続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

ひめちゃんとタバサちゃんの早春の鹿の川沼探訪記

2023-02-28 16:15:54 | 群馬県・東毛

晴れて暖かい朝です

お出かけしようよ

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、スタンバイOKです。

じゃあ、岩宿の鹿の川沼(かのかわぬま)に行ってみよう。

 

 

沼西の駐車場に入ります。

平日なのに、けっこういっぱいです

ちょっと緊張します

 

 

沼の周りを、南廻りで一周しよう。

向こうに見えるのは、岩宿博物館です。

釣り人が、大勢来てます

「夜間の釣り禁止」とあるので、昼間はいいみたい。

 

桜の古木も何本もあります

お出かけ楽しいですわ

 

 

沼の南には、農村風景が広がります。

猫さん、こんにちは

日向ぼっこかな

 

 

ひめちゃんとタバサねーちゃんも、快調にお散歩です

 

 

鹿の沼の説明板です。

渡良瀬川から来たここの水は、薮塚・笠懸の農地へ旅して行くのです。

 

 

東岸に出ます。

岩宿博物館の向こうに、赤城山です。

 

水鳥の姿はあまりありませんけど、この倒木(?)の下には、集まってます。

 

 

さらに行くと、ちびっ子広場です。

こういう雰囲気好きです

 

山上城跡公園も、こんな遊具があるといいね。

もっと大勢の人が訪れるようになるね。

 

 

沼北には、古代人の広場ですって

 

あれ、不思議な物があります

マンモスの骨で作られた住居です

ウクライナの遺跡を元に復元したのですね

初めて存在を知りました

 

 

岩宿博物館の脇を通って、駐車場へ戻ります。

月末には、右後ろの山のカタクリが咲くかな

以前、タバサねーちゃんと来たね

今年は、みんなで来ようか

 

 

楽しく散策できました

カタクリの花の咲く頃、桜の花の咲く頃、又来ましょう

 

 

おかあさんは、駐車場の入り口にある、「鹿の川沼のえのき」を確認です。

このすぐ前の道が、銅山街道だったのです

足尾で掘り出された銅は、ここを通って利根川河岸に運ばれ、舟で江戸まで運ばれたのです。

この旧銅山街道を通って帰ります

 

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交通の要衝・角渕の八幡宮

2023-02-26 17:34:46 | 群馬県・中毛

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

寒い朝ですけど、タバサねーちゃんも頑張ります

諏訪神社のむこうの高台を、北に下ります。

あぜ道には、ブロッコリーの残骸です。

獅子くんは、ブロッコリー大好きだったね

赤城山は、その姿を見せませんでした。

山上の元蓮田を廻って帰ります。

 

 

 

2月7日、⑨於菊稲荷神社から、岩倉橋を渡って、角渕八幡宮(つのぶちはちまんぐう)に寄ります。

橋を渡って、すぐ右折するはずでしたけど、ちょっと曲がりにくい

次の曲がり角が中々見つからず、付近をウロウロして、やっと到着です

 

赤い大きな鳥居があります。

 

鳥居のすぐ左に、八幡宮の説明板です。

源頼朝が那須野で巻狩りの時に寄って休息したんですか

烏川の風景が由比ヶ浜に似ているので、鶴岡八幡宮の分霊を勧請させたのですね

玉村八幡宮の元宮なのですね

 

 

駒犬さん、こんにちは

ちょっときついお顔です

ちょっと日本的ではないかな?

 

 

拝殿で、2礼2拍1礼です

龍の顔がはっきり見えます

奉納された額もたくさんありそうです

 

 

西側に廻ります。

りっぱな本殿です

彫刻も精巧です

 

 

本殿の周りには、板碑型の庚申塔群です。

 

 

本殿の修復記念碑があります。

由来については、さきほどの説明板とほぼ同じです。

 

狛犬以外は、落ち着いたいい雰囲気です

 

 

本殿改修祈念碑の付近には、なぜか猿田彦大神がたくさんおいでです

 

 

おや、お顔が真っ白なこの方はどなたでしょう?

以前に玉村町歴史資料館でいただいた資料の中に、おいででした

白粉薬師といわれる皮膚病や眼病にっかった人が願掛けをし治ったら白い粉を塗るという信仰の中世薬師仏があります。

 

タバちゃんの目が治りますように、合掌

 

 

烏川(からすがわ)の方に行ってみます。

さっき、ここを曲がってくれば良かったのです。

あの橋を渡ってきました。

川面は遠いです。

見えません。

角のように張り出した角渕です

ここは、武蔵国へ、さらにその先は鎌倉への交通の要衝だったのです

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中山道新町宿・於菊稲荷神社(後編)

2023-02-25 18:12:31 | 群馬県・西毛

ちょっと寒い朝です。

ハイシニアのタバサねーちゃんは、まだ寝ています。

ひめちゃんは、先に一人散歩で、堀之内を西に出ます。

天神田(字天神の田んぼ)を歩いてきました。

赤城山は、吹雪いているようです。

天気予報通り、寒い1日になりそうです。

 

ムーハウスガーデンには、きれいな花色の椿が咲きました。

玉之浦のようだけど、ちょっと違いうかな?

 

 

 

(2月7日、於菊稲荷神社の参拝続けます。)

左右に、古いタイプの狛犬(狐)が見えてきました。

わあ、古き良き日本の狛犬(狐)です

 

水屋の説明板です。

新町宿は中山道の宿場町として宝暦(1751)から文政(1818)にかけ人馬の交通量も増し、神社は多くの参詣人でにぎわい、奉納された鳥居、絵馬、算学など、価値ある文化財が多い。

この水屋は、文政六年(1823)新町の人々の浄財によって創建されたものである。

 

「彫刻は精巧を極め」とあります

確かにそうですけど、彫刻師は不明なのかな?

 

時節柄、手水は使えませんけど、いちおう花手水かな

 

右の狛犬(狐)さんです。

中山道本庄宿の人の奉納です

 

 

拝殿近くですけど、次々と参詣人がやって来ます。

 

 

絵馬の説明板を確認です。

遊女の参詣は、宿場ならではの情景なのでしょう

 

 

空くのを待って、拝殿近くで、ウロウロです。

 

あれ、拝殿前にも、二組の狛犬(狐)さんです

上のキツネさん、大きなシッポが筆のようです

 

高額の奉納者として、埼玉県北埼玉郡羽生町の大石さんの名前があります

中山道の宿場ならではですね

 

 

やっと一人で静かに参拝出来そうです。

大きなお雛様が見えます。

2礼2拍1礼です

 

 

拝殿脇には、狐塚です。

古い狛狐さんたちも、ちゃんと存在しています。

霊験あらたかなので、何組もの狛狐が奉納されたのですね

 

 

社務所によって、直書きの御朱印をいただきます。

狐のシッポのイメージ、いいですね

御利益がありそう

ありがとうございます

 

社務所の待合室には、奉納された絵馬がありました。

退屈することなく、待ちました

カメラは、ご遠慮下さいでしたけど。

 

 

駐車場に戻る途中、気づきました。

参道にも、狐さんです

 

中山道新町宿の於菊稲荷神社、またそのうち参拝します

 

 

 

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中山道新町宿・於菊稲荷神社(前編)

2023-02-24 16:45:44 | 群馬県・西毛

ひめちゃんは、堀之内を北に出ました。

赤柴ラッキー君ちの近く、蕨沢川に架かる最初の橋・久留美田橋からUターンです。

先日、蕨沢川の始点・童沢貯水池には水がありませんでした。

でも、川は水音を立てて流れています。

川沿いにあった、三基の石宮は全くその存在を感じません。

雑草と竹に覆われて、完全に忘れ去られてしまったようです

 

寒い寒い冬で、椿は凍みてしまって、なかなかきれいに咲いてくれません。

でも、クリスマスローズは、次々と開花しています。

防寒に古葉を付けておいた方がいいのか、それとも古葉切りをして花をスッキリ見せた方がいいのか

 

 

 

2月7日、首塚八幡宮からの帰り、於菊稲荷神社(おきくいなりじんじゃ)に寄ります。

(街道を行く・中山道 群馬県歴史の道2 群馬県教育委員会)

 

①が首塚八幡宮、②が胴塚稲荷古墳です。

胴塚稲荷神社前の道を右に、岩倉橋を渡って帰ります。

⑨が於菊稲荷神社、烏川を渡ってすぐ右手の⛩は、角淵八幡宮です。

どちらも寄って行きましょう

 

迷うことなく、於菊稲荷神社の駐車場です

於菊稲荷神社は、ウィキペディアによれば、

創建年代は不明である。1582年(天正10年)の神流川の戦いで、後北条氏に勝利をもたらしたことから、社殿が整備された

当社は中山道の新町宿の中にあり、遊女や飯盛女が多くいた。彼女らが奉納した絵馬が現在も残っている。

とあります。

また、於菊伝説として

宝暦年間(1751年 – 1764年)、新町宿に「於菊」という美しい娘がいた。ところが重病に罹り療養生活を送っていた。於菊が当社に病気平癒を祈ったところ、病気が治り元気になった。その際に「人のために尽くせ」という霊夢を見、後の半生を当社の巫女として生きることになった。於菊は予知能力を授かり、様々な物事を言い当てるようになった。そのことが評判を呼び、いつしか「於菊稲荷神社」と称されることになった。

とあります。

 

別の説もあります。

大黒屋の娼妓於菊は大変な美貌と気立ての良さで新町随一の売れっ子。ところが病に倒れると大黒屋からはのけ者に。 村人が稲荷神社の小屋で看病したが、ある日、お菊の枕元に稲荷の霊が現れ奇跡的に全快。 感謝した於菊は稲荷神社の巫女となったのだとか。以来 於菊稲荷神社 と呼ばれるようになり神社はますます隆盛を極めたそうだ。

 

後者の方が、お菊さんの霊能力が強そう

 

⇒で行くと社殿に出るようです。

 

 

でも、鳥居から入ります

鳥居を目指していくと、脇にもたくさんの鳥居です

 

やっと本来の鳥居です

 

双体道祖神と境内の説明板もあります。

ちょっと不思議な二人です

 

遊女参詣図ですって

遊女も大勢参詣してたようですね。

 

右下の出入口から、直進です。

振り返ると、あれ、野州足利の文字が

ここは、中山道新町(しんまち)宿です。

下野の国・足利の商人も、さかんに行き来したのでしょう

そうすると、遊女参詣図も納得です

 

雷電神社です。

上州だから、雷が多いかな?

 

道祖神です。

撫でられてるかな?

 

鳥居の途切れた所を、曲がります。

 

まだまだ、鳥居が続きます。

 

狛犬です。

こんにちは

どうも新しそうです。

 

まだまだ、鳥居は続きます。

 

やっと、社殿が見えてきました

まだ、鳥居が増える余地ありですね。

 

手水舎と狛犬(狐)が、見えてきました

狐さん、こんにちは

 

(つづく)

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丑の刻参りで御利益・首塚八幡宮

2023-02-23 16:04:42 | 群馬県・西毛

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

ひめちゃんは、早々と用を足して、ご褒美の催促です。

 

諏訪神社前から、あぜ道を山上城に廻ります。

浅間山は、少し溶けてる?

今朝は、ここ数日よりちょっと暖かいかな?

 

山上城の西の堀切を歩きます。

枯れ枝がいっぱい落ちてるから、気を付けようね。

 

三の丸(山上城跡公園)にちょっと寄ります。

ロウバイは、花期の長い花です。

新里村の時代には、毎年ここで薪能が行われていたのです。

もうみんな忘れちゃったかな。

 

椿は、何種類かあるようです。

いい散策コースです

少し整備すれば、人がいっぱい歩く散策コースになります

 

 

 

 

藤岡の一行寺を目指して行った時に、首塚八幡宮⇒がありました。

誰の首だろう?

気になったけど、帰りに寄ろうとパスしました。

でも、帰りには辿りつきませんでした

 

2月7日、首塚八幡宮の住所・高崎市新町1998-2をナビに入れて、出発です

首塚八幡宮⇒まで、迷うことなくやって来ました。

 

⇒を左折して、ちょっと不安。

細い住宅地の道です。

まもなく、「目的地に到着しました」のナビのアナウンスです。

「え?」

駐車場も見当たりません

 

バス停の辺りに、何とか駐車です。

天正10年(1582)、織田信長の死の直後、神流川合戦の首実験が行われた所ですか。

首から上の病に、御利益があるんですね

 

脳の病・精神病・歯の病などに苦しむ人の参詣が多く、丑三時(御前2時頃)誰にも知られずに参詣するのが良いと言われます。

合戦で討ち死にした者の霊が悩める人の苦しみを救うからだと言います。

 

丑の刻参りって、普通逆ですよね。

合戦で討ち死にした霊は、首塚八幡宮に祀られて、人々を救う霊になったんですね

でも、怖そう

 

高崎市指定の文化財です。

石宮の祠が、三社あります。

みんな首塚八幡宮の祠ですね。

一番大きいのが、一番新しい祠でしょう。

丑の刻ではありませんけど、2礼2拍1礼です

 

地域でしっかり祀られているから怨霊にならずに、御利益のある神社なのですね

鳥居の前で、もう一礼です

 

 

説明板に、すぐに西に胴塚もあるとありました。

確認できるかな?

 

 

帰り道、さっき左折した所の反対側です。

胴塚稲荷古墳と見えます

駐車場も駐車スペースも見当たりません

周辺は静かです。

ちょっとの間、路上駐車です

ダッシュで確認です

 

細すぎる路地を抜けて、りっぱな鳥居です。

2礼2拍1礼です。

 

説明板を確認です。

元々は円墳なのですね。

こちらは、神流川合戦の戦死者の胴を埋葬したと伝えられるんですね。

 

藤岡市教育委員会ですって

道の向こうは、高崎市新町、こちらは藤岡市なのですね。

首と胴が一緒になることはないのかな

 

鳥居前でもう一礼です

急いで車に戻ります。

 

 

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