続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

子どもが7人いる女神の七母女天宮

2024-07-15 13:11:00 | 早川物語2

雨雲レーダーは、「まもなく雨が降り始めます」。

ひめちゃんは、大急ぎで朝散歩に出ます。

ここの田んぼは、除草剤を撒かないようです

まめに草刈りがなされています

ひめちゃんも草を食べるし、時にはカモのつがいがやって来ます

 

何とかずぶ濡れにならずに帰宅です

もちろん、今日も室内犬を決め込みました

お外の方が体にいいと思うんですけど。

掃除機が駆けられない

彼女には怪獣に見えるのでしょう

 

明日は、初代黒柴犬・三四郎の24回目のお誕生日です

2000年の秋、新田のジョイフル本田で彼に会って、黒柴生活がスタートしたのです

 

三四郎と出会ったから、今日迄生きて来れたのです

ありがとう、三四郎

また逢いましょう

 

 

 

6月29日、淵名神社にうまく駐車できませんでした

しゃあない、せめてもう1ヶ所どこかに寄って行こう

コンビニに駐車して地図を見ると、早川の東(淵名の東、境東新井)に七母女天宮があります

聞き慣れない神社ですけど、かえって興味が湧きます。

 

はす向かいに駐車スペースがありました

落ち着いて参拝できそうです。

「七母女天」は、「大土神社」なの?

七母女天は、五穀豊穣をもたらす大地の女神?

 

落ち着いたいい雰囲気の境内です。

2礼2拍1礼です

 

社殿の裏に回っても、境内社は一社のみ。

 

社殿を一周してきました。

鈴を鳴らせないように、まだ567仕様です。

無病息災とか悪霊撃退とかの神様ではないのかな?

あれ、なんとなく警備会社の警備が入ってる?

 

鬼瓦にも、「女天」の文字です。

七母女天は、魔を撃退する力を持ってる

 

いろいろ検索すると、「NPO法人境いきいきアイ2020」というサイトに、ここがありました。

読み方は、しちぼにょてんぐう

子どもが7人いる女の神様で、そのうちの1人が世良田の八坂神社に祀られている須佐之男命(しさのおのみこと)と伝えられています。

 

そうすると、須佐之男命(しさのおのみこと)のママだから、こちらもそうとう古い由緒という事になりそうです。

世良田の八坂神社、しばらく行ってませんね。

御朱印も色々ありました

そのうち、また参拝しましょう

 

大きすぎないけれど、そこそこの大木が、神社の森を作ってます。

古くからの大木は一度整理されたのかも

西を流れる早川は南に下って、世良田を流れます。

息子が世良田に祀られていると言うのも、早川物語です

 

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岡登用水・鹿分流の終点

2024-07-14 15:34:32 | 早川物語2

雨雲レーダーは、「午前8時頃に雨が降り始めます」ですって

ひめちゃんは堀之内を西に出て、天神田(字・天神の田んぼ)を歩きます。

エヘヘ、今日もおうち犬でふね

 

おや、ひめちゃんハンターに変身です

 

道ばたに猫がくつろいでいます

気づいた猫は、スタコラサッサ、雑草の中に逃げ込みます。

今日は、ヒマワリの向こうに榛名山も浅間山も見えませんでした

 

 

 

先日、岡登緑道(おかのぼりりょくどう)を散策していて、鹿分流(西の分流)は、早川に合流しているとの記述を見つけました

これは絶対に確認しなければなりません。

地図を眺め、ストリートビューを確認して、出発です

6月29日、岡登用水・鹿分流の終点を確認に出かけました

 

中央の大木の向こうは、鶴巻古墳です。

目指す岡登用水の終点は、鶴巻古墳の少し下流だったはずです。

 

右岸のこの景色ストリートビューで見ました。

右岸の早川サイクリングロード、いつか走ってみたいものです

 

左を見ると、合流している流れがあります

岡登用水です。

ちょっと用水沿いを歩くのは難しいかな

 

岡登用水が早川へ流れ出ます

 

