スティーブ@茅ヶ崎さんからの投稿です。
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ナンシーさん
映画の師匠をさておいて映画の話ですみません。
ただ、当時NYにおりました私にとりましては見逃すわけにはいかない映画です。
これから映画を観る方に邪魔にならないように私の感想を書いてみます。
当時、私はWTCのあったダウンタウンより北側のロックフェラー・センターの一角にあるビルで働いておりました。
東京で言えば丸の内と新宿くらいの距離がありますので難は免れています。
あの発生時間の頃はNY地区の幹部会議があって、途中で市場部門の若手が駐在役員にメモを入れてきました。
そのメモが読まれるや私は観光セスナでも誤って衝突したのだろうと思っていました。
ところが部屋に戻りTVを見ると大変な状況になっている事が分かり、まずすぐに米人、日本人の部下の居場所を確認しました。
幸い私の会社の従業員は現地スタッフを含めて全員無事でした。
また彼ら、彼女らの家族も大丈夫でした。
ところが、時間が経つうちに米人従業員たちにかなりの動揺が見られるようになりました。つまり、家族がWTCで働いていなくても沢山の友人が働いているのです。
安否を気遣ううちに米人女性達は目に涙があふれ出てきて、中には号泣する人も出てきました。
私の会社はテロと判明した時点で全員帰宅させる事にして、また帰宅後にその事を上司に報告する事にしてその日(9月11日)は全員帰宅しました。
しかし、いくつかの部門の責任を負っている私は、すぐに情報を収集して日本の顧客にメールを送り、さらに自分が統括する各現場を見てまわり、それから日本の本部に電話したりと夕方までビルにおりました。
それで、夕方5時に退社してから騒然としているNYのブロードウエイを歩いてコロンバス・サークルのアパートへと帰ったのですが、夕食をとスーパーに寄ったら食料品などはかなりが売り切れ、牛乳やジュース類はまったくありません。
冷蔵庫には食料品など蓄えてありましたのでそれを食べましたが、高層アパートの最上階の部屋から南の方角を眺めれば白い煙が空高く舞い上がっています。
おそらく映画はその頃生き埋めになった消防士の懸命の救助活動を描いているのだと思います。
確かにあのような巨大なビルが崩壊した後の現場は地獄絵以上の凄惨な状況だったと思います。
この白煙はその後3週間続きました。
毎朝、それを見るたびに私の心が痛んだものでした。
さて、このような状況下、街中ではどこでも悲惨な光景を目にしました。
いたるところにある消防署では亡くなった消防士の遺影が飾ってあり、その数も必ず10に近いのです。
その周りには沢山の献花が積み上げられており、見るだけでも悲しくなります。
私はこれらを見てアメリカは必ず報復をすると思いました。あまりに凄まじい光景です。
ですから、すべての消防署は引退したベテランやら、近隣からの応援とかボランティアで当面補充していました。
テロの再発も予想されておりましたし、また多くの消防士とか警察官はグラウンド・ゼロでの救出活動などで連日駆り出されておりました。
NYの消防士は勇敢です。この仕事に誇りを持ち、決して危険を恐れずに人命救出や火事の消化には進んで前線で任に当たります。
あのWTCの100階までの階段を重たい装備を着て何百という消防士が登って行ったことでしょうか。かなりの消防士が、おそらく階段で亡くなっていると思います。
さらに、NYの消防士はイタリア系移民の子孫が多いのです。それも貧乏な南イタリアから来た人たちの。
移民してきたものの、すぐには職が無いために危険な消防士になるしかなかったのです。ただ、非常に使命感が沸いてくる職業なだけに子供や孫までもが志願して消防士になりました。
事件の翌年、1月にヤンキースタジアムで行われた追悼式で読まれた名前の中にはイタリア名の何と多かったことか。加えてイタリア系は警察にも多いのです。
映画は現場に最も近い港湾署の警察官が救助される話ですが、実際に起きた話でモデルがいます。
映画ですから、救助されないと悲惨すぎてストーリーにはならないと思いますので仕方ありません。
でも、私は各消防署の前を通るたびに見た光景は一生涯忘れられないでしょう。
私にとっては救助された美談では救われない多くの悲しい光景が思い出されてしまいます。
ですから映画を見ていても感情が錯綜してしまい映画としての展開に集中出来ませんでした。
ニコラス・ケイジの目 だけの演技は印象に残りましたが。
これ以上書くとこれから映画を見る方には邪魔になりますので、ひとまず終わりにします。
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ご投稿ありがとうございました!