妖艶なエコノミスト・浜矩子は、2日付毎日新聞“時代の風”欄に、「次に来る展開こそ怖い」として「恐慌物語、第二幕へ」を寄稿した。
グローバル・矩子は、先の洞爺湖サミットに対して同欄で「前面に出ている環境問題も勿論大事だが、より差し迫った課題を言葉にすれば、『グローバル時代の早すぎる終焉をいかに回避するか』をテーマにすべきだ」と進言したが、首脳たちはその問題を避けた。
彼らに「グローバル時代の早すぎる終焉」という危機感は希薄で、7月9日に閉幕したが、僅か67日後、リーマン破綻を引き金に世界金融恐慌が急激に拡がったのである。
本稿は、米大統領選挙後にワシントンで開催予定の金融サミットに対する「浜矩子の注文書」と位置づけられる。以下は、その概要である。
●世界の金融が集中治療室に入った。
公的資金による資本注入も始まって、あらゆる生命維持装置を考えつくままに装備することで、何とか救急患者たちが再呼吸し始める状態をつくった。その上で、今後の対応をどうするかについて、今月、ワシントンで協議することになっている。
あたふたと打つ手の模索が続くうちにも、病弊は広がり、深まっていく。株は乱高下し、為替市場は激しく揺れる。消費が落ちる。生産が減る。企業収益が消し飛んでしまう。
かくして、金融収縮は経済活動全般の縮減に転化した。
グローバル恐慌物語の第一幕がひとまず終わって、第二幕の幕が開いたところである。
●この物語には、実は序幕があった。
世界が金融の大膨張・大暴走に浮かれる狂乱の幕だ。そこでは何とも驚くべきというか、ばかばかしいことが各種さまざま起こった。
その最たるケースがアイスランドだ。国民経済の規模の9倍にも達するという金融資産を積み上げて、金融立国に打ち興じていた。かつては地道な地場金融に専心していた銀行たちが、モノの世界と決別したカネの世界で巨万の富を追い求めた。つわものどもの欲の跡が、国家倒産の危機という無残な形で残った。
アイスランドは小さな国だ。人口32万である。だからこそ、これほど生々しくもすさまじい形で金融狂乱の爪痕に泣いている。だが、これは決してアイスランドの問題ではない。小さな国では、国全体を挙げて痛みに泣くことになる。それに対して、大きな国では、小さな夢の数々があちこちで破れる。
●夢破れる場面の話を・・・
イギリスBBCテレビのニュースでみた。15歳のお嬢さんに焦点を当てていた。彼女はイギリス経済のブーム化とともに生まれ、そのバブル化の中で育った。何しろ、イギリス経済はこの秋に失速するまで、16年間にわたって拡大し続けて来たのである。消費ブーム以外の環境を知らないその子は、新しいデザインのスニーカーが発売されれば、必ずそれを買うのが当たり前だと思っている。お気に入りの店の店頭に並ぶ新製品は、全部、手に入れなければ気がすまない。(中略)
だが、その彼女の眼の前で、経済状況はみるみるうちに悪化していく。彼女が当然のごとく就職するつもりでいた建設会社は、いまや、開店休業状態だ。建設現場は、誰もいない空き地と化した。いくらバブルの中で暮らしてきた彼女といえども、今や夢の先が見られないことは判る。(中略)
夢から覚めてうなだれる15歳。その姿に、胸が痛みながら呆れもした。金融ビッグバンの発祥の地、イギリスの宴の夢に、恐怖の冷や水が浴びせかけられた。その瞬間を目の当たりにする思いがした。
●グローバル恐慌物語の三幕目は・・・
どのような展開になるのだろう。
第二幕がモノをつくる生産活動への打撃の場なら、第三幕はモノを取引する通商の世界を犠牲者とする悲劇の場面とならないか。(中略)
カネの世界では、すでに収縮と分断が進行している。それが、モノの世界に波及すれば、地球経済は分裂する。
実をいえば、モノの世界の分断と囲い込みはすでに始まっていた。世界貿易機関(WTO)のドーハ・ラウンドは決裂し、食料や資源を巡る争奪が激しくなっていた。世界が地球的バブル崩壊の予兆を感じる中で、自己防衛的なモノの囲い込みが進み始めていたのである。ここで大不況到来となれば、その傾向にはますます拍車がかかること請け合いだ。
そんな第三幕に進むことは、なんとか回避しなければならない。金融規制のあり方もさりながら、ワシントンではこの辺りに注意を払ってもらいたい。(了)
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グローバル・矩子は、先の洞爺湖サミットに対して同欄で「前面に出ている環境問題も勿論大事だが、より差し迫った課題を言葉にすれば、『グローバル時代の早すぎる終焉をいかに回避するか』をテーマにすべきだ」と進言したが、首脳たちはその問題を避けた。
彼らに「グローバル時代の早すぎる終焉」という危機感は希薄で、7月9日に閉幕したが、僅か67日後、リーマン破綻を引き金に世界金融恐慌が急激に拡がったのである。
本稿は、米大統領選挙後にワシントンで開催予定の金融サミットに対する「浜矩子の注文書」と位置づけられる。以下は、その概要である。
●世界の金融が集中治療室に入った。
公的資金による資本注入も始まって、あらゆる生命維持装置を考えつくままに装備することで、何とか救急患者たちが再呼吸し始める状態をつくった。その上で、今後の対応をどうするかについて、今月、ワシントンで協議することになっている。
あたふたと打つ手の模索が続くうちにも、病弊は広がり、深まっていく。株は乱高下し、為替市場は激しく揺れる。消費が落ちる。生産が減る。企業収益が消し飛んでしまう。
かくして、金融収縮は経済活動全般の縮減に転化した。
グローバル恐慌物語の第一幕がひとまず終わって、第二幕の幕が開いたところである。
●この物語には、実は序幕があった。
世界が金融の大膨張・大暴走に浮かれる狂乱の幕だ。そこでは何とも驚くべきというか、ばかばかしいことが各種さまざま起こった。
その最たるケースがアイスランドだ。国民経済の規模の9倍にも達するという金融資産を積み上げて、金融立国に打ち興じていた。かつては地道な地場金融に専心していた銀行たちが、モノの世界と決別したカネの世界で巨万の富を追い求めた。つわものどもの欲の跡が、国家倒産の危機という無残な形で残った。
アイスランドは小さな国だ。人口32万である。だからこそ、これほど生々しくもすさまじい形で金融狂乱の爪痕に泣いている。だが、これは決してアイスランドの問題ではない。小さな国では、国全体を挙げて痛みに泣くことになる。それに対して、大きな国では、小さな夢の数々があちこちで破れる。
●夢破れる場面の話を・・・
イギリスBBCテレビのニュースでみた。15歳のお嬢さんに焦点を当てていた。彼女はイギリス経済のブーム化とともに生まれ、そのバブル化の中で育った。何しろ、イギリス経済はこの秋に失速するまで、16年間にわたって拡大し続けて来たのである。消費ブーム以外の環境を知らないその子は、新しいデザインのスニーカーが発売されれば、必ずそれを買うのが当たり前だと思っている。お気に入りの店の店頭に並ぶ新製品は、全部、手に入れなければ気がすまない。(中略)
だが、その彼女の眼の前で、経済状況はみるみるうちに悪化していく。彼女が当然のごとく就職するつもりでいた建設会社は、いまや、開店休業状態だ。建設現場は、誰もいない空き地と化した。いくらバブルの中で暮らしてきた彼女といえども、今や夢の先が見られないことは判る。(中略)
夢から覚めてうなだれる15歳。その姿に、胸が痛みながら呆れもした。金融ビッグバンの発祥の地、イギリスの宴の夢に、恐怖の冷や水が浴びせかけられた。その瞬間を目の当たりにする思いがした。
●グローバル恐慌物語の三幕目は・・・
どのような展開になるのだろう。
第二幕がモノをつくる生産活動への打撃の場なら、第三幕はモノを取引する通商の世界を犠牲者とする悲劇の場面とならないか。(中略)
カネの世界では、すでに収縮と分断が進行している。それが、モノの世界に波及すれば、地球経済は分裂する。
実をいえば、モノの世界の分断と囲い込みはすでに始まっていた。世界貿易機関(WTO)のドーハ・ラウンドは決裂し、食料や資源を巡る争奪が激しくなっていた。世界が地球的バブル崩壊の予兆を感じる中で、自己防衛的なモノの囲い込みが進み始めていたのである。ここで大不況到来となれば、その傾向にはますます拍車がかかること請け合いだ。
そんな第三幕に進むことは、なんとか回避しなければならない。金融規制のあり方もさりながら、ワシントンではこの辺りに注意を払ってもらいたい。(了)
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