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黛信彦の時事ブログ

浜矩子語録(70) 3つの悲劇(3234の2つ目の3)

2009年08月01日 | 浜矩子語録
『現在、世界と日本の経済に何が起きていて、わたしたちの生活はどうなるのか?』
難題を解くため、富山県女性財団は、妖艶なエコノミスト・浜矩子に3つめの質問をぶっつけた。
「暮らしはどうなるの?」ということである。
浜矩子は、「3つの悲劇が暮らしを襲うかも知れない」と前置きして講演を続けた。

■暮らしはどうなる・・・・3つの悲劇
話はどんどん悲惨な方向に向かって行ってしまうのですが、その必然性があるから申し上げているわけですし、
う~ん、以上のように展開して来ると、我々の暮らしを襲う3つの悲劇のお話をしなければなりません。
まず、悲劇を列記して進めたいと思います。
その1、雇用大受難
その2、貯蓄から投資へ再び
その3、豊かさの中の貧困
これが、私たちの暮らしを襲う3つの悲劇となります。

●悲劇その1・・・・雇用大受難
すでに今の段階で企業の皆さんがやむを得ずということでありながらも、派遣切りなどがどんどん進んでいるわけで、雇用が既にして受難していることは間違いありません。
ですけれども、私が考えますに、実は本格的な雇用の受難はこれからだと思っております。
と申しますのも、今までの展開は、こういう言い方は非常に申し訳ないですが、どちらかといえば、まだまだ切り易いところから切られていたという状況ですね。
それが典型的に、日本においては派遣従業員の皆さんということで、悲惨な雇い止めということで来たわけでございます。 
そして欧米の場合、切られるのは先ずは外国人労働者ということで、切られるご本人たちにとっては悲惨ですけれども、まだまだ周辺部分から火が付いてきたということですから、これからいろんな衝撃が押し寄せてくる。

本格的に深い谷間での生活に経済の大きさを合わせるということが進んで行くと、雇用の中核部分、正規従業員であれ、それなりに役職を持った人たちなども含めた本格的な雇用調整は、これから進んでゆく懸念が大きい。今までは調整弁として使えるところを切っていたのですが、これからは、それだけでは済まない事に世界的になりそうな気配がございます。
国際労働機関・ILOが、雇用統計を取り始めて以来最悪の失業者数を記録することになりそうだと発表しましたが、これからが深刻な状態ということで、雇用大受難を覚悟しなければなりません。それを踏まえて「暮らしはどうなる?」を考えなければなりません。

●悲劇その2・・・・貯蓄から投資へ再び
元の木阿弥の話と密着しますが、
日本においては、2005~06年頃から盛んに「金融立国で行かなければいけない」と言われましたが、「金融立国」という言葉と必ず対になって出てきたのが「貯蓄から投資へ」という言葉で、企業の資金調達においては、間接金融から直接金融へという言い方になっていた訳でございます。

こういう言い方は雑駁で語弊があるかも知れませんし、ここに金融広報委員会(本公開講座の共催者)の方がいらっしゃれば言いにくい面もありますが、言っちゃいますけれども、「金融立国」「貯蓄から投資へ」「間接金融から直接金融へ」、この言葉の三点セットによって我々は、リーマンショックに至る金融の暴風の中に巻き込まれてしまった面が多分にあると思います。

(前篇で)国家倒産の話をしましたが、金融立国主義に乗ってひたすら走りまくった結果、今本当に国家倒産状態に陥っている国がございます。そう言えば、あの国だな!とすぐお分かりになるお方が多かろうと思いますが、その国の名前はアイスランドでございます。
~・~・~中略~・~・~
そのことを、我々は体験してきたにもかかわらず、今また、元の木阿弥に向かって物事が動いている。そのなかで、早くも「貯蓄から投資へ」という呼び声があちこちから出てきている。

