LFAというNPO法人事業へ寄付と作業ボランティアに、先月から参加している。
若い人たちが始めた事業で、主に経済的家庭環境によって教育機会に偏差が生じている現実があり、この不平等さは教育という基本的人権において許されるべきではないことから、これの解消と、問題提起を実践する事業だと認識している。
参加の契機は、社会福祉法人主催の高齢者生活ボランティアへの登録活動している中で後世代での困難が具体化している現実を知ったからである。
昨年末、同年の親友が逝った。 私たちは所謂、団塊世代である。
この団塊世代の20才代 1965年~1975年は、全共闘に代表される政治の季節であった。
東京オリンピック以降の高度成長により、それまで一様に貧しかった社会が一挙に階層分化が進み、格差が生まれ競争が当たり前になった。
その結果、生じた価値観の大きな変化が、若者の反抗という形で社会現象化していったのだと思う。
このような時代状況の中で私達が意識したのは、格差や差別や貧困は社会の矛盾が引き起こしたもので、社会全体として制度的にその矛盾を解消是正することなしには根本的な解決は得られないものであるということだった。
だから、それの現実的解消とは社会的制度的改革なんだということだったし、それに向けての政治運動こそが優先されると認識していた。
このような認識の下でのボランティアと云う方策は、金持ちの自己満足に依拠する社会矛盾の弥縫策に過ぎない唾棄すべきものとしていた。
基本的にこの社会的矛盾の構造は同じだと思うし、それの根本的解消や是正は社会全体として政治が担うべきものであることに変わりはないと今も思う。
しかしながら同じ思いを希求し語った友も逝ってしまったし、社会参画してから具体的に何事も成し得なかった50年を経た今、残された時間はあまりに少ないということに行き当たったのである。
そして、何より具体的現実として困難に直面している子供達に手を差し伸べることこそ、今の自分にできる事、否それしか出来ないと認識すべきだと思うからである。
若い人たちが立ち上がり自主的に動き出した事への賛同と微力を寄せることで、希望の光を見られる事が去り行く老兵の幸である。
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