観光用の人力車もほとんど帰路につき、すっかり静かになった夕刻、雷門の前に立った。昼間は賑わいを見せるこのあたりも、暗くなると門の脇の交番の明かりがぽっかりと姿を現して、ライトアップした門と不思議な調和を見せている。まだ6時過ぎなのに、交番の中で酔っ払いがうら若い警官とやりとりをしている。何を言っているのかわからない。ただ酔っ払いの大声の中の母音だけが、呪文のように耳に届く。
突然、ブランデンブルグ門を思い出した。私がベルリンのその場所に立ったのはドイツでワールドカップが行われる前年、やはり夕刻だった。ライトアップされた門、ひんやりとした9月の風、まばらな観光客、店じまいを始める土産物屋……。寂しい記憶だ。なぜだかベルリンにはそんな記憶しかない。緑色の毒々しいベルリンのビールの味の記憶もまた、せつないのだ。
雷門にはさして記憶に残るほどの思い出もない。それにしても、ぼくはどれだけ多くの人々とともにこの門をくぐったことだろう?あえて思い出そうとするならば、その門をともにくぐった人々の残像くらいだろうか。門は入り口でもあり、出口でもある。私のこの記憶は、将来への展望なのか、それとも過去への決別なのか?
突然、ブランデンブルグ門を思い出した。私がベルリンのその場所に立ったのはドイツでワールドカップが行われる前年、やはり夕刻だった。ライトアップされた門、ひんやりとした9月の風、まばらな観光客、店じまいを始める土産物屋……。寂しい記憶だ。なぜだかベルリンにはそんな記憶しかない。緑色の毒々しいベルリンのビールの味の記憶もまた、せつないのだ。
雷門にはさして記憶に残るほどの思い出もない。それにしても、ぼくはどれだけ多くの人々とともにこの門をくぐったことだろう?あえて思い出そうとするならば、その門をともにくぐった人々の残像くらいだろうか。門は入り口でもあり、出口でもある。私のこの記憶は、将来への展望なのか、それとも過去への決別なのか?