先行きがわからない、雇用大受難かも知れないというと、投資もちゃんと分散した方が良いか?という気分になって、「貯蓄から投資へ」イズムに煽られてしまうと、そのことが、その次の金融危機の種を生み出すことになりかねないのです。

つくづく、この言葉にはご用心、ということで、投資がすべて悪いということを申し上げているのではなく、何はともあれ、ハイリスクハイリターンというところに、のど元過ぎれば突っ走ってしまうと、怖い道を再び辿ることになるわけです。

「貯蓄から投資へ」と煽り立てる人たちが世界の津々浦々にいたわけで、日本にも、そういう人が約一名いたことは皆さんよくご存知のとおりでございます。
かつては大学教授であって、そのうち、気がついてみれば大臣になっていて、暫く経つと、あれよあれよという間に参院議員になって、その後は大学の先生に戻ったふりをしながら、虎視眈々と政界への返り咲きを狙っている、「あ・の・人」でございます。
そういうような人々もいて、「改革が足りなかった」などと言ったりしているようでありますが、そういう言葉にまたぞろ乗せられると、ちょっと落ち着いてきたからまたハイリターンで行くかというような誘惑が出てきて、それに乗ると又、悲劇パートⅡになだれ込んでしまう恐れがあるということを言いたい訳でございます。

●悲劇その3・・・・豊かさの中の貧困
それに踊らされてまた失敗するようなことがあれば、そういう要因も相まって、悲劇その3の豊かさの中の貧困という問題が深刻になってくる恐れがある、と申し上げたいのです。
この言葉で何を言いたいかというと、日本国全体としてみれば世界最大の貯蓄大国、純貯蓄の残高が世界で一番大きいということですから、言いかえれば、世界でもっとも豊かな国である、ということになるわけです。個人資産が14百、15百兆円というようなことも言われるわけですが、そういう意味で世界で一番豊かな国なのに、この豊かな国の中で格差問題を議論しなければならない。

ホームレスの人々が増えてゆく、ネットカフェ難民が増えてゆく、ワーキングプアという言葉もすっかり流行るようになってしまった、そういう著しい豊かさの中に貧困のブラックホールが拡がって行く、これは悲劇としか言いようがない。これは人為的な悲劇と言ってよろしいものだと思います。非常に豊かな国なんですから、こんなことが起きるはずはない、のですけれども、これはまあ政策・政治の貧困さの結果(この意味は例えば、日本の現政権の政策が格差社会を生み出したわけではないということであり、本講演終了後の聴講者の質問者に対して、「政策が格差社会を作り出しているわけではない」と明快に答えている。馬鹿馬鹿しいが、米国債買わされてはいない)という事でもあるわけですし、格差というものに慣れていなかった経済社会がそれにうまく対応できていない表れでもあります。

これから、通貨大戦争、そして国家破綻の懸念ということで為替市場も荒れる、株式市場も荒れるということにでもなってくれば、豊かさの中の貧困問題は非常に大きな問題として我々に圧し掛かってくることになるのです。
いつそれが、我にわが身に降りかかってくるかはわからないのですが、そういう貧困問題を抱えていれば、それをうまく支えるために経済社会全体としての負担、コストも大きくなって行くわけでありますから、本当に真剣に真正面から見据えて行かなければいけない悲劇的な状況であると思うところでありまして、我々の暮らしのすぐそこに、豊かさの中の貧困問題が転がっている。

誰が我が身の回りで大受難の犠牲になるかはわからない。
貯蓄から投資へと再びなれば、誰が泣かされるかわからない。
そういう悲劇の火種に当面していることを考えながら一歩一歩、深い谷底を進んで行かないと、とんでもない落とし穴に落ちることになってしまうと思うところでございます。

妖怪は飛び交うわ、衝撃は待ち構えているわ、悲劇はそこまで来ているわ、という状況の中で、じゃあ「我々はどうするんだ」というのが、4つ目の課題として私に与えられテーマだったわけで、・・・・・
以下、次編

浜矩子語録目次Ⅱ

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