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続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

武蔵島の二柱神社

2025-06-03 18:29:19 | 早川物語2

 

冷たい雨の一日です

ひめちゃんは、一日中室内犬です。

おかあさんのベッドの上で寝たり、ベッドサイドの自分のベッドに寝たり、コタツ脇のタバサねーちゃんのベッドに寝たり、あちこち移動しながら過ごします。

でも、夕方は貧乏カッパでお散歩で、中学校の信号付近までのいつものお散歩ルートを歩きました

 
 
 
 

生まれ育った尾島だけれど、まだ行った事のない所がいっぱいあります。

 

新里の人が知らない勾当の内侍の、花見塚から廻り込みます

真っ赤な鳥居で、パワーいっぱいいただけそうだけど、草も元気です

 

 

社殿に由緒があります。

来歴は、

「宮下相伝記」によると、天正元年(1573)に宮下筑後守正繁が一村の鎮守として長井(妻沼)御聖天(歓展天)を勧請しこの所に聖天宮を建立したとある。これは王政革新につき、共有村社二柱(伊邪那岐尊、伊邪那美尊)に改むとあるので、この時に武蔵島村と前島村の二村は共通の氏子となったようである。普通土地の人々は近年まで「聖天様」と呼んでいた。

 

読んでしまってってから、なんだか変

そうだ、普通は右から書くのに左から書いてる

「宮下相伝記、宮下筑後守正繁」、花見塚神社にもその名はありました。

2礼2拍1礼です

 

 

社殿の左には、花見塚神社のある花見塚公園が見えます

  

境内社は多くはありませんけど、弁天様もおいででした

合掌

 

 

鳥居の付近は雑草が元気でしたけど、さすがに社殿の周りはきれいでした

駐車場は特にはありませんでしたけど、社殿東に駐車スペースがありました。

 

 

そのまま、南に下ります。

 

 

あれ、行き止まりだ

でも、足尾銅山街道ですって

あかがね街道は、花見塚からこちらに来ていたんだ

 

 

目の前にある階段を、登らないわけには行きません

 

 

早川の土手に出ました

 

上流です。

あそこに見える橋は、花見塚の先の武蔵島橋でしょう。

 

正面の早川の流れです。

静かな流れです。

新里奥沢の山奥から流れ出した早川は、長い長い旅を続けてここまで来ました

 

下流の流れです。

あの橋は、前島橋でしょう。

もう少しウロウロしてから帰りましょう

 

 

(つづく)

 

 

 

「はてなブログ」に、お引っ越しました

新ブログ名は「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより3」です

https://samanthahonami.hatenablog.com/

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