猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

「前橋サティーの閉店が教えてくれたこと」 私たちが失ったのは地場産業…  

2019-04-25 08:10:07 | あんじゃあない毎日

2010年のキキです。昨日の続き、イトーヨーカ堂へ移転問題の記事を再掲します。今日のは、地元の事情の本質に迫ります。

 

『イトーヨーカドーが閉店する前橋を考える(その5) 前橋サティーの閉店』(2010年4月16日)

昨日、「前橋サティーも閉店」(朝日新聞)が報じられましたた。いつ閉めるかだけが話題でしたし、テナントも歯が抜けたみたいになっていましたから、おどろきはありません。 

Dscf9825 これが、10月17日閉店を決めたサティー前橋店です。このお店の沿革をちゃんとしておきましょう。

 

Photo 写真は千代田町の銀座通りのニコニコパーキングです。ここに前橋ニチイがありました。このニチイが1993年に閉店、新たに国領町に前橋サティーとして開店したのです。

前橋サティーの建物は「グンゼ開発」が所有するショッピングセンターの「リリカ」です。
ここには、かつてグンゼ(郡是)製糸の前橋工場がありました。
製糸工場を止めた後、グンゼは不動産管理会社である「グンゼ開発」を設立し、ショッピングセンターを建設して、中心市街地にあったニチイを誘致し、前橋サティーが生まれました。

ニチイはマイカルとなり、そのマイカルは、2001年に経営破たんし、今はイオンの傘下で経営再建途上です。
ですから、前橋サティーはマイカルの経営破たん以来、ずっと閉店のうわさが絶えませんでした。

これより前に、これとそっくりな事業が前橋では他にも行われていました。

Dscf1213 前橋市六供町、今、穴吹工務店によるマンション建設が半分で頓挫しているところです。ここには、かつて、前橋シルクプラザ六供店がありました。
前橋シルクプラザは、上毛撚糸株式会社の工場跡、同社が製糸事業から撤退したあと、上毛シルクプラザと社名を変えショッピングセンターを建設して大手スーパー「ダイエー」を誘致しました。

今の前橋サティーの筋向いにも、前橋シルクプラザ国領店が開設されました。
六供店は、1979年にオープンし、1999年にダイエーが撤退しました。
ダイエーが赤字に陥ったのが1998年、2001年に創業者中内功がすべての役職を辞し、2004年から産業再生機構の支援を得て再建がはじまったのです。
日本一のスーパーだったダイエーは2兆円を超える不良債権を抱えてしまったんです。
そして、上毛シルクプラザは消えました。

上毛シルクプラザが始めた業態を、曽我製粉が前橋駅前で真似ました。さらに、グンゼが追随しました。

Dscf9562 曽我製粉が前橋駅前の工場跡にショッピングセンタービルを作ってイトーヨーカドーを誘致したのは1987年、シルクプラザに遅れること8年でした。

イトーヨーカドーは、子会社であったセブンイレブンからの配当益で安定した決算をやってきました。
でも、2003年にイオンに業界首位の座を渡すと、2005年にセブン&アイ・ホールディングスという持ち株会社による経営に移行しました。
この結果、セブンイレブンからの配当益が得られなくなって、収益を悪化させ、店舗の整理が始まったのです。

上毛撚糸も、郡是製糸も、曽我製粉も、地元の農産物(繭と小麦)を資源とした地場産業です。
その地場産業が成り立たなくなったとき、ものづくりを止め、企業は資産運用で生き延びようとしました。
そして、彼らが頼ったのは、みんな大手の流通資本でした。
そして、今、大手の流通資本の再編の中で、これらの店舗はみんな切り捨てられているのです。

それだけのことなんです。

   

私たちが、ほんとうに失ったのは、地場産業なのです。
あとは、おまけみたいなものです。

今、商業、流通業は一番業態の変化が激しい産業です。
ですから、それに頼った不動産事業は、そもそも長期的な事業になりえないのです。
単に大手流通資本に依存してきた事業の結末なんです。
不動産事業の失敗は、その不動産の所有企業の責任であって、私たち消費者の責任ではありません。

曽我製粉に支援の手を差し伸べようとしている前橋市と前橋商工会議所は、グンゼ開発にも同様の支援をするのでしょうか。
どっちも無駄な仕事になると思います。
大事な仕事は、別なところにあります。

ダイエーも、イトーヨーカドーも、サティーも、消し去られる運命にあったのです。   

Dscf1214_2 上毛シルクプラザのあった六供町でであった猫に、「どう思う?」ってたずねてみました。

 

 

Dscf1215 <あたしには関係ないよ>、スタスタ行ってしまいました。猫にも関係のない事件なのです。

   

 

(ここから先は、2010年7月15日の記事で、キキがこの問題について話した「まとめ」です)

  

Dscf4222ほら、このシリーズの第1回、3月21日「百貨店の消えた街」でヒゲクマが朝日新聞の記事を引用して書いているでしょ。大事なことは大きなお店と中小の商店が手を携えてお互いに助けあって行くことだと思うのよ。

そして、市の行政は、それをしっかり支えてあげることよね。例えばさ、熱血店舗開店支援事業は悪くはないけど、あまりに小さいよね、発想が。
それにね、ばらばら、出店したお店は孤立して、閉めちゃったりしてるじゃない…
だから、もっと思い切りの良い、大胆なコンセプトの仕事のほうがいいと思うの。

例えばさ、中心商業地の空き店舗を市の公社かなんかで借りちゃって、損してもいいからタダでスズランに貸して売り場にしてもらっちゃうことなんかできないかな。
そうして、うんと意欲があって柔らかい頭している若い人たちに、洒落たテナントをスズランが任せるの、企画はスズランの責任でやってもらうのね…

Dscf4110 こないだおしゃれな浅漬鉢買ったハンプティー・ダンプティーだって、最初はスズラン脇のアクセサリーショップだったんだよね。

まちは、商業の揺りかご、昔からね、その揺りかごの中で新しい事業が生まれて育ってきたじゃない。
フレッセイだって、ヤマダ電機だって、みんな前橋のまちを揺りかごにして生まれた会社だよね。

だから、もういちど、スズラン百貨店中心に新しい揺りかごが作れないかなって思うんだ。
新しいお店を育てる揺りかごスズラン百貨店、素敵なイメージだよね。
新しいものが生み出せないまちって、ダメだと思うよ。守ってゆくのでは元気でないよ。

それから、ヒゲクマが山形市の「水の町屋 七日町御殿堰」を6月14日に紹介してたでしょ、読んだ?

Ccf20100614_00000 この商業施設は、もともとここでお店をしていた老舗が共同出資して作った新会社が事業主体となった(8月30日まで「老舗と山形市が共同出資して作った第三セクターが事業主体となった」と記述しておりましたが、これは誤りです。お詫びして訂正いたします)小規模な都市再開発事業なんですよ。

今ね、全国で都市で、こういう地元の人たちと市が共同してやる事業が始まっているの。

大きな再開発事業がうまく行かないので、サイズを小さくして、小回りの利く、そして参加した商店の皆さんが自ら事業者としての思いっきりやれるようにしているの。
前橋だって、こういうお仕事できると思うんだな。
銀行やなんかも、こういうお仕事応援して、地域社会との新しい結びつきつくって欲しいな…  

Dscf4225キキは思うんだ。曽我製粉だってイトーヨーカドーだってポリシーのある企業のはずなんだよね。だから、自分の事業展開のミステイクを地域社会や行政の責任に転嫁してしまうのは大きな間違いだと思うよ。

それと一緒にね、まち中 のことも、市で何とかしてくれないかって、仏頂面並べて待ってたってダメだよね。
さあ、元気出して、イトーヨーカドー前橋店が閉店したぐらいじゃこのまちゃ死なないから…

元気出してね、まちのみなさん…

 

(おヒゲのまとめ)

まちの元気の源を「大手流通業者」に求めてきたことが間違いであったってことに気づかなくてはいけないと思っているのです。
「大きいことは良いことだ…」って時代は終わりますよ。
「小さくたって良いんだよ…」って時代の始まりの歌が、あちこちのまちで聞こえ始めているように感じています。
「活性化」とか、「再生」という言葉が使われるとき、中身の無さなさにむなしさを感じないようにしたいものです。

 

 直派若柳流の三代目若柳吉駒でございます。 4月7日に、二代目吉駒の三回忌追善と三代目吉駒襲名披露を兼ねて第76回美登利会を開催いたしましたところ、たくさんの皆さまにお運びいただき、大変ありがたく、心より御礼申し上げます。 また、三代目襲名リサイタルに特別出演していただいた三代目花柳寿楽様、葛西聖司様をはじめ、美登利会の開催に一方ならぬご支援をいただいた皆さま方に伏して御礼申し上げす。 来春の美登利会は、4月12日開催予定で準備を進めます。これからも、初代と二代目の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命精進してまいりますので、末永くご贔屓いただきますよう伏してお願い申し上げます。

第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルの舞台の様子はコチラでご覧になれます お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