続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

小菊のデコピン君は未完成でした(ひめちゃんとタバサちゃんの小菊の里訪問記2024)

2024-10-30 19:57:14 | 日記

午後は晴れて冷たい風が吹きましたけど、朝は冷たい雨です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、貧乏カッパでお散歩です。

 

昨日の朝、ひめちゃんは久しぶりに山上城跡公園まで行ってきました。

城跡公園(三の丸)から、太鼓橋を渡って帰ります

ちょっと劣化が進んでます

天神田を通って帰ります。

秋の雰囲気が出てきたかな?

お天気が良さそうだから、お出かけしよう

ひめちゃんちの小菊も咲いてきました

そうだ小菊の里に行こう

 

 

 

昨日は、小菊の里(伊勢崎市赤堀町)に出かけました

あれ、ほとんど咲いてない

人もいない

スタッフばかりみたい

 

マリーゴールドはきれいに咲いてます

 

  

マリーゴールドが咲いていてよかったでふ

小菊は、上の方も咲いていないようです

 

赤堀クイズですって

初めても試みですね。

 

小菊が咲いてなくても、アタチは満足でふよ

咲いてないので、坂の中程で戻ります。

 

中央通路の南側、少し咲いてるかな

 

あれ新種

そうじゃなくて、2株一緒に植えたんだね

 

赤堀クイズQ2ですって

こっちから始まってるんだ。

わかりません

めくってみます。

真実だったんですか

 

タバサねーちゃん、だいぶ毛が生えてきました。

酷暑の夏で、密生した毛質のタバサねーちゃんは、暑さとかゆさで自ら掻きまくりました。

その結果、この間まで、因幡の白ウサギ状態だったのです

もう少し生えたら、シャンプーやさんに行きましょう

 

 

駐車場に戻ります。

小菊の丘を見ると、何かがいそうです

そういえば去年は、小菊のウサギがいました。

何だろう

 

テントで待機中のスタッフのおじさんに、「こんにちは あの丘に何かがいそうですけど、わかりません 何ですか?」

「大谷翔平が飼ってる、耳の垂れた犬だよ

「そうですか。またそのうちに小菊のデコピン君に逢いに来ます

 

また近いうちに小菊のデコピン君に逢いに来るでふね

約束でふよ

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五色沼と林子平の碑

2024-10-28 18:01:27 | みちのく紀行

雨の朝です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、貧乏カッパでお散歩です。

「アタチ挟まってまふ」の子が出ると困るので、二人とも今日は室内犬です。

朝ご飯の後、おかあさんはガーデンパトロールです。

昨日は、先住犬たちのお墓に、チューリップの球根を埋めました

あれ、何かの足跡がある

犬か猫か

あれあれ、獅子丸のカバさんのぬいぐるみの後ろに、球根が落ちてます

何が出てるんだろう

 

三四郎地蔵&サマンサ地蔵&ののこ地蔵はどうかな?

やっぱり何か出たかな

 

ひめちゃんは、おかあさんのベッドの上で熟睡中です。

だいぶ白い毛が増えてきたね。

ひめちゃんも、12才と8ヶ月です

 

 

 

(9月26日)仙台城大手門跡を通って、三の丸跡の博物館に向かいます。

道の向こう側、大手門脇櫓前の坂を下ります。

マンホールの蓋は、ここの風景です

 

 

ほどなく仙台市博物館です。

何年ぶりだろう

ここの五色沼は、日本のフギアスケート発祥の地でした。

五色沼は青葉城のお堀の跡なんですね

こんなオブジェあったっけ

オブジェも説明板も昔はなかったような

 

子門(ねのもん)を通ります。

付近の位置関係がよく分かる案内図です。

ここには木造二階建ての瓦葺きの門が建っていたのですね。

 

 

目指す林子平の碑は、博物館の建物の向こうにあると言うことです。

とりあえず、博物館前を素通りです。

 

博物館周辺の案内図です。

子平の碑は、魯迅の碑の奥です

 

 

魯迅さんは、一目で分かります

 