早川上流の流れです。

早川下流の流れです。

新里の山奥・奥沢から流れ出した早川が、いろいろなドラマを運んで、故郷の新田で利根川に合流していたのです

早川って、重要な川だったのです

 

あの県道2号線を右折すると、確か淵名神社だったはずです

寄って行きましょう

 

でも、駐車場入り口が見つかりません

なんとなく木々が整理された気もするし

この日は寄れませんでした。

 

 

後日、出直しました。

大木の銀杏は整理されたようですけど、やはり早川の「淵な」の淵名神社でした

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やはり銀杏の淵名神社

2024-07-12 12:26:37 | 早川物語2

朝はまだ雨が降っていませんでした

ひめちゃんは久しぶりに、諏訪神社の向こうの高台を歩きます

高台中央のナス畑では、外国人達がナスの収穫作業中です。

そのまま突き当たりまで行って、南に下ります。

ひまわり畑、出現してるかな

 

あちゃあ、一本もない

みんなうなわれちゃった

緑肥植物として、種が蒔かれたのかな

 

帰り道、倒れているヒマワリをたくさん見ました。

ひめちゃんちも、大雨で何本も被害に遭ってます。

倒れちゃったんだね

残念

 

 

 

実はこの日(7月6日)の本当の目的地は、淵名神社(ふちなじんじゃ)でした

十三宝塚遺跡から県道2号線に出て、東に注意深く進みます。

 

少し前に、新田を通った岡登用水が早川に流れ込むところを確認に行きました。

(記事は後日)

鶴巻古墳の少し下流で、淵名神社の少し上流でした。

あれ、淵名神社が目立たない

早川と県道2号線の交差する辺りに、誇り高く存在したはずだけど

駐車場は何処だったっけ?

どうも以前訪問したときと雰囲気が違う?

銀杏の淵名神社(早川物語)

うまく駐車出来ずに、その時は退却してしまいました

 

 

県道2号線、淵名神社の赤い鳥居を過ぎてまもなく「淵名神社入口」の表示があります。

この間は見落としたようです。

今回は、難なく駐車出来ました

 

 

まず早川を確認です。

淵名の地名について、『群馬の地名』(みやま文庫 昭和46)に、

佐波の淵名(ふちな)

境町上淵名、下淵名はそばを流れる「早川の淵に」という場所をさす淵に、古代東国方言の格助詞「な」をつけた言葉が固有名詞化したものと思う。~(中略)~群馬郡の井野川の源流の東明屋に榛名明神、下流に島名明神がある。淵名、榛名、島名は同じ類型と考察できよう。

 

 

早川の淵の淵名神社に戻ります

鳥居から参拝です。

 

古い銀杏の切り株があります。

 

 

あれ、かわいい狛犬さんだ

いたっけ?

 

 

右手には、渕名神社社殿新築碑です。

由緒の部分を拡大です。

 

ここは字・銀杏なのですね。

見上げるばかりに大きな銀杏はもうないようです。

昔実家にも大きな大きな銀杏があって、毎年たくさんの実をならせていました。

銀杏は懐かしい木です

 

 

駒犬さん、こんにちは

 

よそではお目にかかれない、超個性的な駒犬さんです

 

 

拝殿で2礼2拍1礼です。

玉を持った龍がいます

 

 

社殿の西には、境内社です。

仏教的な色合いは少ないみたいです。

とりあえず合掌

 

 

本殿を一周して振り返ると、やはり銀杏の木を残しながら大木を整理したのですね

 

 

社殿の東にも由緒があります。

さっきと微妙にニュアンスが違います

「ここは元々は須佐之男命を祀った熊野神社であったが、明治の時に付近の神々が合祀され淵名神社なり、主祭神は飯玉大明神(保食神)になってしまった」という事です。

 

 

銀杏の実が落ちてます。

銀杏の木がちょっと整理されたけれど、ここはやはり銀杏の淵名神社でした

 

みなさん合祀されたはずですけど、弁財天だけ、早川の淵に置き去りです。

でも、ここが居心地のいい場所なのでしょう。

淵名神社より早川に「淵な」だもの

 

