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北斎 富士を描く  三越美術館

2008-02-25 23:24:34 | 展覧会から
無鉄砲に、いろいろな展覧会を批評してきたが、北斎の「富士を描く」がこれほど難しいとは思いもしなかった。北斎の浮世絵富嶽三十六景と、富嶽百景の富士だけを集めた展覧会である。富士山の絵だけを150点も見ているのはかなり見るのに体力を消耗することも事実である。しかし、見終わった後で、一種のの充足感を味わえることも事実だろう。そう言えば北斎の展示会を見るのは3回目だと思う。最初は05年の6月に同じ三越美術館で開かれた北斎と広重展、次が同じ05年10月に、東京国立博物館で開かれた北斎展。勿論同じものを展示しているわけではないから、何を主題にしているかが、所謂企画力の問題であろうとは思う。国立博物館の北斎展が、北斎のすべてを一堂に展示せしむるような、強烈な使命感に有ったとすれば、三越美術館で開かれた展覧会については、タイトルにも示されるように、一つは原安三郎による、浮世絵コレクションの中の広重と、北斎の富嶽三十六景であり、広重の東海道五十三次を中心にした風景浮世絵で有った。すべてを網羅した北斎展の分類を借りれば、今回の北斎展は、最晩年の画狂老人卍期と呼ばれる最晩年の画業の集積に過ぎないのかもしれない。しかし、その最晩年に出版した富嶽百景初編の前書きに書き示すように、「己六才より物の形状を写すの癖ありて半百の比より数々画図を顕すといへども七十年前画く所は実に取るに足るものなし七十三才にして稍禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり故に八十才にしては益々進み九十歳にして猶其奥意を極め一百歳にして正に神妙ならん欤百有十歳にしては一点一格にして生けるがごとくならん願わくば長寿の君子予が言の妄ならざるを見たまうべし     画狂老人卍筆
何とこれが75歳にして富嶽百景初編を刊行した時の、著者の序文である。人生わずか50年といわれていた当時、75歳にしてこの序文を書き、新たな百景を刊行し始めるとは・・・ この展示会では、富嶽百景をすべて展示しているところに其の価値があると思う。はっきり言って、自分の感じるところ、富嶽三十六景はベストセラーで有った故に沢山な版があるらしい。今回の展示品がどのような経路で集められたか知るところではないが、原安三郎のコレクションに比較して、集められた品々に、ばらつきがあり、初刷りの多かった原コレクションに比較すると、やや物足りなさを感じた。しかし富嶽百景の冊子は墨の濃淡のみで印刷されているので、其の心配は無い。
しかし、しかし 自分も四捨五入すれば70才になる年代にして思うが、この男の画に対する執念は如何だろう。平均年齢ですら80を超える時代に、生きて何が出来るだろう。馬齢を重ねることに意義はあるのだろうか。全く難しい時代ではある。
こんなことを言っていると、画狂老人の高笑いが聞こえてくるような気がするね。
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