続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

ご先祖様のああ勘違い

2022-07-31 21:21:06 | 獅子丸な日々・総集編

昨年の暮れ、12月13日の夜、突然の事故で獅子丸は逝きました。

ひめちゃんと一緒に、10歳の誕生日が目前でした。

 

天寿を全うすることなく逝った、獅子丸の死がとても悔やまれます

もうじきお盆です。

鎮魂の意味でも、記事の少ないこちらのブログに、再編集してアップしたいと思います。

獅子丸がこの世に生きた足跡です

新着記事の合間に、少しずつアップしていきます。

しばらくの間お付き合いくださいませ

 

 

 

 

ひめちゃんは、冬の寒い日に生まれました。
ひめちゃんの一緒に生まれたきょうだいは、男の子2名女の子2名でした。
七海ママが、4名の子供を産み落としたのは初めてです。
ひめちゃんたちが生まれるようになったいきさつについては、後日語ります。




4名の中で、白足袋をはいた子は、獅子丸だけでした。
足の先が足袋をはいたように、白くなっていたのです。
きょうだいの中で、一番大きな子でした。




大きく生まれて、さらによくお乳を飲みました。



まだ耳が立っていないので、生後1ヶ月くらいでしょうか?
大きくおっとりした子でした。

 

生後2ヶ月くらいになると、4名でミニドッグランでよく遊びました。




獅子丸はけっこうバランスのいい体型です



ひめちゃんは真っ黒くろすけでした



それからまもなく、ひめちゃん以外のきょうだいは養子に行きました
獅子丸が養子に行った家を、仮に獅子丸家と呼んでおきます。


この獅子丸家との関わりが、余計に失われた歴史が語りかけてくるきっかけになったのです



将来、獅子丸を主人公にして、「獅子丸家の真実」という小説を書きたいと思っています。
最初のシーンはできています。

ひめちゃんとおかあさんが、獅子丸を迎えに来ました。
獅子丸は実家に帰ることになったのです。
高齢の獅子丸家のおとうさんは入院することになりました。
「さらばじゃ、郷右衛門どの(^-^)/」獅子丸はつぶやきました。
獅子丸は、過去生(かこせい)で獅子丸家の御先祖・郷右衛門(ごうえもん)さんに、子孫の見守りを頼まれていたのです。
このおとうさんで、獅子丸家は尽きます。
後に続く子孫はいないのです。
獅子丸はあるときは馬、またあるときは犬、またあるときは猫と、転生を繰り返しながら、いつも獅子丸家にやって来て居着きました。
転生のたびにやって来ての第一印象は、「ああ、また落ちぶれた(´・_・`)」、「あーあ、また落ちぶれた(´・_・`).」でした。
誇りと伝承を残して、獅子丸家は滅び去ろうとしています。
明日からは、ひめちゃんと獅子丸とおかあさんの三人で暮らしていくことになります(^-^)/
(つづく)



郷右衛門さんて、だれでしょう?

 

 

(つづく)

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小次郎パパは16歳になりました

2022-07-31 15:24:59 | 日記

ひめちゃんは、タバサねーちゃんとお散歩に出ます。

むこうから、デナちゃんがやって来ます。

ひめちゃんは、動きません

タバサねーちゃんは、後ろで静かに見守ってます。

ワンワン、アタチの方が強いんだぞ

ナちゃんは、静かに通り過ぎます。

 

ひめちゃんたちは、諏訪神社の向こうの高台を歩きます。

 

高台中央で、薬師の道の反対側・南に下ります。

 

ナス畑で、外国人のおじさん&おねーさんが休憩中です。

「おはようございます

「おはようございます

「ナス、ナス」

「?」

どうも「ナスを持って行け」と言っているようです。

ウンチパックの予備として持参している、ビニール袋を差し出します。

ナスをいっぱい詰めてもらいました

「ありがとう ごちそうさま

 

破れやすいビニール袋なので、エプロンで包んでお散歩再開です。

 

山上城廻りより近道らしい、諏訪神社南の道を戻ります。

 

神社隣の沼下を流れるこの川は、やがて向こうに見える膳八幡神社の東を通って、蕨沢川(天神川)に合流します。

 

無事持ち帰ったナスです。

化繊の古いエプロンですけど、今でも役に立ってます

昔、ブラウスの生地でエプロンを縫っている人がいました

アイロンがけの必要がないので、少し高価でしたけど、何枚か求めました。

今だに役だってます

 

早速、ナスの塩もみで朝ご飯です。

 

 

 

 

小次郎パパは、今月で16歳になりました

人間だと80歳とか。

最近は後ろ足がめっきり弱って、娘達との散歩はもう無理です。

でも、食欲は旺盛、しっかり食べています

 

 

小次郎パパは、平成18年(2006)の7月、勢多郡宮城村(前橋市宮城町)鼻毛石の生まれです。

 

小次郎がやって来た時、ムーハウスには三四郎&サマンサ、そして七海がいました。

七海ねーさんは、小次郎がすっかり気に入りました

 

翌年の夏は、国道353号線沿いにあったドイツ村のドッグランによく通いました。

 

赤堀蓮園にも、行きました。

2人の恋が実って、この年の秋、ののこが生まれます。

 

タバサねーちゃん・ひめちゃんたちが生まれるのはもう少し先です。

 

 

 

 

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真夏の木曽三社神社・後編

2022-07-30 13:28:09 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を北に出ます。

朝から強い日射しです

ひめちゃんは、最近よく道草を食べます。

お腹の調子を整えてるのかな?

