シンガー『ナターシャ』のブログ

関西・東京・名古屋・広島、そして台湾もグローバルに歌うシンガーソングライター、jazzシンガーナターシャのブログです

着ぐるみ

2008-02-06 | おもうこと
すっごい面白い映像があります。

お友達のひでやんさんのブログにあったのを私も紹介させてもらいます。あまりにも凄すぎて私は笑いころげてしまいました。まずは見てみてください。

http://www.youtube.com/watch?v=WZccz5cy3ks


初めは「ひええええ、すげええ、何じゃこりゃ」と驚いていたのですが、そのうち黒人のおばちゃんがこの子どもの着ぐるみを着ているとしか思えなくって笑えてきました。何回も見ましたが何回見ても笑っちゃいます、私。

彼女の名はペンペンコちゃん。14才くらいのフィリピン人。親も歌手らしい。その下の映像を見ると韓国のスターたちに全然負けてない。歌だけならまだしも、あしらい方だって子供と違うでしょ。黒人のおばちゃんです。

きっと黒人の歌手のおばちゃんが死んでしまって、「まだまだ歌いたりないんや~。早く歌わせて~。」と急いで生まれ変わったかのようです。

よく魂と体の関係は「魂が体という車にのっている」あるいは「体はレンタル衣装」などと説明されますが、この映像を見て私は「着ぐるみ」という言葉がぴったりかも!と思いました。

10年ほど前に初めて退行催眠で前世療法受けたのですが、そのときにセラピストの人が説明してくれたことを思い出しました。

「モーツアルトは、それまでの人生で何度も何度も音楽の修行をやってきて、今回の人生で『その結晶として音楽で花咲かす、音楽ですごいことをするぞ!』と目的をもって生まれてきたわけです。だから、親が音楽家のうちを、あの時代のウイーンを自ら選んで生まれてきたのです。その時代、そしてその場、環境がその目的にとって最高だったから。」

私はその説明を聞いたときに、「え、それなら人と比べるってバカみたいなことなのかも・・」と思ったのでした。例えばモーツアルト君と私が同じ音楽学校に入ったとして、「彼ってすごい。それに比べて私はなんてできないんだ・・」と思うのは全く無意味なわけです。だって、彼とのそれまでの人生での音楽の経歴が違うわけですから。そして、彼と私の人生の目的、使命も違うわけですから。

私が本当に他人と比較することをやめたい!と思ったのは、調理師学校に行っていた時期でした。それまでの学校生活、アメリカの学校でさえ一生懸命勉強したらなんとかなったし、卒業だってできたのです。しかし、この料理の世界で、生まれながらに器用不器用というのが存在するということを思い知らされたし、何よりも自分がグループの中でどの位置にいるのかを考えることがいやでした。

自分が上の方に居ないでもせめて一番びりにならないようにしよう~と思う自分が情けなかった。どうしてそんな他人と比べるのだろうっと。

鰻をさばく和食のクラスの時に、にゅるにゅるした鰻をグループの人はどんどんさばくのに、私は切ることすらできずこのまま一生この鰻と格闘しないといけないのかと思うと涙がでそうになりました。そして、あ~ビリだけは避けたいと思う自分がまた情けなくって。

実際料理なんて慣れだから、私も毎日鰻をさばいていたら上手になるでしょう。でも、学校では1回限り。だから、どれだけ器用かどうかが評価されるのでした。それまでの人生、特に学校生活の中でビリにはなったことがなかった私にはそれはとても辛いものでした。

その頃「こういう自分が嫌なの」と相談した友達には「誰だって他人と比べたりするんじゃないの」と流されてしまったけれど、でも私は絶対嫌だったのです、そんな自分が。そして、なんとかしたかった。

今でもそれが全てなくなった訳ではなくって、時々人と比べる自分に気づきます。でも、「あほや。またやってるわ。」と軽く笑えるようになりました。「人それぞれなの。それぞれの目的があるの。」と自分に諭せるようになりました。

人はそれぞれ違った今回の人生の目的があるし、それまでの魂の経歴もみんな違う・・ということを知っていたら、人と比べることをせずもっと楽に生きれるのではないかなって思います。

自分の得意なこと、興味のあること、たまらなく好きなこと・・人生生きていたらだんだん分かってくるし、そうするとこの人生での目的もだんだん分かってくる。そして、この時代に日本に生まれるということ・・世界中の中で大きな貧富の差のない、男女の差別のないこの国、時代に生まれてきたってことは、自分の夢を誰でもが実現できる場所、時代なのです・・つまり、日本で今生きている私達には少なくともその使命があると思います。

日本の教育では知らず知らずのうちに他人と比較することを学んでしまいます。そこから、それを捨てていき、一人一人が自分の人生を人と比べることなく生きていくことが日本に生まれた私達の選んだ目的でもあるのでしょう。

そんなことをペンペンコちゃんを見て思ったりしました。かわいい彼女の活躍が楽しみです。

テレビ

2008-02-05 | おもうこと
2月11日の映画「4分の1の奇跡」の上映会の宣伝を一斉にどば~っと送りました。いつも「ががが~」と前進した後に、少し引いてしまう私。映画の後の監督のスピーチなどを通訳するのですが「私できるかしら?」と一瞬気弱になってしまった。人前で歌うこと、教えること、通訳すること・・パーフォーマンス系にはこういったプレッシャーはつき物ですからしょうがないんですけどね。

通訳に関しては結構最後まで「できるかしら、大丈夫かしら」といつもぐじぐじ思うのですが、でも最後の瞬間に「もうええわ。どうにでもなってくれ、知らんわ」というのがやってきます。私はこの瞬間が一番好きかもしれません。この瞬間、とっても気持ちいいのです。

また不思議なこと言いますが、これデジャヴか夢であったのですよ・・講演を英語に通訳するの・・この間ふと思い出したのでした。なので、一体何が起こるやら?とワクワクでもあります。

とりあえずHP、ひつこく書いておきます。http://www.yonbunnoichi.net/
みなさん、見にきてね~。

昨日久しぶりに近所の温泉に行きました。お風呂から出てきた後、休憩室でゴロンとしているとテレビがつけてあったので、のぼせた頭でぼ~っと見ていました。

私は普段テレビをほとんど見ないし、新聞もやめました。あまりにも不必要な情報が入ってくるのが嫌になったからです。外国に住んでいたらテレビを見ていても100%分かるわけではないから、いい情報も手に入りにくい代わりに、要らない情報もそうそう入ってこないのですが日本に居ると情報がうるさい。

しかし、テレビを絶ってひっさ~しぶりに見るととても客観的に見れます。そして、どれだけ私達がテレビに洗脳されているかも分かります。

昨日の番組はよくある呆れるほどのアホな番組でもなかったので、ぼ~っと見てましたが、最新のガン治療について見ているときに「あ~こういうのを見てみんな洗脳されるねんな」って思いました。

その最新治療については興味深かったのですが、出演者たちは「日本人の死因原因の1位はガンですから、私達も他人ごとではないんですよ」と。そして、最後の閉めは「一番大事なのは早期発見。怖がらずに検査を受けて早く発見しましょう」でした。

え?ちょっと待って!!
これってガンになるのが当たり前ってこの出演者たちは思っているし、これを見た人たちも、『そっか、たくさんの人がなっているんだから自分もなるんだ』という思考パターンが入りますよね。

思考は現実化するのですよ!!

一番大事なのは、早期発見ではなく、ガンにならない生き方。あるいは元気に寿命を全うすること。病気にならずに死ぬこと・・でしょ?

それに、自分たちは元気だからこっち側。ガンになったらあっち側・・と線を引いている気もしてちょっと嫌でした。病気には意味があるんだから、なったらなったで見つめればいい。それを恐ろしいものがいつかはやってくる・・という恐怖を気づかないようにじわじわ与えている・・やっぱりテレビはあんまり見たらあかん。

よくアメリカ人は「肩こり知らず」という話をききます。実際、私もアメリカで仕事をしていたときに、首を回してボキボキ言わすと周りの人がびっくりして、「大丈夫?」とよく聞いてきました。

でも、これって「肩こり」っていう概念が彼らにはないから、実際の「肩こり」がないんだと思います。私たちは子どもの頃、大人が「あ~肩こった」と言っているのを聞いて「あ、この肩が硬くなっているのは肩こりっていうんだ」って覚えるわけです。

自分の辞書の中から欲しくないものは消去することが一番です。ちなみに私の辞書から「老化」という文字は消しました。でも消す前からですが、私は20代の頃の肌よりも今の肌の方がぜ~ったいに自信ありますね。人から見たら「わ、しみやシワが増えた」かもしれないけど、20代の頃より毎日すべすべつるつるでとっても幸せです。幸せを感じる能力がむちゃくちゃアップしたのですかね。

これもコマーシャルばっかり見てたら「シワ、シミ、たるみ」に訴える話ばっかりですからね、気をつけなくっちゃいけませんよ~。