うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

突破された民主主義のセーフテイネット

2015-09-25 21:57:18 | ブログ

ネットニュース ビデオニュース.COMの ニュースコメンタリーの中で語られていた安保法制に関する一連の動きを定義づけた言葉である。

安倍内閣の政治手法で民主主義に敵対する特徴的な事件として挙げられたのが以下の5項目である。

1      内閣(行政)権限の乱用・・・・・・内閣法制局長や日本銀行総裁の人事介入

2      マスコミへの介入と恫喝規制

3      時の内閣(権力)による憲法改正ではなく解釈変更による実質改憲

4 国会審議の形骸化・・・・・審議前に米国での法整備を確約、自衛隊内部での対応研究

5 採決の強行

 特に、1から3項までは、立憲主義という概念に意図的に挑戦し、その前提を破壊してしまった大きな意味を持つものであろう。

法治(立憲)主義とは、法による社会規範の確立のことである。社会を律し利害の対立を仲裁する基準は全て法なのである。この国は法治主義の国で有ったはずである。

この法治主義が貫徹されない身近な国の一つに中国が有る。官僚や政治家の汚職や国家財産の簒奪、事故や事件の隠ぺい等、海外ニュースに頻繁に登場する。中国では中国共産党が唯一の権力機構であり、法の上に共産党権力が君臨しているのである。

法より共産党権力の意向が優先されるのであって、権力の制御は権力機構内部の派閥均衡バイアスのみである。であるから法が有っても、時の権力の派閥人脈に繋がる事故や事件、汚職は簡単に隠ぺいされ、反対派のそれは告発できるのである。

法治主義でない社会はこのようなものである。歴史の教訓を重ねて我々は法治主義を得てきたのであり、公正さを実現できる社会システムとして無くてはならないものと感じている。しかし、前段の1項~3項の政治手法は、この法治主義の根底を覆すべき意図を持ったものと云える。

法には明文化されていない精神が含まれている。

内閣法制局という権力内部の一部局の役割は、時の権力(内閣)の独走や誤謬による暴走を抑止する目的で、法に照らしてそれを指摘補正するための権力自らの組織である。

であるから、人事権は内閣総理大臣に在っても、歴代の総理大臣は実質その人事権を行使してこなかったのである。この人事権不行使の精神が、法に明文化されていないが暗黙の法治主義での精神である。日銀総裁人事権不介入も同様な意味合いを持つ。

マスコミ、報道も、大きくは権力の独走や不正を抑止する役割を持つし、報道表現の自由は、その大きな武器となるのである。逆に権力がその武器を我が物にした結果を、我々は近い前時代の大本営発表や翼賛報道の例に痛恨の思いで接することができる。

3項目の解釈改憲も、始まりは麻生副総理大臣が発した“ナチスのやり方を真似ろ”から始まったのではないか。

手間暇のかかる憲法改正は、短命内閣を命運づけられた現在の政治状況では可能性が無いことも有ったであろう。また70年もの平和の時代を築いてきた現憲法への国民大衆の馴致を解き放ち、自らの改憲好戦方向へ向き替えさせるのは、至難と判断したこともあろう。

法の文言の枝葉末節を掻い潜り、揚げ足を取り、文言をそのままに解釈だけを変えるというウルトラⒸで且つ権力(内閣)内部だけで国の命運を決定するという、このことが権力の暴走と言わずに何というのだろう。

法の精神には、我が国の憲法には、権力の暴走を許さないという精神が前提されているのである。この精神をいとも簡単に、意図的に乗り越えてしまった今回の政治状況は正に、法治主義のセーフティネットを壊してしまったといえるだろう。

結果は、際限のない権力の暴走が加速されていくのであろうか!

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