 

魯迅さんの奥に、目立たなく林子平の碑です

こんにちは

碑文はよく見えません

仙台市立博物館のHPキッズコーナーに、

仙台藩士林子平は「無禄厄介(むろくやっかい)」という待遇(たいぐう)で、給与もなく兄の世話を受けて生活していました。しかし、子平はこの身軽さを利用して自由に江戸や長崎に行き見聞を広めました。そしてその後、そこで得た新知識をもとに、『三国通覧図説(さんごくつうらんずせつ)』、『海国兵談(かいこくへいだん)』を著し、海防が急務であることを力説しました。しかし、鎖国(さこく)主義を守る幕府はいたずらに世間をまどわす行為(こうい)としてこれを取り締まり、版木(はんぎ)没収・出版の中止を命じ、子平を処罰しました。兄の家にちっ居となった子平は1793(寛政5)年6月21日、56才で行動的だったその生涯(しょうがい)を閉じました。
このあと幕府は相次ぐ異国船の渡来や開国と通商の要求などの対策にたいへん苦しむことになり、子平の考えが正しかったことを歴史が証明することになります。

 

上野の高山彦九郎・下野の蒲生君平と共に、寛政の三奇人の一人なのですね

 

 

さて、博物館も覗いていきましょう

「親鸞と東北の念仏」という企画展を開催中です。

みなさん熱心に見てますけど、待ち合わせ時間があるのでサーとです。

そういえば、昔「親鸞」を卒論のテーマに選んだ同級生がいました。

どうしてるかな?

ただ常設展で、仙台市宮城野の東光寺の摩崖仏レプリカとても印象に残りました

そのうち訪問したいな

 

 

五色沼を通って大手門跡を通って、支倉常長の像の脇の小径に入ります。

仙台の町を見下ろします。

ン十年前、この街に住んでたんだ

仙台で4年間過ごさせてくれた両親に感謝

そしてご先祖様にも感謝

 

付近の案内図を確認です。

地下鉄の国際センター駅も、扇坂を下ればすぐです。

 

 

萩ホール・モーツアルトで、旧友と待ち合わせしてランチです。

何年ぶりだろう

久しぶりなので積もる話もたくさんあります。

でも、小山で停車する新幹線は少ないので、14:00発の新幹線には絶対に遅れないようにしなければなりません。

またの再会を約して、扇坂を下りました

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

扇坂(藩士の登城口)

2024-10-26 16:09:24 | みちのく紀行

ひめちゃんは、赤柴の超老犬・プーちゃんの前を通ります。

プーちゃんは、「遊ぼうぜ

ひめちゃんはシカトです

ごめんね、バイバイ

アタチの好みではありませんでふ

アタチは今でもケンくんが好きでふよ

堀之内の西を歩いて帰りました。

今日はスッキリ晴れないかもでふね

 

ひめちゃんちの菊の蕾に、やっと色が差し始めました

小菊の里も咲き始めるかな

もう少ししたら、またお出かけしようね

 

 

 

9月25日、松島から帰ると、仙台は雨でした

午後の予定では、まだ行った事のない林子平のお墓を訪ねようと思っていました。

夏休みに行った高山彦九郎記念館(太田市)で、寛政の三奇人の話が出ました。

今年は珍しく、話が弾みました

そういえば仙台市民をしていたのに、林子平の墓は行ったことがありませんでした

是非行きたいと思ってきたのですけど、本降りです

折りたたみの傘ではちょっと心許ない

無理をせず、又の機会にしましょう

駅地下でお土産を買い集めて、発送です

 

 

翌26日、旧友と青葉城趾(仙台城趾)の萩ホールで待ち合わせてランチし、て午後の新幹線で帰ります

ホテルをチェックアウトして、仙台駅のコインロッカーに荷物を預けて、早めに地下鉄で向かいます。

 

 

最寄り駅の国際センター駅で降りて歩きます。

ストリートビューでよくよく見て来たので、迷うことなく扇坂(おおぎざか)に到着です

ここを登るのは初めてです。

 

説明板を確認します。

藩士にとって、この扇坂と二の丸北方の千貫橋が通常の登城口であった。

そうなんですか

 

仙台城趾の説明板です。

いつから、青葉城ではなく仙台城というようになったのかな

ひめちゃんちのおかあさんが仙台市民の頃は、普通に青葉城でした。

大手門の写真や絵図が残っているのですね

待ち合わせ場所を確認したら、大手門南の、博物館に寄ってみましょう

 

 

扇坂の階段を登ります。

振り返って扇坂です。

足腰が弱くなったら、きつい

 

付近の案内です。

 

 

待ち合わせ場所を確認して、三の丸跡の博物館へ行きます。

大手門跡へ向かいます。

昔、赤い点線の大手門ルートで、何度も本丸跡に行きました。

 

この道です。

今は通行止めのようです。

去年も通行止めで、「ループル仙台」も八木山周りで、バス停・仙台城跡、昔の青葉城趾埋門(あおばじょうしうずみもん)に行ってました。

 

 

支倉常長像です。

こんにちは

去年、北仙台のお墓に詣でましたよ

東日本大震災でここら辺は被害を受けたのですね

 

なんとなく白壁が新しい雰囲気です。

さて、道の反対側に渡って博物館に行ってみましょう

 

 

(つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キバタンにこんにちは(ひめちゃんとタバサちゃんのお久しぶりの大胡ぐりーんふらわー牧場)

2024-10-24 16:05:51 | 日記

爽やかに晴れました

ひめちゃんは堀之内を西に出て左折、天神田を歩いてきました。

 

いいお天気でふよ、お出かけしたいでふ

そうだね、久しぶりにお出かけしよう

 

 

タバちゃんも行ける所と色々迷ったけれど、赤城南面の国道353線沿いの大胡ぐりーんふらわー牧場に行ってきました。

ベンチがいっぱいあるから、歩けなくなったら、おとうと待ってればいいね

 

お久しぶりです。

きれいに草刈りしてあります

 

 

まず駐車場近くのヤギハウスを覗きます。

 

みんな若そうです。

家族で暮らしてるみたい。

バイバイ

 

 

タバサねーちゃんは、どんどん進んでます。

酷暑の夏で、暑さとかゆさであちこちひっかいて、因幡の白ウサギ状態でした

でも、食欲は衰えず、しっかり食べていました。

秋になって、急速に毛が生え始まってます

 

 

園内の案内版を確認です。

突き当たりまで行けるかな

 

 

姉妹で情報収集です。

 

タバちゃんは、臭覚が鈍くなってるようですけど、よそに来ると本能が刺激されるのかな

 

 

目立つオブジェです

「風を見つけた」とあります。

 

女性のようだけど

別の面から見ると、男性の洋でもあります

 

両性具有の風神というところかな

 

 

楽しそうな遊具がいっぱいでふね

 

あれ、タバちゃんはまだ先まで行きそうです

決して平坦な道ではありません

 

 

楽しそうな遊具の先には、かわいいムラサキシキブの実がなってます

 

そういえば最近ムーハウスガーデンでは、見かけません

絶えてしまったかな

 

 

タバサねーちゃん、がんばって突き当たりまで到着です

オウムとポニーとヒツジがいるのですね。

あれ、イノシシ出没注意ですって

 

「こんにちは

「こんにちは

オウムのキバタンが挨拶してくれているのです。

 

「こんにちは」と挨拶を返します。

タバちゃん、ここまでがんばって歩いてきてよかったね

 

ポニーくんに、もこんにちは

ヒツジさんは遠くの方です。

タバサちゃん、情報収集

 

 

タバちゃんとお出かけできて、よかったでふ

さて、来た道を帰りますよ

また、お出かけしようね

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

比翼塚・夫婦町の由縁(めおとまちのゆえん)

2024-10-23 15:37:39 | みちのく紀行

一昨日、獅子丸のお部屋(サークル)を大掃除して、ねむねむ獅子くんのぬいぐるみも洗いました。

昨日は、乾いた獅子くんを冬バージョンのお部屋に戻しました。

 

