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楽しい思い出♪

2019年12月23日 | JULIE

タローさんのブログが更新されました。苦い思い出も有れば、楽しい思い出♪も有る~♪

ジュリーの画像が ⇒楽しい思い出♪



J友さんが、新聞記事を送って下さいました。有難うございます。

東奥日報(2019.12月22日)「ヒット曲の料理人」船山 基紀さん

 

 

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神戸文化ホールの想い出(ジュリー・メモリーズ)

2019年12月23日 | JULIE

今日のジュリーメモリーズは、私にとって忘れられない、ビターな苦い想い出。今までにもブログに書いたことがあるけど、どこにしまったのか忘れていた当時の日記が出てきたので、今日はもっと詳しく書いてみる。


土曜日のウォーキングの起点である、地下鉄の大倉山駅を出るとすぐに、神戸文化ホールがある。(約2000席)1973年に建てられたそうで、三宮の再開発にともない移転の噂があるけど、大倉山のシンボルとして、ずっとここにあり続けて欲しいと思う。

最近は神戸での公演は三宮駅前の神戸国際会館ばかりで、もう長く ここでライブは行っていない。80年代頃までは、この神戸文化ホールでジュリーコンサートも開催されていた。

ここでは今でも忘れられない、苦い思い出が残っている。1987年、ジュリーは1月に離婚を発表していた。

日記によると、1987年の1月7日(水)ヒットスタジオに出演したジュリーは、長く伸ばしていた髪の毛を短く切り、真っ赤なスーツで「やさしく愛して」を歌った。その日の日記には『新年早々、ジュリーの新しい決意というかチャレンジ精神が感じられました。「がんばるっ!!」という感じよ。』(※歌を聴く前の感想)そう書いた翌日、夕刊の記事でジュリーの離婚を知った。



離婚から約7カ月後。1987年8月16日(日)夏のツアーが神戸文化ホールであった。

ところが、入り口付近にいつものような人の波も、熱気も感じられない。いつもと違って静かやな?と思った、入り口を入る時のあの白い空気感は、今でも忘れない。

会場の中に入ったら、開演時間が近いのにお客さんはパラパラ・・としか座っていなかった💦💦 私は真ん中あたりの席、開演直前になっても客席は埋まらず、2階席はわからないけど、1階席は半分も入っていただろうか?こんなに観客が少ない会場は、1974年から大阪・神戸・姫路のコンサートに行っている私には初めての経験だった。

開演して登場したジュリーが、空席だらけで会場にバラバラと人が散らばっているのをみかねたのか『前に詰めて下さい』とそう言った。その言葉に従って、前の方の空いた席に移動しましたがな。あの時のジュリーの困惑したような表情をいまだに忘れません。入りの悪さは、やっぱり離婚後だったせいかな~(-_-;) 

と思っていたけど、日記を読み返したら それだけが原因でもない?


その日の日記、1987年8月16日(日)

『今日はジュリーの日です。文化ホールの前に行ったら、何だか人がパラパラとしかいないのよね。案の定、半分くらいしか客席が埋まっていない。うーむ・・ 寂しいね。昨日の大阪フェスも、客入りが半分くらいで、寂しかったんだって。これは7月に2回もやったのに(大阪フェス)、また関西で2回(大阪・神戸)もしたせいよ!そうよ。

ジュリーも悲しかったと思います。「暑いよー、とか、しんどいー」とか言っていた。でも私達、今までより一番熱心に拍手しました。「ある青春」を聴いていたらね、身体がゾワ~ッと寒気みたいなものがして、ウワァ~っと気持ちが高揚してボーっとするなあ・・と思ったら、涙がポロポロ出て とまらないの。本当に感激しました。 ※ある青春⇒YOUTUBE

青春の終わりかあ・・・私の青春はジュリーといつもいっしょよ。確かに雑音も多いけど、悲しい事いっぱいあったけど、それは歌とは別の事でしょ。ジュリーの歌は素敵。めげずに歌って欲しい』 


 

私は寛容な人間です。それはともかく、日記を読み返して 客入りが半分だったのは、離婚のせいだけとはいえず、直近で関西(神戸・大阪)でコンサートが1か月の間に続け様にあったせいなんじゃ?きっとそうだ、と今は思える。いつの間にか、その記憶は消えて、離婚だけが原因とずっと思い込んでいたのだ。(リピ-ターの熱気が冷めていたのは認めます)

その日、一番前の席で見たというJ友さんは、後ろを振り向いていないから、ガラガラは記憶に無いと言われる。

先日『私も行っていたので、その日はよく覚えています。ジュリーが前に詰めて下さい、と言いましたね。』と、私と同じ記憶をお持ちのJ友さんがいた。二人で「あの日は情けなかったね」 忘れたくても忘れられない記憶です。

もっとも、70年代の人気絶頂時でも、地方ではお客さんの入っていない会場も有りましたよ。と言われる方がいて、大阪フェスのような大きな満員の会場で見るのが普通だった私には、へぇ~っという初めて聴く証言でした。


※追記 マサトシさんより8月16日のライブ当日について、コメントをいただきました。

不入りの原因は、お盆にも間違いなくありですね。(-_-;)

僕も 文化ホールいきました。
ジュリーも お盆だから しかたないね、と言ってたような
でも ステージは めっちゃ良かったです
忘れられない ライブです。

「ある青春」で私は泣いたほどだから、ジュリーはライブを頑張ってくれたんだね。




私の撮った写真には写っていないけど、文化ホールには壁面に市民にはお馴染みの 紫陽花の壁画があって、智恵子抄の高村智恵子の絵が元になっているそうです。

 

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雪御所町

2019年12月23日 | 

神戸市の雪御所町という、とても美しい地名の辺りを歴史 ウオーキング。

地名の由来は、平清盛が京都から遷都し、福原京という都を造ったから。

わずか半年しか存在しなかった福原京。

歴史ロマンに浸りながら、山際に近い坂道を下っていたら、

洒落たお店があって、窓辺に黒い猫

可愛い丸顔のニャンコが、微動だにせず こちらを見つめていました。

看板ニャンコのいるお店は何のお店?

靴屋?お菓子屋?よくわからなかった。=^_^=

地下鉄大倉山から平野町へ上がり、それから湊川へと下り、

14000歩も歩いていました。

明日は筋肉痛になりそう。

 



全日本フィギアスケートが19日から始まって、毎日TVの前に座り込んで前のめり、他には何もせず・・(^^ゞ 高橋大ちゃん、お疲れ様でした。シングルは引退でも、アイスダンスで新しい挑戦が始まります。宇野選手の復活に、疲れが見えた25歳の羽生選手、ジュニア選手の成長ぶりには、日本のスケート界にまた新しい時代が来ると思いました。

女子は紀平さんが優勝、坂本さんや宮原さんの不調がとても残念でした。全日本の舞台にすら立てなかった、三原さんが来季は戻ってこれますように。

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