goo blog サービス終了のお知らせ 

続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

毛呂権蔵の記憶(毛呂さんちは船田善昌館跡)

2024-06-20 16:04:53 | 新田紀行

朝から強い日差しです

ひめちゃんは、堀之内を西に出ます。

蕨沢川を渡らずに、南に下ります。

向こうに見える堆肥の覆屋、屋根にアオサギさんの姿はありません

去年は、よくあそこにいたのにね。

前に回っても、アオサギさんの姿はありません

右端にぽつんと残ったサイロ、酪農王国を夢見た跡です

 

三四郎地蔵&サマンサ地蔵&ののこ地蔵、ヘメリカリスがきれいに咲いたね

こんな巨大輪も咲き始めました

 

 

6月6日、最終回の鄕右衛門忌、テーマは「竜骨伝記の真実」でした

 

正徳4年(1714)、田中藤左衛門が竜骨を持って上野国山上の常広寺にやってきます。

その竜骨には「竜骨伝記」と鑑定書とも言うべき「證書」が添えられていました。

大正12年1月1日の火事で、竜骨も竜骨伝記も證書も焼けてしまいました。

でも、焼ける前にこれを写した人が2人います。

新田郡世良田村の毛呂権蔵と小俣・鶏足寺の和尚です。

毛呂権蔵家にも、ご挨拶しておきましょう

鶏足寺は、そのうちに季節を選んで、また参拝しましょう

 

 

5月27日、毛呂家すぐ裏の世良田行政センターに駐車して、裏から訪問です。

何年ぶりかな

シーンと静まりかえってます

毛呂家は、船田善昌館跡なのです

新里の人は、「新田義貞は善昌寺にいかってんだ(埋葬されているんだ)」と普通に信じてます

新田生まれのひめちゃんちのおかあさんには、「馬鹿なこと言ってんじゃあないよ

250年前、毛呂権蔵もその著『上野国志』善昌寺の項で、「坊主の言っていることは嘘ばかり、でも景色のいいところだね」と記しました。

新田のゆかりを、くどくど聞かされたのでしょう

「おれっちは、船田善昌館跡だ」とは言わなかったでしょうけど、納得できず腹立たしい事だったでしょう

ひめちゃんちのおかあさんも、権蔵さんの怒り、共有してます

 

静かすぎて声をかけにくい、またそのうちにお邪魔します

権蔵さんのお墓のある普門寺(ふもんじ)にも寄っていきましょう

 

歴史公園入り口の信号から、普門寺の駐車場に回り込みます。

普門寺に駐車して歩いて戻り、さっき表示のあった閻魔堂(えんまどう)も覗いておきましょう

 

ガラス越しでよく見えませんが、閻魔大王と十王がおいでのようです。

合掌

 

普門寺へ戻ります。

歴史巡りコース、満徳寺→です。

ここから歩くと近いのかな?

 

屋台庫です。

世良田祇園に出動するのでしょう

 

 

普門寺、何年ぶりだろう?

すっきり整理されているような感じです

権蔵さんのお墓、見つかるかな?

 

 

(つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紫陽花の妙参寺沼2024

2024-06-11 16:14:49 | 新田紀行

朝から強い日差しです

ひめちゃんは、堀之内を西に出ます。

この後ろの梅の木は、毎年拾う人もなく、たくさんの実を落としていました。

今年は、実が見えません

やっぱり、梅は不作です

 

蕨沢川を渡って、諏訪神社前です。

誰か通ったかな?

ここは、矢車草・紫陽花・コスモスが一緒に咲いてます

 

あれ、左の丘から黒柴出現

「おはようございます 男の子ですか? こちらは女の子ですから、大丈夫ですよ

「おはようございます

初めて挨拶を交わしました。

「若そうですね

「いえ、もう12歳です。」

「そうですか。この子も12歳です。同級生だね。バイバイ

彼は神社向こうの高台に消えました。

 

ひめちゃんは、彼が出現した神社南の丘を登ります。

今日は山上城を来たから攻めるのかな?

丘の上には、びわの木があります。

結構なってます

梅は不作で、びわは豊作かな

でも、ひめちゃんちのびわは、今年は実が小さい

ひめちゃんは、山上城まで行かずに、畑中のあぜ道を帰ります。

 

常広寺の竹藪の後ろが、天神沼だったと言います。

あそこら辺かな

川の東に天神宮があって、蕨沢川は天神川でした。

 

 

 

5月31日、千五郎池と矢太神水源で湧玉に感動した後、妙参寺沼にも寄ります

少し早いけど、紫陽花咲いてるかな?