そして、先住犬たちのお墓も大掃除です。

チューリップの球根を埋めてビオラを植えるつもりです。

七海地蔵の後ろを草むしりしていると、土の中かな何かが出ています

掘り出してみると、獅子丸と一緒に埋めたぬいぐるみでした

あれからもうじき3年が経つのに、痛んでません

獅子くんは、ぬいぐるみを大事にする子でした。

ひめちゃんのように、解体新書をしたりしませんでした。

獅子くん、お部屋を大掃除したので、うれしかったのかな

このぬいぐるみをどうしようか

サークルに連れ帰ろうとも思いましたけど、獅子くんと一緒の方がいいよね

 

三四郎地蔵には、バッタです

 

今朝、ひめちゃんとタバサねーちゃんが朝ご飯を終えると、雨雲レーダーは、「25分後に雨が降り始めます

大急ぎで、みんなのお墓にビオラだけ植えます。

 

獅子くんのぬいぐるみ、昨日より元気です

植えている最中に降り出しました

チューリップの球根は、また後で埋めるからね

 

 

 

(9月25日)

瑞巌寺を出て、円通院への細道を辿ります。

 

左手に、クラシックな建物があります。

お殿様が、松島遊覧をする時の舟を操った人々の住まいですって

 

 

その先に、目指す比翼塚は、目立たなくひっそりとありました

合掌

説明板があります。

ちょっとわかりにくい話です。

松島町のHPによると、

鎌倉時代、北条時頼が家臣・蜂谷美濃守を松島円福寺(瑞巌寺)守護のために派遣。子孫が松島に土着しました。
そして、子孫・蜂谷掃部(かもん)は、子宝に恵まれぬことから、観音さまに祈願したところ、やがて男の子が誕生、名は小太郎と名づけられました。
小太郎は、観音堂に梅の若木を植えてこよなく愛していました。
小太郎が十五歳の春、父が伊勢参りで道連れとなった象潟の商人と親しくなり、小太郎と商人の娘との結婚を約束したのです。
ところが、帰国した父は小太郎が病死したことを知ります。
掃部は泣きながら商人の娘に訳を話しましたが、娘は松島の人となり、掃部夫妻に孝養をつくしたのです。
後に娘は髪をおろして名を紅蓮と改めました。
小太郎が愛した梅の木が軒端の梅で、娘のもとには紅蓮尼と小太郎の碑・比翼塚が建てられています。
蜂谷氏が観音仏を守っていたことから、その後、瑞巌百一鵬雲が観音を本尊とし、左に達磨、右に菅公を配した三聖堂を建立しました。

 

北条時賴は、乱れた状態の天台宗の延福寺の僧たちを武力で追い出し、法身禅師を開山とする円福寺(後の瑞巌寺)を建立したのでした。

その後も天台宗勢力は、活動場所を変えて併存したという事です。

蜂谷美濃守がやって来たのは納得です。

逢った事もない人を慕って、その両親に仕えるなんて、すごいことです

きっと両親も彼女を大事にしたのでしょう

だから、松島で人生を全うできたのでしょう

 

 

隣にまたクラシックな茅葺きの御堂です。

三聖堂です。

合掌

説明板を確認です。

松島町のHPよると、観音様は蜂谷氏が守っていたものとあります

それを天和2年(1682)にご本尊として、左右に達磨大師像と菅原道真像を安置したのですね。

 

 

円通院への道に出て、去年意味の分からなかった「松島町とにかほ市(旧象潟町)は夫婦町です。」の表示を確認です。

今年は比翼塚に詣でて、納得です

 

今年は円通院には寄らずに、松島海岸駅に戻ります。

仙石線で仙台に戻ります。

 

海を眺めながら、帰ります。

塩釜で、あれ祭り仕様の舟かな?

気になるけれど、今回は塩釜パスです。

何時の日かまた訪問したいのですけど

 

仙台駅に着いて外に出ると、雨でした

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする