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黛信彦の時事ブログ

僕はいったい何だった?(鳩山回顧録)

2012年11月23日 | 5大紙社説

大慶にも、鳩山由紀夫元首相が引退表明した。

“失われた○○年”というありふれた言い方は避けたいけれどもやはり、“失われた3・5年”と、小欄は言いたい。

政権交代前夜、追い詰められていた麻生太郎内閣がリーマンショックに対応する経済政策を打ち出したが、その実効を破綻させたのは、「もしや、政権交代か?」というところで民主党が流布した『事業仕訳』という言葉だった。 その事業仕訳をはじめ、民主党の政策はことごとく失敗に終わり、日本経済は凍りつき、デフレスパイラルの深い闇へと落ち込んだ。 民主党政権は、政治マニフェスト版・風説の流布によって生まれたと言ってはばからない。

22日付読売新聞は各所で、鳩山引退を慶賀すべきことのように書いた。 社説では『政権迷走の「第一走者」が退場』とタイトルしている。 国民にとって悪夢の3・5年だったが、第二走者、最終走者はまだ夢を捨て切れていない。

以下、22日付読売の鳩山引退に関する記事等の抄録である。

●『編集手帳』(以下全文)では褒め殺し。

~・~ 小欄にご登場いただくたびにポイントが溜まるとすれば、一等賞はこの人だろう。 鳩山由紀夫元首相が政界を引退するという。 ポイント還元セールではないが、きょうばかりは去り行く常連さんにペンの切っ先が甘くなるのも仕方がない。 

心の優しい人だとは思う。 目の前にいる相手をとにかく喜ばせたい一心で、米大統領には「普天間」移設を約束し、沖縄県民には「県外」移設を約束する。 どちらにも罪な嘘をついた形になり、日米関係はひび割れた。 

稀有な人だとは思う。 歴代首相のなかに、似たタイプの人はいない。

首相を辞めたあと、政府の反対を押し切り、百害あって一利なきイラン訪問で不評を買った。 「首相」を務まらない人はいても、「元首相」まで務まらなかった例はほかに知らない。

鳩山語録から、印象深い言葉を引く。 2年前の民主党代表選で、菅直人、小沢一郎両氏の激突を回避するべく‘調整’に乗り出したものの、事態を混乱させただけで失敗に終わった。 周囲にもらした当惑のひと言。 <ボクはいったい、何だったんでしょうね>。 回顧録を書かれるときは、タイトルにどうぞ。 ~・~  と、上げた梯子を外した。

●厳しい『社説』

~・~ タイトル:政権迷走の「第一走者」が退場

鳩山氏は、政権交代の立役者だったが、米軍普天間飛行場の移設問題などで無責任かつ場当たり的な言動を繰り返し、国民の政治不信を増幅させた張本人だ。 

首相退陣時にも鳩山氏は衆院選不出馬をいったん口にしたが、翻した。 今回、鳩山氏は「第3の人生を歩む」と言う。 再び混乱を引き起こさぬよう、政治とは無縁の世界で活躍してもらいたい。 ~・~

●『社会面記事』はもっと手厳しい

『宇宙人が「これからは一民間人」と語った』と。

また、名護市市議の話として『立候補しないのは、最後になっていい判断だ』などと書いた。


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