猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

27日は二代目吉駒の祥月命日、嶺霊園の墓所まで標高差280mをヒルクライムして墓参しました。

2022-09-28 07:10:30 | あんじゃあない毎日

二代目吉駒の舞姿、清元「雁金」です。80歳代の後半の舞台だったと思います。


こちらは人間国宝の二世花柳壽楽師と踊った長唄「綱館」の舞台です。渡辺綱の伯母の茨木に化けて奪われた腕を取り返しに現れた鬼になっています。忘れられない舞台です。

 

 <昨日はさ、吉駒伯母さんの祥月命日でした。おヒゲは朝から伯母さんの舞台写真を見てました。ユキ子さんはお父さんが病院で検査を受けるのに付き添っていったので、代わりに、おヒゲが嶺霊園のお墓にお参りに行ったんです。ひとりで、自転車こいで…>

 

 
前日だとヒルクライムに紛れて登ったのかもしれませんが、昨日は全くの単独行でした。桃木川を渡り、赤城白川を過ぎて、赤城の山麓台地を目指します。曇り空、山の姿は全く見えませんでした。

 上細井町の市立前橋高校の北側の坂道、『鎌倉坂』です。ここまでが昔の利根河原、ここから赤城山の山麓台地となります。昔々、この近くの善勝寺を訪れた旅の僧が立ち去った後、もしや北条時頼ではと思った住職が小僧に後を追わせたのです。小僧はこの坂下で旅の僧に追いつき住職の意を伝えると、「もう鎌倉へ着いた。帰るには及ばない」と、時頼は舟で利根川を渡って行ったそうです。以来この坂を鎌倉坂と呼ぶようになったという伝説があります。渡し船の船着き場があったというのは事実かもしれません。近くに「鳶石」と呼ばれる船つなぎ石も遺されています。

 鎌倉坂をのぼると大正用水に出ます。大正時代に計画決定したので大正用水という名ですが、出来上がったのは1947年(昭和22年)です。前橋市田口町で、広瀬・桃木両用水から分水して、赤城南面を東へ、伊勢崎市赤掘町まで全長24kmの農業用水です。

 
国道17号上武道路を渡ると小さな古墳に出会います。オブ塚古墳という小型の前方後円墳です。このあたりの山麓台地には、流れ下る小河川の傍にこういう小型の古墳がいくつも見られます。更にのぼって、嶺街へ入って県道渋川大胡線の信号の手前の消防団の車庫のところで一休みさせてもらって給水です。

 


県道渋川大胡線を過ぎてしばらくのぼると、山麓台地の山里に来たなって雰囲気になります。平らに見えますけど、緩やかな登りです。道端のちょいと高いとこへ上がってとった写真です。

 
道端に小さな地蔵さんを見っけ、ちょいと止まって振り返ると、結構な坂道を登ってきているんです。私の家の標高はほぼ100m、嶺霊園の伯母さんの墓所は380mほど、280m登らないとたどり着けないのです。

 
わかくさ幼稚園が見えてくるともう間もなく嶺公園です。嶺公園の入り口です。でも、伯母さんが眠る高岑院の墓地は公園の一番上の方にありますので、まだまだです。

 

 
公園の入り口まで来てちょいと寄り道、嶺公園の南側に隣接してそば畑が広がっています。花を見に寄りました。まだ咲き始め、これからってところでした。そば畑の向こうの柿の木の実はもう色づいていました。

 
そしてこれが登り坂のおしまいです。正面に見えるのが高岑院の墓地です。お花や線香等の墓参用品はザックに入れて背負って登ってきました。片道11㎞、標高差280mのヒルクライムでした。

 
水を替えて、花を手向けて、線香炊いてお参りしてきました。おばさんが逝って5年が過ぎました。近くの他所んちの墓所の卒塔婆にトンボがとまっていました。ユキ子さんは、父さんの病院での検査の付添をすませてからお参りしたようです。

 

 帰りは下り、スピードが出過ぎないように気を付けて下ってきました。家に着いて着替えにあがると、COCOは私のベットで気持ちよさそうに昼寝をしていました。顔を洗って着替えをすませて、「今帰ったよ!」って声をかけたんです。

 慌てて起きた寝ぼけ顔、<国葬に行ってたの?>だってさ。
「おまえ、前(7月20日)に話したでしょ、今の日本には『国葬』というのはないのです。天皇陛下の葬儀でも皇室典範第25条の規程の『大喪の礼』という行事です。天皇陛下のご葬儀でさえ法律の規定に基づいて行われるのに、元総理の葬儀を法律に規定のない『国葬』でやるってのは法治国家の原則に反しています。忘れちゃいましたか。呼ばれたって行くはずないでしょう!」
<あ~ね>。


「いんちき国葬へ行って来たんじゃないの、今日は二代目吉駒の祥月命日だから墓参りしてきたんです。この写真はね、1937年(昭和12年)に小柳町の柳座で開催された第1回の美登利会の舞台写真ですよ。二代目吉駒は第1回のときから舞台をつとめてたんだよ。写真で後見をしているのはユキ子さんのお祖母ちゃん、初代吉駒ですよ」


昔の写真を見せたら、COCOも真顔になりました。

夕食は少々くたぶれたので天川原町の南苑へ出かけました。写真はカメラを持って行かなかったのでありません。酢豚、五目豆腐、焼き餃子をいただきました。

 

 三代目若柳吉駒でございます。1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が始め、伯母の二代目吉駒が受け継いでまいりました直派若柳流美登利会を承継しております。毎年春に開催しております舞踊会は、戦時中の開催禁止と一昨年のコロナ禍による延期を除いて、今年で78回を重ねることができました。来年は4月9日に第79回舞踊会を開くことといたしまして、会員一同精進を重ねております。引き続きご贔屓くださいますようお願い申し上げます。

《最近の美登利会と吉駒リサイタルの舞台をご覧になりたい方は…》
第78回美登利会と第3回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい
第77回美登利会と第2回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい
第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルはこちらでご覧下さい
お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧下さい


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