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ロウバイの岸辺と鶴巻古墳

2024-02-02 19:38:15 | 早川物語2

今朝のひめちゃんは、何としても南に行くと譲りません。

夕方のコースですけど、堀之内を南に出て歩いて来ました。

実は昨日の夕方、ひめちゃんはこの辺りでケンくんちのおかあさんが、チョコレート色の洋犬をお散歩させているのを見たのです。

ケンくんちのおばあちゃんの話だと、時折泊まりに来る子がいるそうです。

あくまでも、預かるだけだそうですけど。

残念、今朝はいないね

 

 

 

何気なく地図を見ていたら、東(あずま 伊勢崎市東町)の早川沿いに、「ロウバイの岸辺」があります

季節的に少し遅いけれど、昨日確認に行きました。

 

見当を付けて、大東神社の東の辺りを探します。

黄色い花はありません

早川は穏やかに流れています。

 

 

諦めきれずに、少し南に下ります。

ムム、岸辺が黄色い

ロウバイの岸辺です

 

特別な品種ではないけれど、いい感じです

でもけっこう車がやって来ます。

落ち着いて楽しめない

 

 

早川の向こうは、鶴巻古墳です。

だいぶ昔に、来た事があります。

石室の石は、6世紀の榛名山二ッ岳の火山弾ですか

 

新しい説明板です。

円墳と思われていたけれど、北西方向に小さな造り出しが発見されて、帆立式式古墳である事がわかったとあります

 

風の強い一日でしたけど、風に向かって登ろう墳丘です

墳丘場から見た赤城山です。

裾野は広し赤城山です

 

南側には石室です。

榛名二ッ岳の火山弾が運ばれてきたのですね

被葬者は、相当に力のあるこの地の豪族だったのですね

支配地の経営に、早川も深く関わったことでしょう

 

 

さて、強い風を背に、早川の方に散策です。

あれ、シラサギです

もう一羽、小さい子もいます

ロウバイの向こうに足尾の皇海山(すかいざん)です。

 

この次は、ひめちゃんたちと、風のない静かな1月中を選んで来ましょう

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新田館跡・総持寺

2023-09-05 13:50:19 | 早川物語2

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

ムム、あんな所にシラサギがいる

そういえば、去年もあの辺にいたような

堀之内の西端を歩きます。

この飛行物体はトンボです。

今朝は、イヤにトンボが多い

 

 

 

今年のおおたんのスタンプラリー、最後は世良田の総持寺です。

スタンプは、山門の外にあります。

法事があったのでしょう。

黒い服の人が見えます。

邪魔をしないように、スタンプをゲットして、そこら辺を散策です

 

あれ、鐘楼堂の屋根が、新しくなってる

確か茅葺きのクラシックな鐘楼堂だったと思います。

ここは新田館跡ということです。

そろそろ説明板も新しくなってほしいものです

 

何様だろう?

 

 

寺の後ろを流れる早川を確認です

かなりの水量です。

新里の奥沢の山奥から流れ出して、長い長い旅をしてここまで来ました

早川の旅は、もう少し続きます。

 

橋の名は館橋(やかたはし)です。

向こうに見えるネットは、三ツ木のゴルフ場です。

女塚鉱泉(おなづかこうせん)も、早川の西にありました。

みんな世良田村だったのです。

昭和30年の町村合併の時に、三ツ木や女塚は尾島町ではなく、境町に合併しました。

 

早川を渡ると、今は伊勢崎市です。

 

早川の西を歩いて、館橋の一つ上流の橋を渡って戻りましょう

この先の左の方に、庶民の湯治場・女塚鉱泉がありました。  

女塚薬師鉱泉

一時は、女塚鉱泉入口というバス停もあったそうです。

 

名前のない上流の橋からの、総持寺と館橋です。

橋を渡って戻ります。

『上野国誌』の著者・毛呂権蔵さん宅もこの道沿いです

新里の人は知らないでしょうけど、毛呂さんちは舟田善昌館跡なのです。

 

総持寺は、何度か来ていますけど、未だに御朱印をと声が掛けられずにいます。

早川つながりで、縁のあるお寺なんですけど

 

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