今日は北側の駐車場(右のP)です。

 

除草作業中です

邪魔にならないように、散策です。

 

咲いてます

 

妙参寺沼のそばには、妙参寺があるはずです。

妙参寺には、悲しい伝承がありました。

存在するけど実在しない妙参寺(紫陽花の妙参寺沼・前編)

ご本尊は、まだこの左あたりのお宅にあるのだろうか

 

沼の縁を紫陽花を愛でながら、南に歩きます。

何種類もの紫陽花が植わってます

いろいろな紫陽花の花が楽しめます

桐生市の紫陽花の名所・山上城跡公園は、ほぼ昔ながらの古い品種が1種類だけです

日本のため池100選に、県内で唯一選定されたのですね

 

付近には、色づいた麦畑です。

懐かしい景色です。

子供の頃は当たり前の景色でした。

ほっと心が和みます

 

沼には蓮でなく、睡蓮です。

またそのうちに、来てみましょう。

疲れたときは、ふるさと新田紀行です

さて、ジョイフル本田によって帰りましょう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湧玉の千五郎池と矢太神水源

2024-06-10 15:15:15 | 新田紀行

雨の朝です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、貧乏カッパでお散歩です。

短めのコースで引き上げます。

今日はまた挟まってしまう子が出ないように、二人とも室内犬です

 

夏の明るい映像はないかな?

七海ママと小次郎パパの、2007年の赤堀蓮園訪問記がありました。

  

あれ、パパのシッポが巻いてる

パパはまだ1才になったばかりのころです。

パパのシッポは、何時の間にか巻がとれて、指尾(さしお)になりました

 

蓮の花も、きれいに咲いてます

2007年の7月末、ラブラブの二人のお出かけでした。

 

 

 

5月31日、新田のジョイフル本田にお出かけです

途中、どこかに寄道しよう

そうだ、妙参寺沼(みょうさんじぬま)、紫陽花はどうかな?

県道315号線をひたすら南に下ります。

新田暁高校の所で左折、脇道に入ります。

矢太神水源をすぎて、そろそろ南に下ろう。

右折すると、沼です

あれ、説明板もあります。

保年間には天災が続き、この地域も大きな被害をもたらした。この時の領主であった本間千五郎(應吉)はその現状を憂い矢太神沼の東に水源を求め、池を開削、荒れた東田一体の水田の復旧に尽力した。村民はこの徳を慕いて、千五郎池と呼ぶようになった。、

 

そうだったんですか

初めてこの説明板を発見しました。

 

 

急遽、付近の駐車場に駐車です。

 

矢太神水源も確認しましょう

案内図中央の道を北上します。

あれえ、桜の木が害虫にやられているのかな

 

右手に、千五郎池です

湧玉だ

 

付近にちょっと哀しい立て看板です。

 

 

裏の道に出て、矢太神水源に廻り込みます。

昨年の夏、おおたんのスタンプラリーで来て以来です

 

          

 

ここが一級河川石田川の源流です。

なんとなく湧玉が見えます

奥の湧き出しているところを確認です。

湧玉がたくさん確認出来ました

何度も来てますけど、今までで一番多い湧玉の数です

 

 

(つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新田義貞の記憶・駒繋ぎの松

2024-06-03 19:53:42 | 新田紀行

晴れました

今朝は、タバサねーちゃんも一緒にお散歩です。

ご褒美下さいな

用を足したタバサねーちゃんは、先に帰ります

 

ひめちゃんは、堀之内を西に出ます。

諏訪神社前で、どっちへ行こうか

あれ、いつか見た黒柴の男の子です

神社向こうの高台を歩いて行きます。

今日は、高台を突き当たりまで行くでふよ

正面に見えるはずの見えるはずの浅間山は、姿を見せません。

 

道の両側がナス畑になってます。

 

外国人のおじさん&おばさんが、活躍しそうだね。

 

突き当たりまで行って、南に下ります。

あれ、ひまわり畑だ

窪地の向こうは山上多重塔です。

そうだ、木を植えるばかりでなくて、ヒマワリやコスモスのお花畑にするのもいいね

「山上多重塔をふたたび国宝に」のみなさん、とりあえずお花畑を作ってみたらどうですか

道輪さんも、悦びますよ

 

さらに南に下って、山上城跡公園を通ります。

そろそろ紫陽花の季節、紫陽花の名所・山上城跡公園はどうなってるかな?