でも毛並みはいいね

 

沼下のヒマワリ畑を通ります。

真夏の風景だね

こんなに大輪になるヒマワリもあるんだね

 

岩神沼にも寄って行きます。

相変わらずに誰もいません。

 

ひめちゃんちのハスの花、2輪めも散り始めました。

3番目の小さな花芽が出てきました

 

 

 

 

せっかちおじさんは、どんどん湧玉目指します。

 

湧いてます

写真ではちょっとわかりにくいけど、ポコポコ湧いてます

木曽三社神社の湧玉は健在でした

 

湧玉の池ほとりには、厳島明神(いつくしまみょうじん)です。

沼の畔なので当たり前だけど、厳島神社は平家と関わり合いの深い神社でしたね。

木曽義仲ゆかりの木曽三社神社に鎮座とは意外でした

 

賽の河原かな?

 

 

厳島明神に見守られて、湧玉の水は流れ出してます。

左右二つの流れがあります。

左(東)の方が勢いが強いようです。

 

振り返って湧玉です。

右が強い流れです。

思わず、右の流れに手を入れてみます。

冷たい

清冽な流れです

 

左の静かな流れの先には、乾燥気味の湿原です。

かつては水があったのです。

 

振り返って、湧玉とそこから流れ出す清冽な流れです。

清冽な流れに沿って、鳥居に戻ります。

この先は何処に行ってるんだろう?

 

久しぶりに、心和む空間を散策できました

また、そのうちに参拝しまーす

 

 

 

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真夏の木曽三社神社・前編

2022-07-29 14:51:21 | 群馬県・旧勢多郡

朝、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出て山上城の辺りを歩いてきました。

小次郎パパは、おうちでお留守番です。

足腰が弱ったパパは、もう娘達とのお散歩は出来ません。

いい子で待っててね。

 

 

 

先日、北橘に用事があって出かけました。

帰路、途中の木曽三社神社(きそさんじゃじんじゃ)に寄り道しました。

久しぶりの訪問です。

 

駐車場にある、付近の地図です。

まだ行ってないところが、いくつもあります。

そのうちに、機会を見て行ってみましょう。

 

 

鳥居をくぐります。

額は「木曽三社大神」です。

下り階段になってます。

 

 

付近の説明板です。

木曽三社神社は、木曽義仲が暑く崇敬したといわれる延喜式内信濃国筑摩郡の岡田、沙田、阿礼の三神社を、その遺臣たちが1184年にこの地に遷し祀ったと伝えられる、由緒ある神社です。

 

鳥居をくぐって下りると、左右に池があるはずですね。

 

渋川市教育委員会の説明板もあります。

瀧の宮・木曽明神とも称されているんですね。

 

 

駒犬さん、お久しぶりです

 

 

前を失礼して、石段を下ります。

手すりがあって、助かります

 

あれ、階段を下りた右に水がない

記憶でも、さっきの案内図でも、水をたたえているはずなのに

 

 

まあ、とにかく参拝です。

社殿には、木曾氏の紋所・笹竜胆(ささりんどう)の幕が張られています。

 

 

拝殿でお賽銭を入れて、2礼2拍1礼です

みごとな社殿の彫刻を、しばし楽しみます

 

 

拝殿から、鳥居を望みます。

わー、あんなに下りてきたんだ

 

 

本殿廻りもウロウロです。

やはり、いたるところに、笹竜胆の紋所です

 

 

本殿もみごとな彫刻のはずですけど、ちょっとよくわかりません。

 

拝殿の脇には、石造物が集められています。

あれ、道祖神もあります

ここではなく、鳥居の外の付近にあったものでしょう。

 

水があるはずの池に水がない

有名な湧玉は大丈夫か。

奥の湧玉(わくたま)の池に急ぎます。

 

 

(つづく)

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続・葛塚城堀之内に住んでます

2022-07-29 12:52:45 | 日記

gooブログ『黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ』は、まもなく画像の容量がいっぱいになります。

いろいろ画策しましたけど、「続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ」として、gooブログでお世話になります

 

今朝、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、葛塚城堀之内を西に出て、山上城の辺りを歩いてきました。

日陰を求めて、山上城のアジサイの小径に入ります。

アジサイの水色に、ホッとします

 

 

 

黒柴のひめちゃんは、現在、黒柴のパパ・小次郎&白柴のおねーちゃん・タバサと暮らしています

 

かつては、黒柴の三四郎おじちゃん&サマンサおばちゃん、黒柴のママ・七海と黒柴のおねーちゃんののこ、そして、黒柴の同腹のきょうだい・獅子丸と暮らしていました。

パパは16歳を過ぎて、そこらまでのちい散歩しかないできない介護犬です。

 

ひめちゃんは、もっぱらタバサねーちゃんと元気にお散歩しています

2人は、晴れの日も雨の日も風の日も雪の日も、この葛塚の地をお散歩しています

 

 

2019年の3月、パパとおねーちゃんと3名で、葛塚の地をお散歩して帰ってきた写真があります。

今はこの3名だけの家族になってしまいました

 

 

ひめちゃんちの一番小さい字(あざ)は、堀之内です
堀之内とは、中世に城館があったところといいます。

ここには葛塚城があったといいます。

『群馬県の中世城館跡』(群馬県教育委員会1988)


築・在城者として、山上氏・足利忠綱・羽生衆が推定・伝承とあります。
そして、「竜奥館(たつおくやかた)はここか?」とも添えられています。
「遺存状態は不良」です。

ひめちゃんたちは、毎日晴れの日も雨の日も風の日も雪の日も、この葛塚の地をお散歩しています

 

 

 

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