続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

八坂神社境内に廃寺・昌白寺跡

2024-07-18 13:24:28 | 県道3号線紀行2

昨夜は激しい雷雨に見舞われました

今朝は、早朝から強い日射しです

 

ひめちゃんは、堀之内を北に出て、岩神沼に向かいます。

沼下の貯水池から、何かが飛び立ちます。

アオサギです。

彼(?)は沼の西側に一度着地、それからまもなく、弾丸のように飛び去っていきました。

アオサギさんに会えたね

 

ここはミドリ沼ではなく、まだしっかり現役です。

 

 

 

相生の岡登神社&八坂神社の参拝を済ませて、一の鳥居を出ます。

 

やはり右手の墓地が気になります。

ええッ、ここは善昌寺の墓地ですか

廃寺になった、昌白寺は、善昌寺の末寺だったのかな?

やはりここは善昌寺が管理しているようです。

でも、けっこう離れています

お墓のお掃除をしているおじさんがいます。

「こんにちは ここは善昌寺の墓地だと言うことですけど、善昌寺って、あの新里の善昌寺ですか?」

「そうだよ。うちは、新里の善昌寺の檀家だよ

ここは、ちゃんと堂宇もあったお寺だったそうです。

 

六地蔵さん、現役のようです。

合掌

 

立派な石造物が、いっぱいです

和尚さんの墓石は、何故か少ない

 

大きな大きな五輪塔と宝篋印塔が目立ちます。

 

大きな大きな五輪塔、文字は読み取れませんでしたけど、この寺の開基さんか何かかな

 

墓石には、「藍原」家の文字がたくさん見えます

八坂神社の灯籠にも、「藍原」さんでした。

 

お寺は廃寺になったけれど、石造物には、明治の廃仏毀釈の時の傷跡も少ないようです。

 

 

  

 

みなさんに合掌

 

前の道は国道122号線、すぐそばの信号で県道3号線が合流します。

2つ先の信号まで同道して、県道3号線は左折、再び独立して、赤岩橋で渡良瀬川を渡り、桐生駅前に向かいます

あの信号の右突き当たりには、「秀ノ山雷五郎ゆかりの土俵」がある愛宕神社があります

桜と土俵(相生・愛宕神社)

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相生岡登神社

2024-07-16 17:14:06 | 県道3号線紀行2

雨の一日です

ひめちゃんは、今日もおうち犬を決め込みました

昼頃、雨が一時止んで、そこらまでのちい散歩をせがみました。

もしかしたら、外のお部屋に帰るかな?

玄関は素通りしたけれど、居間のガラス戸を「開けて」です。

今日も一日おうち犬です

明日、天気になーれ

 

本日は、三四郎おじちゃんのアーカイブです。

 

2000年11月、ムーハウスにやって来て2ヶ月です

かわいいかった

 

このころは、サークルでも首輪をしていました。

もう暫くして、お散歩帰りに付いてきた日本犬保存会の会員だというおじさんの「被毛に跡が付かないように、首輪は外して置いた方がいい。」というアドバイスで、サークルの中では基本的に首輪無しでした。

その伝統で、ひめちゃんたちも、おうちでは基本的に首輪(ハーネス)なしです。

おじさんは、三四郎を褒めて、その血統書を見せて欲しいと言いました。

三四郎は、彩の国・熊谷の生まれです。

日本犬保存会の血統書は、出生地は所番地まではっきりと記されます。

おじさん、熊谷に行ったかも

 

 

 

先日東の桐生市に行く途中、相生で「八坂神社夏祭り」の表示がありました

相生の八坂神社の境内には、岡登神社もあります

新田生まれのひめちゃんちのおかさんは、やはり参拝しておきたい所です

ちょっと、寄道です。

 

「岡登堰土地改良区」の機関誌(PDF)によれば、

岡登用水は笠懸野の荒野を潤すため「代官岡上次郎兵衛景能公」によって、寛文4年(1664年)から同12年(1672年)に、渡良瀬川右岸の大間々町高津戸地点で岩盤を掘り割って導水口及び隧道、開渠による導水路340mの難工事をはじめ、三俣分水までの開渠4,100m、鹿の川沼までの開渠1,800m、さらに銅山街道沿い市野井新田までの開渠8,000mの総延長約14kmの水路及びため池(鹿の川沼)が開削された。しかし開削後数年間で荒廃し、天保3年(1832年)の飢饉を契機として、安政3年(1856年)に天王宿村・下新田村が幕府に再興の願い出をし、明治6年(1873年)までに全面再興された。明治32年(1899年)「岡登堰普通水利組合」が設立され用水等の維持管理を実施してきた。

とあります。

 

桐生市相生町は、かつての天王宿村だそうです。

岡登神社があるのも納得です。

 

駐車場は不安があるので、近くのコンビニから歩きます。

一の鳥居を入ると、左手に墓地があります。

かつては別当寺があったのでしょう。

 

 

正面左の真っ赤な鳥居が八坂神社です。

右奥に石の鳥居が見えます。

あちらが岡登神社でしょう

 