あれえ、アジサイの小径は歩きにくそう

そろそろ、紫陽花の季節なのに

 

夕方は、黒雲が出てきました

挟まる子が出ないように、南の方に早めにお散歩です

雷鳴聞いて、少し短めでUターンです

今夜しっかりおうち犬です

まもなく、本格的な雷雨になりました

 

 

 

(5月24日)

亀岡観音堂の東の道を北上します。

確か突き当たりに、コンビニがあったはずです。

アイスコーヒーでも呑んで、一休みしましょう

隣は、駒繋ぎの松だったはずです。

 

あれえ、コンビニがない

 

駒繋ぎの松付近になんとか駐車です。

よく見えませんけど、

新田義貞が生品神社で挙兵した後、利根川を渡る前に一休みして、この松に馬を繋いだ

利根川は、大洪水の旅にその流路を変え、ここは元河道・岸辺であったらしい

ともあります。

 

あれそうすると、早川はどうなる?

早川は、この南・花見塚神社(勾当の内侍の墓)のそばを流れてます。

早川の出口(利根川への合流地点)は堀口(旧尾島町堀口)で、堀口氏館跡があります。

ここが名字の地という堀口さんもいます

 

昔から一本松と呼ばれてきたと見えます。

もしかしたら、銅山街道の一里塚?

コンビニがあったときは、銅山街道の案内がありました。

 

まあ、ためつすがめつ眺めます。

 

碑の確認は無理ですね

 

 

ここは我が母校・尾島小学校のはす向かいというか、斜め後ろです。

不思議な事に、この松はほとんど記憶にありません

通学や校外学習で通っているはずなのに。

駒繋ぎの松と聞いても、子供心にまったく響かなかったのかもしれません。

 

小学校の裏に、2軒の文房具屋さんがありました。

売っている物がほとんど同じなのに、店の雰囲気が全く違ったのを覚えています

子供達は、それぞれ好みの方を利用していたようです

 

遠い遠い記憶です

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

亀岡観音堂(本尊胎内には新田義貞発見の亀観音)

2024-05-31 16:25:53 | 新田紀行

雨の朝です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、今日は一日中、おうち犬です。

 

午後には雨が上がったけれど、しっかり室内犬です

明日は晴れそうだよ。

お外犬、出来そうだね

 

 

 

(5月24日)花見塚神社前の道をそのまま北上、まもなく亀岡観音堂があります。

ここは、「儀源寺」持ちと言うことです。

儀源とは、新田義貞の妻の一人・勾当の内侍(こうとうのないし)の法号だそうです。

 

『尾島町誌通史編・上巻』によれば、

同寺(儀源寺)の管理する亀岡観音堂の本尊聖観音菩薩像の胎内には亀の背上の蓮華台に座する観音像がある。この観音像は義貞鎌倉攻めの時利根川の中州で亀の背の上で発見したといい、これが村の地名の由来だという口伝がある。

 

普通に考えると、新田義貞は目の前の利根川を渡って鎌倉攻めに行ったのです

最近では、梅雨時なので渡河は無理で、利根川の上流を迂回していったという説が優勢です

でも、古来、利根川を挟んで行き来していたのです。

世良田東照宮の助郷の村にも、川南の村がいくつもありました。

「梅雨時だからお休みします」なんてことは赦されなかったはずです。

目の前の利根川を渡っていったと考える方が自然です

義貞が利根川を綿ってる途中で亀の背中に発見した観音様は、1寸8分の小さな観音像だと言うことです。(『ぐんまのお寺・曹洞宗Ⅰ、儀源寺』)

そしてこの聖観音は、「東上州三十三番札所」の第17番札所だそうです。

 

 

すっきりとした石造物です。

あれ、二十二の文字の向こうに「源俊純」と見えます。

あの岩松の猫絵の殿様、源俊純の書です

 

優しさのただようみなさまです。

合掌

 

 

観音堂は元気そうです。

合掌

ご本尊の姿は、まったく見えません

霊場本尊なのだから、ちょっとだけでもお姿を拝みたいものです。

 

そばに大きな石碑があります。

よく見えませんけど、ここの観音様が東上州卅三観音の第17番札所であることが書かれているようです

 

弘誓川 み法の舟に 竿さして 幾年経ぬる 亀岡の里

御詠歌もあります。

書き置きの御朱印でも置いてくれるといいんだけどなあ

 

そうそう、近くに亀アンパンを売ってるコンビニがありました。

何時の間にかコンビニはなくなってしまいましたけど、コンビニにも、ご当地キャラがあっていいですよね

 

 

本堂の裏には石仏群です。

 

 

強い願いのこもった青面金剛です

右の方は、元禄二年(1689)と見えます

実家のご先祖様が亡くなったは元禄三年、ご先祖様の墓標と同じくらいの星霜を経ているのです

 

ここには、ご先祖様と同時代を生きた人々の記憶がありました

 

 

(つづく)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする