すっごい面白い映像があります。
お友達のひでやんさんのブログにあったのを私も紹介させてもらいます。あまりにも凄すぎて私は笑いころげてしまいました。まずは見てみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=WZccz5cy3ks
初めは「ひええええ、すげええ、何じゃこりゃ」と驚いていたのですが、そのうち黒人のおばちゃんがこの子どもの着ぐるみを着ているとしか思えなくって笑えてきました。何回も見ましたが何回見ても笑っちゃいます、私。
彼女の名はペンペンコちゃん。14才くらいのフィリピン人。親も歌手らしい。その下の映像を見ると韓国のスターたちに全然負けてない。歌だけならまだしも、あしらい方だって子供と違うでしょ。黒人のおばちゃんです。
きっと黒人の歌手のおばちゃんが死んでしまって、「まだまだ歌いたりないんや~。早く歌わせて~。」と急いで生まれ変わったかのようです。
よく魂と体の関係は「魂が体という車にのっている」あるいは「体はレンタル衣装」などと説明されますが、この映像を見て私は「着ぐるみ」という言葉がぴったりかも!と思いました。
10年ほど前に初めて退行催眠で前世療法受けたのですが、そのときにセラピストの人が説明してくれたことを思い出しました。
「モーツアルトは、それまでの人生で何度も何度も音楽の修行をやってきて、今回の人生で『その結晶として音楽で花咲かす、音楽ですごいことをするぞ!』と目的をもって生まれてきたわけです。だから、親が音楽家のうちを、あの時代のウイーンを自ら選んで生まれてきたのです。その時代、そしてその場、環境がその目的にとって最高だったから。」
私はその説明を聞いたときに、「え、それなら人と比べるってバカみたいなことなのかも・・」と思ったのでした。例えばモーツアルト君と私が同じ音楽学校に入ったとして、「彼ってすごい。それに比べて私はなんてできないんだ・・」と思うのは全く無意味なわけです。だって、彼とのそれまでの人生での音楽の経歴が違うわけですから。そして、彼と私の人生の目的、使命も違うわけですから。
私が本当に他人と比較することをやめたい!と思ったのは、調理師学校に行っていた時期でした。それまでの学校生活、アメリカの学校でさえ一生懸命勉強したらなんとかなったし、卒業だってできたのです。しかし、この料理の世界で、生まれながらに器用不器用というのが存在するということを思い知らされたし、何よりも自分がグループの中でどの位置にいるのかを考えることがいやでした。
自分が上の方に居ないでもせめて一番びりにならないようにしよう~と思う自分が情けなかった。どうしてそんな他人と比べるのだろうっと。
鰻をさばく和食のクラスの時に、にゅるにゅるした鰻をグループの人はどんどんさばくのに、私は切ることすらできずこのまま一生この鰻と格闘しないといけないのかと思うと涙がでそうになりました。そして、あ~ビリだけは避けたいと思う自分がまた情けなくって。
実際料理なんて慣れだから、私も毎日鰻をさばいていたら上手になるでしょう。でも、学校では1回限り。だから、どれだけ器用かどうかが評価されるのでした。それまでの人生、特に学校生活の中でビリにはなったことがなかった私にはそれはとても辛いものでした。
その頃「こういう自分が嫌なの」と相談した友達には「誰だって他人と比べたりするんじゃないの」と流されてしまったけれど、でも私は絶対嫌だったのです、そんな自分が。そして、なんとかしたかった。
今でもそれが全てなくなった訳ではなくって、時々人と比べる自分に気づきます。でも、「あほや。またやってるわ。」と軽く笑えるようになりました。「人それぞれなの。それぞれの目的があるの。」と自分に諭せるようになりました。
人はそれぞれ違った今回の人生の目的があるし、それまでの魂の経歴もみんな違う・・ということを知っていたら、人と比べることをせずもっと楽に生きれるのではないかなって思います。
自分の得意なこと、興味のあること、たまらなく好きなこと・・人生生きていたらだんだん分かってくるし、そうするとこの人生での目的もだんだん分かってくる。そして、この時代に日本に生まれるということ・・世界中の中で大きな貧富の差のない、男女の差別のないこの国、時代に生まれてきたってことは、自分の夢を誰でもが実現できる場所、時代なのです・・つまり、日本で今生きている私達には少なくともその使命があると思います。
日本の教育では知らず知らずのうちに他人と比較することを学んでしまいます。そこから、それを捨てていき、一人一人が自分の人生を人と比べることなく生きていくことが日本に生まれた私達の選んだ目的でもあるのでしょう。
そんなことをペンペンコちゃんを見て思ったりしました。かわいい彼女の活躍が楽しみです。
お友達のひでやんさんのブログにあったのを私も紹介させてもらいます。あまりにも凄すぎて私は笑いころげてしまいました。まずは見てみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=WZccz5cy3ks
初めは「ひええええ、すげええ、何じゃこりゃ」と驚いていたのですが、そのうち黒人のおばちゃんがこの子どもの着ぐるみを着ているとしか思えなくって笑えてきました。何回も見ましたが何回見ても笑っちゃいます、私。
彼女の名はペンペンコちゃん。14才くらいのフィリピン人。親も歌手らしい。その下の映像を見ると韓国のスターたちに全然負けてない。歌だけならまだしも、あしらい方だって子供と違うでしょ。黒人のおばちゃんです。
きっと黒人の歌手のおばちゃんが死んでしまって、「まだまだ歌いたりないんや~。早く歌わせて~。」と急いで生まれ変わったかのようです。
よく魂と体の関係は「魂が体という車にのっている」あるいは「体はレンタル衣装」などと説明されますが、この映像を見て私は「着ぐるみ」という言葉がぴったりかも!と思いました。
10年ほど前に初めて退行催眠で前世療法受けたのですが、そのときにセラピストの人が説明してくれたことを思い出しました。
「モーツアルトは、それまでの人生で何度も何度も音楽の修行をやってきて、今回の人生で『その結晶として音楽で花咲かす、音楽ですごいことをするぞ!』と目的をもって生まれてきたわけです。だから、親が音楽家のうちを、あの時代のウイーンを自ら選んで生まれてきたのです。その時代、そしてその場、環境がその目的にとって最高だったから。」
私はその説明を聞いたときに、「え、それなら人と比べるってバカみたいなことなのかも・・」と思ったのでした。例えばモーツアルト君と私が同じ音楽学校に入ったとして、「彼ってすごい。それに比べて私はなんてできないんだ・・」と思うのは全く無意味なわけです。だって、彼とのそれまでの人生での音楽の経歴が違うわけですから。そして、彼と私の人生の目的、使命も違うわけですから。
私が本当に他人と比較することをやめたい!と思ったのは、調理師学校に行っていた時期でした。それまでの学校生活、アメリカの学校でさえ一生懸命勉強したらなんとかなったし、卒業だってできたのです。しかし、この料理の世界で、生まれながらに器用不器用というのが存在するということを思い知らされたし、何よりも自分がグループの中でどの位置にいるのかを考えることがいやでした。
自分が上の方に居ないでもせめて一番びりにならないようにしよう~と思う自分が情けなかった。どうしてそんな他人と比べるのだろうっと。
鰻をさばく和食のクラスの時に、にゅるにゅるした鰻をグループの人はどんどんさばくのに、私は切ることすらできずこのまま一生この鰻と格闘しないといけないのかと思うと涙がでそうになりました。そして、あ~ビリだけは避けたいと思う自分がまた情けなくって。
実際料理なんて慣れだから、私も毎日鰻をさばいていたら上手になるでしょう。でも、学校では1回限り。だから、どれだけ器用かどうかが評価されるのでした。それまでの人生、特に学校生活の中でビリにはなったことがなかった私にはそれはとても辛いものでした。
その頃「こういう自分が嫌なの」と相談した友達には「誰だって他人と比べたりするんじゃないの」と流されてしまったけれど、でも私は絶対嫌だったのです、そんな自分が。そして、なんとかしたかった。
今でもそれが全てなくなった訳ではなくって、時々人と比べる自分に気づきます。でも、「あほや。またやってるわ。」と軽く笑えるようになりました。「人それぞれなの。それぞれの目的があるの。」と自分に諭せるようになりました。
人はそれぞれ違った今回の人生の目的があるし、それまでの魂の経歴もみんな違う・・ということを知っていたら、人と比べることをせずもっと楽に生きれるのではないかなって思います。
自分の得意なこと、興味のあること、たまらなく好きなこと・・人生生きていたらだんだん分かってくるし、そうするとこの人生での目的もだんだん分かってくる。そして、この時代に日本に生まれるということ・・世界中の中で大きな貧富の差のない、男女の差別のないこの国、時代に生まれてきたってことは、自分の夢を誰でもが実現できる場所、時代なのです・・つまり、日本で今生きている私達には少なくともその使命があると思います。
日本の教育では知らず知らずのうちに他人と比較することを学んでしまいます。そこから、それを捨てていき、一人一人が自分の人生を人と比べることなく生きていくことが日本に生まれた私達の選んだ目的でもあるのでしょう。
そんなことをペンペンコちゃんを見て思ったりしました。かわいい彼女の活躍が楽しみです。