはずだ。そう考えれば本だって同じなのではないだろうか?
だからといって、初版印刷数のしれた本に大量の広告費なんて投入できるはずがない。じゃあ何をすればいい?それを考えるのがまさにプロモーション戦略である。出版社の方と相談しながら、いわゆる「伝統的な方法」から、「新しい方法」まで、多角的に取り組む努力をすること。でもそれが何なのかはよくわからなかったのだが、勝間和代『読書進化論』)は、私がネットで展開する方法(本のメイキング・ブログ『バリ島ワヤン夢うつつーー影絵人形芝居修業記』)も含めて、それが間違った方法ではないことを示してくれている。
とにかく、本を愛する人間であれば、その本が誰の目にも触れられることなく、裁断されて廃棄されるなんて思ったら耐えられないものだ。それが自分の本だったらなおさらである。だからこそ「本を書いた私は、それを知ってもらう努力をする」と決めている。その後は、消費者(読者)次第だからだ。