猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

間もなく校舎もなくなっちまう旧前橋二中、その校歌を作詞した草野心平は蛙語が分かる詩人でした…

2021-05-22 07:24:53 | あんじゃあない毎日

広瀬川の川岸のアジサイの花が咲き始めました。
昨日は朝から雨、傘をさして歩いてトレーニング指導を受けに行きました。

 改修工事が始まった広瀬川の遊歩道、文学館前の植え込みも低木が引き抜かれ、石やコンクリートの構造物が解体撤去されています。


「ねえ、足元が浮き上がってるみたいだけど大丈夫?」
「……………… …………」
「みんなヘルメット被っているからあんたの分を借りてきてやろうか?」
「……………… ………………」
「どんな風に変わるのかな、聞いてるだろう?」
「………… …………………………」

 Droitの広瀬川シルクスタジオは対岸のこのビルの1階にあります。昨日はいつもの鈴木トレーナーでなく、南部トレーナーでした。南部さんの指導受けるの2度目かな、すごく緊張しちゃいました。緊張した後の帰り道は、雨があがっていました。


帰り道、間もなく解体工事が始まる旧二中跡の脇を通りました。写真は教室棟北側にある正面玄関です。

  正面玄関の向かって右に藪があります。元は藪ではなく、修景用の植え込みと小さな池がありました。今もあるのですが手入れしていないのでそう見えないだけです。かき分けて覗くと、黒い碑があります。校歌の歌碑です。今日は、この校歌の話をします。


歌碑には「作詞 草野心平」とありますが、作曲者の名前がありません。作曲は藤井凡大という音楽家、九州大学で造船学の勉強しながら作曲にも励んでいたという不思議な人です。箏や三弦など邦楽楽器を使った楽曲を数多く作ったユニークな音楽家です。作詞の草野心平も詩人として型破りの人でしたから、ものすごいコンビによる校歌だと言えるのです。


これが、校歌の楽譜原本です。藤井凡大は三部合唱曲として作曲しています。右上の書き込みを読むと、「小さい楽譜で書かれている声部をはぶいて二部合唱として歌ってもよい」とあります。すごい立派な楽曲です。
この原本は、2010年11月に当時の二中で開催された「二中回顧展」で展示されていたものです。


こちらも回顧展で拝見した草野心平が校長に当てた手紙です。草野心平が学校を訪ねる日程を知らせている手紙ですが、面白いことが二つ書かれています。ひとつは、前橋駅への到着時刻を示したうえで、「学校を存じ上げてゐませんので、どなたか新前橋駅にお迎へ願へれば深甚と存じます」と迎えを頼んでいます。草野心平は二中を全く知らなかったみたい、この訪問は作詞前の打ち合わせのようです。
そして「この度内金として二万円いただければうれしいのですが」と書いています。作詞料の前借を頼んでいるのです。よほど金に困っていたのだと思います。

 <キキです。ちょいと解説しますね。作詞者の詩人・草野心平(1903~1988年)は福島県いわき市の生まれで、1928年(昭和3年)から3年間前橋で生活してたそうです。友人の前橋在住の詩人横地正次郎の奨めで、神明町(現平和町)の長屋に住みつき、その後紅雲町に転居したそうです。生活費は、上毛新聞社で校正の仕事をして稼いでたんだって。
でもね、不思議じゃないですか、二中が開設されたのは1947年(昭和22年)です。草野心平はもう前橋にいなかったですし、二中とは縁もゆかりもなかったのですから…>

 <こういう話があるのです。校歌を作ることになったとき、当時の校長先生が前橋出身の詩人伊藤信吉に作詞を依頼したところ、伊藤信吉は自分の代わりに草野心平を推薦したという話が伝えられているそうです。この話とは別に、「学校関係者が煥乎堂の高橋元吉さんに作詞を打診したら、草野心平にやらせたほうが良い」と言ったとか。伊藤信吉か高橋元吉かは別として、経済的に困窮していた呑兵衛の草野心平を助けてやろうというどなたかの計らいがあったことは想像に難くないと思いますよ>


これも二中回顧展で見た資料です。草野心平は、すごくたくさんの学校の校歌を作詞していて、二中の校歌にも使われている「真善美」「朋がら」「大いなる未来」などの言葉は他所の校歌でもよく使われているというのです。でもね、これをもって二中の校歌を評価するのはよくないです。

 『こびらっふの独白』という絵本があります。草野心平の同名の詩を斎藤孝が編集して、いちかわなつこが絵を描いています。ものすごく素敵な絵本、声に出して読んであげることをお勧めします。草野心平に『蛙のうた』という詩があります。私にとって、今日は少し悲しい話が伝わってきました。そんな日に思いだすです。
蛙の言葉が分かる詩人が作った校歌! いいな、素敵だな、いつもそう思って、間もなく姿を消す歌碑を私は見てきました。今日もそっと覗いてきたんです。
ついでに、もう誰も走っていくことのない渡り廊下をゆっくり歩いてみました。

 

 
朝から雨、わが家の板塀の隙間から伸び出したアジサイが咲きました。弱い雨に濡れた真っ白なアジサイです。金曜日の朝は買い出しから、JAファーマーズ朝日町店の直売所にモロヘイヤが出てきました。夏の野菜です。小カブも手に入りました。

 Droitから戻ってしばらくは雨がやんでいました。ユキ子さんは、祖母の初代吉駒の墓参り、昨日が祥月命日でした。足元が悪いですから、義父母の墓参はお天気が良くなってからにするって言って出かけて行きました。

  
私は近所を少し散歩、ヒメシャラの花に出会いました。美しい花です。若い猫が外に出てきていました。でも様子をうかがっているだけみたいな感じです。上毛電鉄の線路端ではホタルブクロが咲いていました。すっかり夏です。


ユキ子さんの両親へ届けた夕食のおかずです。養田鮮魚店で買い込んだ食材を使っています。煮穴子のかば焼き、湯引きしたシロイカの刺身、里芋、新タマネギ、厚揚げとシロイカのゲソの煮物です。この器は、伊勢崎にあった『大津屋』という料亭で使われていた弁当箱です。

   
わが家も同じメニューです。野菜が少し違います。キュウリとスナップエンドウのポン酢和え、モロヘイヤとトマト、二品になりました。それと、十六穀米の飯、小松菜と昆布の汁でした。アナゴ、おいしく作れました。

そうそう、二中の校歌はこちらで聴くことができます。二中回顧展の記事はこちらです

 

5月21日の体温  7:40 36.3℃  14:00 36.7℃  22:15 36.9℃
 5月22日  7:15 体温 36.6℃  血圧 最高105 最低68  

 

 若柳吉駒でございます。
第77回美登利会の開催に当たり、多くの皆さまから温かなご支援とお励ましを賜り、また、なにかと心配の多い中をたくさんのお客様にお運びをいただき、ただただ嬉しく、心より感謝を申し上げます。
次回、第78回美登利会は、来春の4月10日開催の予定で会場を手配いたしました。会員一同、これまで以上に精進を重ねてまいりますので、なに程よろしくお願い申し上げます。

第77回美登利会と三代目吉駒リサイタルの舞台はこちらでご覧になれます
第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルの舞台はこちらでご覧いただけます

お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧ください


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