落ち着いた雰囲気です。

由緒はよく見えません

 

お賽銭を入れて、2礼2拍1礼です

ここは天王宿村、岡登用水は大切な存在だったのです

 

 

左手の八坂神社、明るく元気そうです。

神楽殿の前にはテントの用意があります。

地域力が生きてます

 

 

正面から参拝です。

 

狛犬さん、こんにちは

 

階段を登って拝殿で、2礼2拍1礼です

 

 

八坂神社の参道を帰ります。

灯籠がいっぱいです

 

 

「藍原」さん、天王宿村の名士かな

 

赤い鳥居を出ると、やはり右手の墓地が気になります

 

ええッ、善昌寺ってあの新里の善昌寺ですか

ちょっと遠いよ

 

(つづく)

 

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上野国山上に鎮魂の調べが流れて

2024-06-06 16:35:50 | 県道3号線紀行2

ひめちゃんは、意志の強すぎる子です

夜はなんとしても、室内犬で過ごすつもりのようです

再びの「アタチ挟まってまふ」事件以来、さらに意志の強さを打ち出してます

今朝はお散歩に出てまもなくライバルらしい黒柴の姿を発見。

跡をたどって、堀之内をうろうろして帰りました。

なので、写真は昨日の写真になります。

 

 

堀之内を北の方に出ます。

竹藪には、まだがマダケのタケノコが顔を出しています

 

岩神沼付近で、あれ何かが飛び立った

アオサギです

 

また、アオサギさんに逢える季節になったね

 

獅子丸のお部屋、去年の挿し木が咲いてきてます

 

 

 

 

本日6月6日は、山上の常広寺の開基・本橋院殿(山上鄕右衛門顕将)の命日です。

毎年、鄕右衛門忌(ごうえもんき)なる、ささやかなイベントが開かれていました。

今年は令和6年6月6日、6が3つも重なるおめでたい日です

鄕右衛門忌も、この日をもって一応の打ち上げにしましょう

 

 

まず、昨日準備できなかったので、供養塔にあじさいの切り花を持参して、お掃除です。

実は、この位置は、山上城本丸への近道なのです

縄張り図もあります。

 

昨年、供養塔と隣の六地蔵さんには銅板の屋根がつきました

輝くあかがねの色は、あっという間にくすんでます

おはようございます

ご無沙汰してます

合掌

 

 

右奥の竜神堂にも、ご挨拶です。

 

ワラの竜がいます

竜骨は何処かな?

大正12年1月1日の火事で焼け落ちた竜骨は、拾い集めてしまってあると言うことです。

あの厨子の中かな?

合掌

 

 

本堂で最後の鄕右衛門忌ミに講演会「竜骨伝記の真実」です

 

正徳4年(1714)、田中藤左衛門(たなかとうざえもん)が竜骨を持ってやってきました。

その時に竜骨の由来書(竜骨伝記)と、鑑定書というか保証書というか證書寫をおいていきました。

大正12年1月1日の火事で焼ける前に、それを書き写した人が2人いるのです。

世良田の毛呂権蔵と小俣鶏足寺の和尚です

 

2人の記述を元に復元された竜骨伝記を確認です。

ゆかりの地(毛呂権蔵家、世良田普門寺、小俣鶏足寺、深谷七ッ梅跡等)の映像も確認です。

 

本日の御朱印です。

6が3つも重なる日って、そうそうないですよね

 

 

その後、二胡の演奏がありました。

琴の演奏もありました。

ファイナルで、不思議な力が働いたのでしょう。

向こうから、演奏の申し込みがあったそうです。

開基・本橋院殿(山上鄕右衛門顕将)の、「山上城付近にて落命せしあまたの人々の冥福を祈らんがためなり」の願いを具現するかのように、鎮魂の調べが流れました

ありがとうございます

まさに、ファイナル鄕右衛門忌にふさわしい終り方でした

 

 

 

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復活編・5本の幟で国宝目指す人々

2024-05-28 14:49:03 | 県道3号線紀行2

雨雲レーダーは、7時ころから大雨になります

ひめちゃんは、大急ぎでお散歩に出ます。

あれ、カメラを忘れた

南の方を一回りして降られる前に帰宅できました。

なので、昨日朝の写真でご容赦下さいませ

 

ひめちゃんは、堀之内を北に出る道を進みます。

でも、カーブミラーの先は、相性の悪い道です。

珍しく、右に行くと言います。

今のうちなら通れます。

ひめちゃんの背丈以上に草が伸びないうちに、通っておきました

 

ひめちゃんちの紫陽花、色好き始めました。

 

八重のドクダミも咲き出しました

 

 

5月3日、県道3号線を走り、なにげなく新里支所(旧新里村役場)の方を見ると、あれ、旗めいてる

急遽、駐車場に入って、パチリです

新しい幟です

新年度予算で、また購入したのかな?

文化財保護協会って、お金持ち

普通10本で注文すると思うので、あと5本何処だろう?

 

 

5月4日、山上多重塔を確認です。

旗めいてません

あと5本はあるはずだけどなあ

 

相変わらず、枯れススキだけです

草も伸びてきそう

季節の花が欲しいよね

国指定重要文化財にふさわしい環境とは言えないよね

実は文化財保護協会って、史跡の草刈りをしてそれなりのギャラをゲットしてる団体だそうです

ボランティアじゃあないいだ

 

 

隣のミニカーのサーキット場、最近はあまり人が来てないみたいです

 

一応説明板を確認です。

苦しむ民衆が安心して彼岸に行けるように、小師道輪は多重塔に如法経を納めたのです

分かり易く言うと、、民衆の魂の鎮魂の為に、この塔を建立したのです

文化財保護協会のみなさん、国宝になどと100パーセント不可能なことを言ってないで、ここで鎮魂の調べのコンサートでもしてみたらどうですか

強く勧めます

 

 

文化財保護協会は、サクラソウの会の別名もあるようです。

サクラソウの保護活動もやっているとか。

今年は、サクラソウ祭りの幟を見てないような気がします

 

ついでに、サクラソウ公園も行ってみました。

あれ、サクラソウはどこだ

 

全然保護されてないぞ

ちょっと悲惨

絶滅近しの雰囲気

 

 

5月5日、滝沢不動尊に行くのに、同行者と支所前で待ち合わせです。

 

あれ、ありません

「山上多重塔を国宝に」の真新しい幟は見当たりません

どうしたんだろう?

 

 

5月11日、やはりありません

 

 

 

5月17日、あります

5本で1ヶ所だけです。

 

 

28日、ありません

どうなってるの

文化財保護協会のみなさん、教えて下さい

 

 

県道3号線沿い、支所前の多重塔レプリカ付近、きれいにサツキが咲いてます

 

本来ならば、ここに旗めかすべきでしょう。

ここには、新里村道路元標もあるし

 

新里までと言うたらここまで、新里からと言ったらここからなのでしょう。

どうしてここに幟を立てないんだろう

新里文化財保護協会の皆さん、「多重の塔を再び国宝に」の幟には、県道3号線沿いのこここそふさわしい場所ですよ

 

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続・桜と土俵(相生・愛宕神社)

2024-05-07 17:39:10 | 県道3号線紀行2

雨の朝です

ひめちゃんは貧乏カッパでお散歩です。帰ってきて玄関から入り、フキフキしようとすると、悲鳴をあげます

右耳が痛いようです。

ここ数日なんとなく首をかしげてました。

でも動物病院も連休中、本日やっと受診出来ました

大変な込みようで、大型連休がいい面ばかりではないようです

耳の中が化膿し、腫れていました

お母さんには見せないけれど、動物病院の先生には、ちゃんと見せてます。

綿棒で拭いてもらって、耳薬を垂らしてもらって、レイザーを数分間照射です。

悲鳴を上げることもありましたが、先生をかじったりしません

ちゃんと治してくれる人と分かっているようです

注射を2本して一週間分のお薬が出て、また来週受診です。

 

本日は、ひめちゃんきょうだいのアーカイブです。

12年前の春、赤ちゃんの琥珀丸(こはくまる)です。

 

 

琥珀丸は、すばしっこい自己主張の強い子でした。

獅子丸は、シロタビをはいたおっとりした子でした。

右の写真、下にいるのが獅子丸です。

きょうだいで、いっぱい遊びました

 

 

 

(4月8日)相生・愛宕神社の散策続けます。

 

駒犬さん、こんにちは

 

日本の狛犬です。

 

昭和28年とあります。

日本製の狛犬は、しっくり風景に馴染みます

 

拝殿で、2礼2拍1礼です

額はシンプルです。

拝殿も比較的新しいかな?

 

 

拝殿の後ろにも赤い鳥居が見えます。

 

右手には、愛宕神社の本殿です。

なんとなく耐火建築の雰囲気です。

 

赤い鳥居の向こうは、稲荷神社でした。

2礼2拍1礼です

 

隣には、白瀧神社です。

2礼2拍1礼です

 

稲荷神社・白瀧神社の後ろには、石造物が顔を出しています

僧侶の墓石も見えます。

神仏習合の時代に、ここを管理していた別当寺の記憶かな?

合掌

 

本殿の脇を通って戻ります。

 

さっきは気にならなかったけれど、拝殿前にはしだれ桜が満開です

 

 

振り返って拝殿です。

しだれ桜が入ると趣深い景色です

 

秀ノ山雷五郎ゆかりの土俵を、もう一度確認です。

これと同じ形の土俵が、「宮城の先人達・第16話」にも映ってました。

 

この地の出身の高木源之丞は、日光例幣使街道・八木宿で成功した油商人で、奉公人・辰五郎の後援者となって、彼を相撲界に送り出したのです。

辰五郎は後に、横綱・秀ノ山雷五郎となったのです。

慶応4年(1868)、愛宕神社に土俵が開かれ、年寄り秀ノ山雷五郎の名の下に、盛大に奉納相撲が行われたのです。

 

秀ノ山雷五郎ゆかりの土俵、いつまでも大切にして下さいね

 

 

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