あこがれの天津桃です。昨日届いたんです、高崎市下大島町のAさんの果樹園から。
私が初めて天津桃に出会ったのは、Aさんのお父さんが高崎市八幡町でやっていた桃園ででした。桃太郎の絵本に出てくる桃が目の前にあるんで驚いたんです。30歳を少し過ぎたころですからもう40年も前のことです。
「色は赤くてきれいなんだけど、酢っぺぇんだいね、ガリガリしてるし…」
「どうやって食べるんですか?」
「好きな人は生のまま食べるけどさ、たいていはジャムにすらいね…」
ということだったんです。
昨日の朝食後のことなんです。クロネコヤマトの配達員さんが、届けてくれたんです。箱の中には天津が9個と白桃が3個入っていました。見比べてください、手前が天津、向こう側が白桃です。
慌てて、JAファーマーズへグラニュー糖と赤ワインを買いに走りました。
戻って来たら、玄関先にビニール袋に詰めた枝豆が置かれていました。どなたかが自分ちの菜園かなんかで採れたのを届けてくれたみたいです。誰だろう…
稽古場でお弟子さんの指導をしていた糸駒も気づかなかったみたいです。
でも、ありがとさん、さっそくゆでて、糸駒が昼につまめるようにしておきました。
それから、糸駒に頼まれたご用をすませに、着替えをして出かけたんです。
通りかかった路地で素敵な香りに出会いました。キンカンの花です。夏の花です。
江戸時代に難破した中国商船を救助した遠州の漁師たちがお礼に舟に積まれてたキンカンの砂糖漬けをもらったんだそうです。その種から芽を出したキンカンが日本のキンカンの始まりだっていう言い伝えがあるんですよね。ほんとうかどうかは知りません。でも、素敵な話です。
空には入道雲があちこちで湧いていました。暑かったです。
用をすませて家に戻ると、天津桃を半分にカットして種を抜き、皮を剥き、ワインシロップで煮ました。天津桃のコンポートづくりです。
桃太郎の絵本の桃はたいてい先の尖った天津桃風の桃が描かれていますよね。それで、桃太郎伝説が誕生した江戸時代の初期にはもう天津桃が日本に伝えられていたんだって思っていたんです。
ところが、土屋文明記念文学館で「桃太郎展」をやった時に学芸課長の石山さんに教えられたんです。「桃太郎伝説はいわゆる『回春説話』です。桃から桃太郎が出てくるのではなく、『仙果』と呼ばれ不老長寿の薬と考えられていたモモの実をじいさんばあさんが食べたら、二人がにわかに若返って元気になり、子宝に恵まれたという話がもとです。桃太郎は桃から生まれたのでなく、ばあさんがちゃんと生んだんです」。
写真は、野村たかあきさんの絵本『やんちゃ桃太郎』(でくの房刊)です。この桃太郎のお話しは、回春伝説からは遠く離れた楽しい物語になっています。
「やい、鬼! 日本の桃の歴史を知っているか?」
「知らねえな…」
「江戸時代の桃はな、花を愛でる花モモが主流だったんさ。桃の節句を飾る花モモのほとんどが江戸時代に品種改良されたらしいぜ」
「じゃあ、実は喰わなかったのか?」
「小さくてガリガリで、甘くないからさ、生薬としては使われてたらしいけど、果物としてはいまいちだったらしいぜ」
「じゃあ、今の桃はいつ頃からなんだい?」
「桃は中国が原産でシルクロード伝いに西洋に拡がってたんさ。西洋に行った桃は品種改良され、果肉が黄色い黄桃になったていうんさね」
野村たかあき作の鬼と桃太郎です。
「日本にはさ、明治になって水蜜桃が伝えられ、岡山のなんとかいう人が品種改良して、今のおいしい白桃が誕生したのさ」
「じゃあ、おまえの絵本の天津桃はなんなんだい?」
「天津桃も水蜜桃と同じころに中国から輸入されたんだけど、白桃に比べて食味も甘さも劣っていたんで流行らなかったのさね。でも、格好が良いので、桃太郎が生まれた桃ってことにされたらしいぜ」
というようなことのようです。ワインシロップで煮た天津桃は型崩れさせないために一つずつカップに詰めて冷蔵庫で冷やします。きれいに煮えました。
モモは古事記や日本書紀にも登場しています。弥生時代の遺跡からも種子が出ているみたいです。歴史ある木の実なんです。でも、いま私たちが食べている桃の歴史はまだ100年ちょっとみたいです。
夕方のまちです。西の方に黒い雲が湧き出してましたけど、昨夜は夕立は来ませんでした。
空き地のエノコログサがきれいです。キキが大好きだったエノコログサです。
昨日の夕食です。いただいた枝豆でポタージュを作りました。冷たくして頂きました。
サラダはにわか菜園のキュウリとトマトが主役なのですが、エダマメにも付き合ってもらいました。ソースはオリーブオイルとレモン果汁です。
それと、ユキ子さんが株主プレゼントで貰ったみなかみ町の「育風堂」のソーセージです。ズッキーニとトマトをソテーして添えました。
すごいですね、端株とはいえ、ユキ子さんは群馬銀行の株主なんです。私は、何処の株主でもありません。ただの爺さんです。当然です。
そして、冷たく冷やした天津桃のコンポートです。これで四分の一個、半分にして煮たものをさらに半分にカットしていただきました。濃厚なので、これで大満足です。
Aさん、今年もありがとうございます。また遊びに行きます。よろしく!
直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。
4月8日の第75回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす。
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください。
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今年は異常だと感じています。50年に一度あるかないかの大災害が、23府県という広域で一度に起きるなどということは想像したこともありません。現役時代の危機管理は、いつも局地的に限定された事案でした。
この先どうなるのだろうと案じています。
人は自然環境に逆らうことを覚えてしまった善くない動物なんだなって感じています。逆らうことなく生きている草ぐさや猫たちを見ているとそうおもいます。
今年は異常だと感じています。50年に一度あるかないかの大災害が、23府県という広域で一度に起きるなどということは想像したこともありません。現役時代の危機管理は、いつも局地的に限定された事案でした。
この先どうなるのだろうと案じています。
人は自然環境に逆らうことを覚えてしまった善くない動物なんだなって感じています。逆らうことなく生きている草ぐさや猫たちを見ているとそうおもいます。