逃避行2
豪奢ではないが、精一杯のもてなし料理といえる朝夕の食事と身の回りにいる人たちの立ち居振る舞いに居心地の良さを感じて、三日目の朝である。 あれ以来、姿を見せなかった加奈とフ武吉が現れた。 明らかに何かを掴んだようである 武吉が語るには、ただでさえ痩せた土地で収穫の少ないのに加えて、この年から赴任した当地の代官の命令で年貢の納率を一挙に二割も上げられたこと。 これに、困窮した村人を代して加奈の父、平吉は本島にいる多久島藩領主へ直訴を企 ていたこと。 村人の主だったものも同意して、代官の監視を潜り抜け、明日にも本島へ渡る手筈だったこと等であった。 おそらく、これを察知した代官一党が自らの統治実態を藩主に知られてしまうことを恐れて、やった仕業であろう事は、武吉に言われなても察知できることであった。 それにしても、口封じとは言え、一村丸ごと根絶やしにして焼き払うなど、尋常な沙 汰ではない様に思えた八之進に、声を潜めながらも、何かを決断したように武吉が語りだした。 「この藩は、八之進様もご存知でしょうが、ご禁令一党の乱のあった地でございます。それからもう、何年も経つのに未だに法に触れて、処罰される者が出てくることがございます。 役人達も禁令改めに名を借り、これを好都合と、意に沿わぬ者たちや、自らの私欲の為に、厳しく詮議、強要、強制するのです。 平吉の村でも、ついこの冬年貢を出せぬ家が出て、その家の嫁が水攻めの罰と称して寒晒しの氷川に身重の身を浸され、お腹の子と供に身罷った事があったそうです。 民の心が、ご禁令の法に傾くのも、ご時世があまりに惨たらしく、悲しいことも、その一理と言えそうにも存じます。 このような藩内の事情に照らせば、村中丸ごと焼き払うなど、尋常の沙汰では無い、とも言えますまい。 ご公儀も以前の騒ぎに懲りて、ご禁令に関わることは藩に一任のご様子なのです。 この事を機に周りの者達は声を潜め、役人達は益々身勝手なお振る舞いに及ぶかもしれません。 また、み供が、この様なたわ言を語り、お役人のお耳に届けば、み供も又、処罰の身と成りましょうが、此処は八之進様を信ずるしかございません。」 最後に、意を込めた物言いは、武吉の信頼感と不安を綯い混ぜた八之進へのウムを言わせぬものであった。 「して、この後の始末はどうなるかな。 この事はこのまま一段落するのか、加奈殿や平太の身に災いが及ぶことは無いのか。 武吉殿はどの様にお考えでござろう」 すっかり得心した様子の八之進の問いかけに武吉も、やっと警戒を解いた物言いで答えた。 「お役人の方々もこれ以上騒ぎを広げて、藩内の噂を上層部へ上げられてもお困りでしょう。詮議もここまでと存じますが、加奈や平太は、かの村に帰す訳には参りますまい。 み供の下に置き、共に暮らす事となりましょう。私共の村でも何時、同じような災いが降り掛かるかも知れず、人事とはおもえませぬでなぁ。 縁も浅い八之進様にまで案じて頂き、村の者も感謝しております。 ところで、八之進様は如何なされまするか・・ 焼き物修行をなされたいとかお聞きしましたが・・何処か宛が有まするのか・・」 「いや、無い、 と、言うより藩からの許可証もこの度の嵐で無くしてしもうて、正直如何したものか思案しているところです 土地も知り合いも不案内なれば、有田の里が如何様なところか、焼き物の技も何処で修行したら良いのか、未だ手掛かりも無いところです。」 もともと、出自を偽る隠密の身成れば、藩からの許可証やら紹介書やらがあるわけも無い八之進であったし、もともと修行のあて先から、自ら目利きしなければならないのである。 「さようでございますか・・・・ さし当って宛も有りませんが、ご迷惑で無かったら伝手を当ってみましょうか」 伝手が無いどころか、武吉には若い頃に交わった朋輩で、今は有田の有力窯の職人になっている者がいた。しかも、自らの紹介で同所の若者を一人修行に出してもいるのである。
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